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 彼女は体からどっと汗が噴き出るのを感覚した。己の怨敵の名が古書の中にはっきりと記されていたのだ。五十年前というと、彼女はまだ生まれて間もない頃であり、長寿であるエルフといえどその当時の社会事情には疎い。


 ましてや噂程度の存在であった愚者の王など、伝え聞ける術があるはずもない。事実、エルダーの歴史書にはドラウグルの名は一度も出てきたことがなかった。おそらくロックイーターと同様に、あるときから忽然と姿を消したのだ。そして長い年月を経て、同時期に姿を再び表し始めた二体の魔物。嫌が応にも関係性があると考えるのが自然であり、裏で糸を引くのはおそらく……


「魔王……」


 その名を語るだけで、心に昏いものが落ちるのがわかった。

 本名も不明、姿も不明。ただ攻め寄る魔物の精鋭たちから絶大な信頼を寄せられ、崇められる存在。その魔王がこの二体を操っているのは想像に容易かった。五十年前に突然姿を表したということは、そのときに新たに創造した魔物なのかもしれない。


(だとすれば、目的はなんだ)


 彼女は情報の少ないロックイーターを思考の脇に寄せ、ひとまずドラウグルについて分析し、そこから類似点を探ることにした。


 そして導き出された暫定の結論は、戦力の強化。

 愚者を大量に使役できることは、自軍の大幅な拡大につながる。愚者は自我をもたず、ただ生者を襲うことだけが本能と化した存在だ。そのような者がひとつの指揮下のもと、統率された動きを見せれば、ネイティブの数の有利は一瞬で覆る。


 ではロックイーターも同様の目的で造られたのか? 岩を食べ、地を移動することが得意の魔物に、新たな兵を生み出す力があるのだろうか?


 リズレッドは首を傾げて可能性を思惟するが、どうにも結びつかなかった。


(軍の戦力拡大という役割は、ロックイーターには与えられていないと考えるのが妥当か……しかしドラウグルと同時期に生み出されたことを考えれば、何らかの役目を持っている可能性は捨てきれない)


 答えを導きだせる端緒を見つけるべく、彼女はウィスフェンド図書館の書棚を漁った。この著書に書かれていない新たな事実があるのかもしれないし、自分の取り越し苦労で、ただ気まぐれに造られただけの魔物かもしれない。


 何冊も本をめくり、それらしき記述がないことを確かめては棚に戻るという作業を繰り返すうちに、先ほどこの国の未来を憂いていた、同著者の本を見つけた。タイトルは『ウィスフェンドの不思議』。なんとも様々な本を出しているものだと思ったが、堅苦しい文字ばかり追っていたので丁度良い箸休めになると思い、特に深い理由もなくそれを手に取った。


 中に書かれていたのは当時の領民の興味を引きそうな所謂眉唾ものの与太話である。『ウィスフェンドの城壁には死んだゴーレムの怨霊が取り付いており、夜な夜な人を襲っては、壁の中に引き込んでしまう』や『ドルイドが森を終われた真の理由』など、いかにも大衆が目を引きそうな内容がずらりと列挙されている。


 しかしそのどれもが歴史的根拠がなく、噂に噂を重ねがけしたゴシップ程度のものだった。しかしその中で一つだけ、彼女の目に留まる文字があった。他の見出しと同じように太文字で強調された題目には『消えたクリスタルの謎』と書かれていた。リズレッドはその内容に目を這わせる。


 ――最近、この都市周辺で奇妙な事件が起きていることをご存知だろうか?

 眩い輝きを放ち、神の威光を太古の昔から示し続けてきた、あのクリスタルが忽然と消えてしまうというものだ。

 聡明な読者の方々には改ためて説明することではないが、クリスタルは我々ネイティブがこの地に生まれる遥か以前より世界に存在していたとされる神の石である。いかなる剣豪や魔導師でも破壊できず、膝ほどの高さに浮かんでいるものの、どんなに力を込めても移動すらさせることができない不動性は、永きにわたり様々なモチーフとして重宝されてきた。

 あるときは王への忠誠の象徴、あるときは伴侶への変わらぬ愛の象徴として。

 だがそのクリスタルがある日突然となくなってしまったのだ。場所はウィスフェンドより北に位置するリムルガンド荒野である。クリスタルの巡礼を行っていた神職者が偶然発見し、報告された領主がただちに捜査隊を派遣したが、神石の破片すら発見できず、文字通りこの世から消えてしまったと言うしかない結果に終わった。

 私はそれを聞いたとき、たまらない嫌な予感を感じずにはいられなかった。最近、都市の周辺で見たこともないワームのような魔物が現れたという話もある。長い間、ネイティブと魔王軍の拮抗が取れた世界情勢が、今まさに動こうとしているのではないか。おおげさではなく、この事件はその布石である気がしてならないのだ。

 だがウィスフェンドのお偉方は、この事実を大きく広める気はないようだ。クリスタルは世界中に多数分布しており、リムルガンドにもまだ五ヶ所ほどクリスタルが存在することが、彼らの焦慮を阻害しているのだ。

 この本を読み、事件を一大事と考えて対策を執る者がひとりでも出てくれることを願うばかりである。

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