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 そしておそらく、サービス開始から一年が過ぎた今、召喚者のほぼ全員がそう思っているのではないだろうか。その証拠に、ネットで見かける引退プレイヤーの大多数から寄せられる意見は『リアルすぎて気持ち悪い』という声が最も多かった。ほんの些細なミスが死を呼ぶゲームバランス。NPCとしてではなく、一人の人間として接しなくてはいけないネイティブ。英雄として生きられず、平凡な冒険者としてプレイヤーに新たな人生を提供するこのゲームは、拒否反応を示す者にはとことん嫌われていた。


 しかし一年を過ぎて未だにログインを続ける者たちは、その中に何か……言葉にできない価値を見つけ、それを確かめるために高額なプレイ料金を払って足繁くこの世界へ渡来しているのではないか。俺がリズレッドに惚れているように、他のプレイヤーも、己の大切ななものをこの世界に見出している。そう思えてならない。


 そしてその世界を作ってくれたネイティブを救うことは、無限の命を持つ召喚者に課せられた役割だと思ったのだ。神託に縛られたこの少女の人生も、俺の行動で何かが変わるのなら、喜んで引き受けよう。そう思い、俺は眼前に見える炎に向かって走った。



  ◇



 爆炎が立ち込める荒野の中で、ウィスフェンドの紋章を刻んだ鎧に身を纏う兵士たちが、巨大な力の前に為す術なく吹き飛ばされた。大盾の意匠を施されたその印は、要塞都市の正規兵を意味している。彼らは皆、蛮族譲りの肉体と、ドルイドから与えられた叡智を持つ優秀な兵たちだ。だがそんな彼らも今は、唸りを上げて地を這いずる巨大な敵の前に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


「まずいぞ! グレーターファイアですら通用しない!」

「くっ……五十年前のロートルだと思っていたが、まさかここまで……!」


 会敵した際に、彼らには自信があった。化物の伝説というのは尾ひれが付くものだ。いかに当時の最高位剣士や魔導師を屠ったといえど、所詮それは一人の英雄の力。現在において戦力というものは、集団で発揮する物を意味している。


 そう、全体の練度は現在のほうが遥かに上なのだ。突出した力を持つ『個』がいなくとも、高い平均値を誇る『群』こそが、今の要塞都市が誇る最大の武器だった。技や呪文が限られた一定の人間たちにしか継承されなかった五十年前とは違い、一般人でもある程度ならば技を継ぐことが許された現在において、英雄はもう必要ない。いや、言うなれば我々全員がひとつの『英雄』なのだ。


 だがその自信は今や完全に打ち砕かれた。目の前で自分たちを見下ろす十メートルを越す巨大な竜蟲(ワーム)……ロックイーターによって。


『ギィィィィィイイイイイイイアアアァァアアーーーーーー!!!』


 身の毛もよだつ鳴き声を撒き散らし、悪夢は吠えた。赤黒い鱗に覆われ、口は鋭い牙の代わりに、上下に丈夫そうな臼歯が生え揃っている。咬み殺すのではなく磨り潰すことに特化した武器だ。目は確認できず、手足もない。頑強な体を備えた不気味で巨大なミミズのようだと、ひとりの兵士は思った。しかしその思惟も長くは続かなかった。猛烈な勢いで振るわれた尻尾の攻撃に、疲弊した彼の反射神経が追いつかず、回避が遅れたのだ。男は無残にも空中へ塵のように吹き飛ばされてしまった。


「ゴポッ!!」


《金城鉄壁》により底上げされた防御力により即死は免れたものの、体は悲鳴を上げ、直撃した左腕があらぬ方向にひしゃげた。口から血を吐き出しながらも地面を確認し、なんとか着地の準備を整えようとするが、彼が再び地を踏むことはなかった。 ロックイーターが器用に空を舞う彼を口でキャッチしたからだ。


「やめ……」という短い言葉を発した次の瞬間に、怪物は顎をゆっくりと動かした。上下の臼歯が断首台のように彼に下ろされ、あらがえぬ強烈な力を持って、鎧ごとすり潰される。自分のなにもかもが平らに押しつぶされる感覚を覚えながら、絶望の中で彼の意識は永遠に途絶えた。


 獲物をミンチにして飲み込んだあと、ロックイーターは残った兵士たちを見下ろした。今しがた飲み込んだを口元から垂らして、竜蟲はなおも地面を這いずる兵士たちを確認してニヤリと笑ったのだ。


 まだまだご馳走が残ってる。そう言わんばかりの笑みだった。それを見たウィスフェンドの守り手たちは、全員が戦意を喪失した。紛れもなく自分たちの眼前にいるのは悪夢であり、自分たちは大きな失敗を犯したのだと理解したからだ。『群』は『個』により殲滅され得る。要塞都市が掲げてきた集団戦闘の理念が完膚なきまでに砕かれ、膝を折った。


「みんな! まだ諦めるな!!」


 ひとりの男が彼らを鼓舞するが、「ホーク……もういいんだ、俺たちはおしまいだ……」と、部隊長は正気の抜けた声で返すだけだった。戦闘経験が長ければ長いほど、自己に構築された経験則は膨大になる。それはある意味では強みであったが、圧倒的な敵を目の当たりにした今、その後生大事に育ててきたプライドとも言える経験は真っ向から否定されたのだ。彼に再び地を力強く踏みしめる意思など、もうどこにもなかった。

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