35

 ……文章はそこで終わっていた。

 リズレッドはしばし呆然とし、本に落とした目線をなんとか宙に持ち上げると、どこを見るでもなく図書館の宙に視線を向けた。

 ぱちぱちと頭の中で、たぐり寄せた欠片をはめ合わせて、ひとつの絵を完成させるような所作だった。しかしそれは彼女に、とりとめのない不安を実感ある現実として浮かび上がらせた。


「ラビが危ない……」


 口を突いて出た言葉を皮切りに、彼女は走った。全身から汗が噴き出し、足を動かさなければ、焦った心だけが自身の体から抜け出て、彼を追ってどこかへ行ってしまうのではないだろうかと本気で思った。


 彼は昨日、どこへ行くと言っていたか? たしかギルドの娘と一緒に武器を……。しかし具体的な店名などは何も聞いておらず、この街に存在する店々を探して周っても、徒労に終わる可能性が高い。であれば、付術師を探すほうがてっとり早い。彼らは数が少なく、そう何軒も工房があるとは思えない。武器屋をしらみつぶすよりも余程早いはずだ。


 疾走する最中も、頭の中では出来上がった絵にどこか見落としたはないか、あるいはとんだ組み間違いをしているのではないかと、何度も検証を重ねたが、何度見てもそれはひとつの仮説を彼女に告げるだけだった。


 突然姿を消したクリスタルと、同時期に現れた新種のワーム……おそらく、後にロックイーターと名付けられた魔物。その記録は、過去に起きた事件の仮説を彼女に突き立てるには十分なものだった。


 ロックイーターは、クリスタルを喰う。


 信じられないことだった。あの石はもはや物質というよりも、事象に近い存在だ。あれがあるからこそネイティブは、大昔から神の存在を信じたのだ。自分たちの常識の範囲外に存在するあの神石は、例え魔王であっても砕けない。アモンデルトがあの夜の日にクリスタルを破壊して周ると豪語していたのも、内心はただのブラフだと思っていた。……だが、違うのか。魔王はすでに五十年も前から、クリスタルを破壊できる魔物を生み出していたのか。


 神石喰い――それがロックイーターが生み出された理由なのだという、強烈な確信をリズレッドは抱いた。本の著者が生きた時代では神教の象徴のひとつが消えた程度の認識で終わった話も、現在では意味合いが変わってくる。


 なぜならいまは、召喚者が存在するのだ。


 彼らはクリスタルを媒介にこの世界と繋がっている。前に彼は何と言っていたか。たしか自発的にログアウトなるものを選択した場合は、次にこの世界に降り立つ際は、再び同じ場所に召喚される。だが他者に殺された場合は、祈祷を捧げたクリスタルを介してその場に再生される。……では、もしその祈りを捧げた神石が砕かれた場合、彼らはどうなるのだ。


「ラビ……無事でいてくれ……!」


 彼女の中で、無限の命を持つ神の子が、途端にただの人間へと変わっていった。いつまでも一緒にいられるのだと思っていた。たとえ死んでしまっても、次の日にはまた笑って会える相手なのだと。……だがそれは、もはや過去の話だったのではないか。魔王は予期していたのだ。やがて明かされるクリスタルの真の価値と、召喚者の存在を。


 今にも破裂しそうな心臓を抑えて、司書の忠告を無視してリズレッドはウィスフェンド図書館を抜け、一目散に中央街へと走った。



  ◇



 ――結論から言うと、大成功だった。


「アミュレ! 回復を頼む!」

「了解っ!」


 リムルガンド荒野に生息する《岩トカゲ》というモンスターを倒すこと一時間、俺たちのコンビネーションは次第に息の合ったものとなっていた。アミュレの使用できる癒術は《ヒール》《ヒールライト》《リフレクトシールド》《マジックシールド》《アンチポイズン》の五つ。ヒールとヒールライトは言うまでもなくHPを回復させる術だ。リフレクトシールドは物理攻撃、マジックシールドは魔法攻撃に対する防壁を張ることができ、アンチポイズンは名前の通り解毒呪文である。彼女にこれらを譲った友人が当時十二歳だったことを考えると、おそらくその子は天才だ。並みの僧侶では使えないヒールライトを習得していたことに加え、他の魔法も不足なく習得している。死を崇める街では継承すらままならなかったであろうに、これだけの術を独自に修める技量は、充当に育てば、かなりの名のある癒術の使い手になっていただろう。


「アミュレ! その位置からでも俺にヒールを当てれるか!?」

「余裕ですっ!」


 翠緑の光がアミュレのかざした杖から浮かび上がり、放物線を描いて俺に命中する。HPのゲージが微弱に回復するのを確認し、拳を強く握った。いける、彼女との距離は五メートルほど離れているが、この距離からでも問題なく術は効果を発揮する。この距離ならばロックイーター戦で俺に何かあったときでも、彼女を離脱させることは可能なはずだ。アミュレには怒られるかもしれないが、命を賭ける覚悟をすることと、命を無下に捨てることは違う。死んでも復活できる俺が前線に立ち、彼女を逃す時間をつくれるなら、そうすることが一番の得策なのだ。無論、彼女の信念を汚すつもりはないので、ギリギリまで粘って、どうしようもないと判断したときに限るが。

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