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(――なんだ?)


 不意に胸になにかが引っかかった。

 先輩から譲り受けた女神の首飾りが、なにかを訴えていうような気がした。

 それは時間にすれば僅かな刻、死の直前に流れる走馬灯のように、俺の脳裏に彼との戦いがフラッシュバックする。


 ――最大の安全策と考えて後退した選択が、最大の悪手へと転じたあの瞬間を。


「……ッ!」


 しかし悠長に思考を巡らせる時間はなかった。デコイの効果は一瞬。暗闇の中に、僅かな時間だけ明かりを灯してくれたランプも、今はもうない。奴と俺を繋ぐルートはこの一瞬を除けば、もう二度と開かれないだろう。だから走るんだ。前へ。恐れを捨てて前へ。……だが。


『かかったなァ……』


 そのとき初めて鬼の顔が、にやりと歪な笑みを浮かべて嗤った。

 そして奴の腹が盛り上がったかと思うと、巨大な槍のようなものが現出し、凄まじい勢いで噴出された。


 ドウッ!


 エルフの肉体を成形して作られた肉の槍だった。切れ味もなにもない。高速度で発射した突起物で、無理やり対象物を貫くように設計された、鈍器のような投擲物だった。


「ぐッ!?」


 それを俺は寸前のところで避けた。前進に向いていたエネルギーを回避運動に強引に変換し、体を軋ませて直撃を防ぐ。ほんの数センチ横を、禍々しい槍が一直線に通過し、後方で轟音が鳴り響いた。

 俺は体勢を崩してその場に倒れこむ。勢いづいた体が横転し、何度も瓦礫に頭をぶつけた。ドラウグルはその様子を見て、盛大に嗤った。


『ハハハ! まんまとかかったな馬鹿め!』

「ク、クソ……ッ!」

『お前のように戦闘の中で一縷の望みを見る奴を潰すのは気分がいい! せっかくたぐり寄せた勝機を、ばつっと切られたときの絶望の顔がたまらない!! あの女もそうだ! 才媛ぶった顔が苦痛に歪むのは、最高にぞくぞくしたぞ!! ハハハハハハ!』


 勝ちを確信したドラウグルは、今までの継ぎ接ぎの言葉が嘘のように、饒舌に自分の口で語り出した。聞くだけでおぞましい気分にさせる、醜悪な声だった。


「クソ……足が……ッ!?」

『なんだァ? 可哀想に、足を怪我したのか? 無理もない、あれほどの突進の軌道を無理やり変えたんだ。……だが安心しろ、お前はもう楽にさせてやる。最大の苦痛を与えたあとで、ミンチにしてやるよ』


 そう言ってドラウグルが一歩一歩、巨体を揺らして近づいてきた。歩くたびに醜い腹が左右に揺れた。にやにやと口端を歪ませ、目尻を釣り上げて迫るその姿は、快楽殺人者の凶相だった。俺は拳を握り、床を何度も叩いて打ち震えた。


 ――あと少し、あと少しなんだ。


 その姿がよほど面白かったのだろう。虫の息の獲物を丹念にいたぶるように、奴は至近距離まで近寄ると、絶望して地に倒れた俺をまじまじと観察して告げた。


『グヘヘ……まずはどこを潰して欲しい?』


 ――だから、


「じゃあ……


 ――この偽証に、俺はありったけの勝機を賭けた。


    まずは、お前の目をもらうぞ」


 俺は立ち上がり、床を強く蹴った。


『あ?』


 素っ頓狂な声音で呟く奴を無視し、振るった黒剣が赤き双眸を襲う。


 ブシュッツ


『ぎゃああぁぁぁああああアァァァッァアアアアア!?』


 《ナイトレイダー》で眼球を切り裂かれたドラウグルが、けたたましい叫喚を上げた。


『目が!? 目がァ!? 何故だァァアア!! お前は足が……!!!!』

「……先輩からの、ありがたい助言だ」


 突進の際、俺に警鐘を鳴らしてくれた《バーニィの首飾り》が、攻撃後の着地と同時に揺れて鳴った。

 俺はあのとき勝利を確信していた。ランプを使って陽動し、わずかに開いた活路に向かって最速の一手を決める。絵に描いたような逆転劇だ。もしあのとき脳裏に彼との戦いが蘇らなければ、俺はドラウグルの罠に嵌り、腹を貫かれて絶命していただろう。

 バーニィが最初で最後の試合で俺に遺してくれたものは、スキルだけじゃなかった。もっと大切な教訓を、俺に与えてくれていたのだ。


『まさか……足の怪我はわざと……!?』

「そうだ……お前なら動けない敵を嬲り殺すために、必ず寄ってくると思った。罠にかかったのは、今度はお前の方だったな!」


 心の中でスキルのトリガーを引き、《罪滅ボシ》が発動する感覚が伝わった。


「殺されたエルダーの人たちの仇だ! ドラウグルッッ!!」

『クソォォォオオ!!!!』


 黒剣が波動を発し、断罪のエネルギーを宿した刀身が、俺に力を与えた。

 自分の二倍はあろうかという巨大な悪鬼を見上げ、俺は剣を振るう。

 とてつもないエネルギーが周囲の瓦礫を吹き飛ばしながら、奴を襲う。


 ……だが、


『ハ……ハハハハハッ!!』


 奴は生きていた。

 体の隅々が波動でボロボロになり、重症には違いないが、ドラウグルにはまだ息があった。


「な……っ!?」


 俺は驚愕した。ドラウグルの見せた一瞬の行動が、《罪滅ボシ》の一撃をわずかに凌いだのだ。

 直撃の瞬間、奴は口から大量の亡骸を吐き出し、技の標的をずらしだ。そして自身は二射目の槍を地面に向けて噴射し、発射台から飛ぶロケットのように、後方へジャンプしたのだ。二重の防御策の前に、俺の必殺は破られた。


「……いや、まだだッ!」


 だがそんなことで諦める訳にはいかない。後ろで眠るリズレッドは、俺を信じてくれたのだ。二度の勝機の逸したくらいで、諦めるわけにはいかない。


『くそ……! ダメージがでかい!! だがお前ももう次手はないだろう! 再び距離を取って、今度こそ遠距離からぶち殺してやる!!』


 奴の言う通りだった。《ストライクブレイク》の再発動はまだ三十秒先。《罪滅ボシ》に至っては三時間のクールタイムが必要だ。

 俺が習得している二つのスキルは、全て撃ち尽くしてしまっていた。


「あと一撃……あと一撃なんだ……ッ!」

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