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《誰だ……?》


 俺はその謎の声に問いかけたが、声にならなかった。音声が全く発生しなかった。気づけば周りも全くの無音となり、しんと静まりかえっていた。まるで音という概念が死に絶えたような世界だった。だというのに何故か、『意思』として俺の問いかけが、向こうに伝わったという確かな感覚だけはあった。


 ――ふむ、ようやく繋がったようだな。


 声はどこまでも冷静で、平坦だった。動揺する俺はなだめるためにというより、興味のない会話に対して、適当な相槌をうつような風の声音だった。


 ――本来ならばこのような処置はルール外。アスタリアの懇請がなければ、構わず捨て置いていた所だ。彼女に感謝するんだな。

《アスタリア様を知っているのか?》

 ――まあな。だが、今はそんな話をするつもりはない。全く、召喚者のお守りなど、面倒なものだ。

《……そうれは、どういう?》

 ――質問を受け付ける気はない。むしろ逆だ。この場は、私が君に質問をするために、特別に形成した。

《俺に質問……》

 ――そうだ。お前は先ほど、この窮地を脱すれるならば、どのような代償も支払うと言ったな。


 声は相変わらず平坦だが、かすかに様子が変わった。先ほどまでの適当な会話ではない。この質問のためにわざわざこの場を設けたのだ、という無言の意思が感じ取れた。


 ――問おう。それは真なる心か。


 厳かな声のなかに、俺を計ろうとする意思があった。少しでも偽ることや、自身の感情を履き違えた答えを返せば、即座にこの場を去るという真意が伝わってきた。

 だがその質問の答えなど、考えるまもなかった。俺は即答した。


《ああ、本当だ》


 ――ふむ。


 向こうはその答えに納得したのか、あるいは失望したのか。まるで判然としない態度で、ただ短くそう応えると、さらに質問を投げかけてきた。


 ――何故そうまでする。お前たちにとって、これはただのゲームだろう。故にただ楽しめば良いのだ。楽しんで、飽きれば止めれば良い。

《……俺はこの世界で、大切な人を出会えた。離れたくない人だ。その人がいま苦しんでいる。見捨てて自分だけ逃げるなんてできない。したくない》

 ――それはリズレッドとやらのことか?

《そうだ。リズレッドは生きてる。そんなこと、この一年を一緒に旅していれば、簡単にわかる。いや、リズレッドだけじゃない、アミュレやホークもだ。みんな俺を助けようと必死になってくれて、傷ついて苦しんでいる。人が死にそうになっているのに、俺が逃げることなんて、できる訳ない。この世界はゲームじゃない。俺にとっては、リアルと同一の、現実の世界だ》


 そう言い切ったあと、一瞬の間断があった。正体不明の声の主は、少しばかり沈黙すると、再び声を発した。


 ――なるほど、アスタリアがお前に希望を託す理由も、少しだけ理解できた。……良いだろう。お前に少しだけ力を貸そう。


 その言葉を皮切りに、ゆっくりと世界が色を取り戻し始めた。二体の魔物も、先ほどまでの俊敏さを取り戻していくようだった。急速にもとの世界へと引き戻される感覚のなか、男の声が最後に警告を発した。


 ――これからお前は、大きな力を得るだろう。無論、それは制限付きの力だ。お前たちの体感で三分。それがお前の心の限界だ。

《心……?》

 ――直にわかる。そしてその時間が、未来を紡ぐためにお前に残された、最後の機会だ。……忘れるな。力には代償が伴うということを。お前が真にこの世界を愛おしむ者なら、これを乗り越えるだろうが……さて、どうなるかな。

 我はここから、お前がどう選択するかを観察させてもらう。さらばだ、今は名もなき召喚者よ――。


 俺はその言葉になにかを返したかったが、戻りつつある世界の唸りのなかで、どんなに喉を鳴らそうと音は出ず、意思すらもう彼に届かないと理解きた。

 やがて完全に景色が色づき、時間が正常な流れに戻ったのを感覚した。

 そして再形成された世界で、つんざく怒号が耳に飛び込んできた。


『死ぬがいい、召喚者よ!!』

『ギァァアアアアアアアアアア!!』


 二つの殺意がいま、俺の命を穿とうと迫っていた。


「――」


 だが何故だろう。動揺はなかった。

 全ての時間は正常に戻り、景色はもとに戻ったはずなのに、先ほどまでとはまるで世界が変貌して見えた。視界がなにかにジャックされたように、ザーザーと荒れて揺れた。とてつもない何かが自分のなかにインストールされ、計器が振り切れたような感覚だった。


「――無駄だ」


 そのせいか、心はとても静かだった。

 あれほど強大に見えた二体の怪物が、どれほどの物ともつかぬほど、ちっぽけに感じられた。


『ギィィィィイイイイイ!!!!』


 最初に攻撃をしかけてきたのは、第一形態の竜蟲だった。分厚い鱗で覆われた尻尾を振りかぶり、俺を叩き潰そうと上空から勢いよく振り下ろしてきた。

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