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「……邪魔をするのか、ラビ」


 振り向いたリズレッドの表情を見て、背筋が凍った。

 微塵も感情を感じられなかった。なにも湧き上がるものがない無熱量の双眸が、虚空でも見るように俺を映していた。


「リズレッド! 一度落ち着くんだ!」

「……ああ、落ち着いてるよ。先ほどから、とても落ち着いている」


 恐ろしいほど平坦な声で応えられ、それで気づいた。彼女の手が震えていなかった。同族を斬るのが辛いと呻吟し、恐怖で震えていた手が、いまは静かに、血濡れた純白の剣を握っていた。

 俺は咄嗟に彼女を引っ張って後退した。後ろへ飛んだ途端、ドラウグルが触手のような鞭を振るい、間一髪で避ける。


「……ほう、まだそんな力があったのか」


 彼女は俺に手を引かれながら、次に奴が同じ攻撃をしたときに、どう迎撃するかを冷静に算出していた。自分が父親を容赦なく斬り殺そうとしたことなど、もう忘れているように。


「リズレッド! 聞くんだ! 奴が憎いのはわかる! だけどこれでいいのか!? なんの気持ちも込めずに振るった一刀で目的を達成して、お前はそれで救われるのか!?」

「……私が救われるかどうかを、今議論している場合ではない」

「している場合だ! 言っただろう、エルダーの人たちを救うのは、リズレッドを救うためでもあるって! こんな状態で目的を達成しても、お前の心が救われるとは、俺にはどうして思えない!」

「……ラビ、仕方のないことだ。目的を達成するためには、削り取らなければいけない物もある」

「それが自分の心であってもか!?」

「……そうだ」


 俺は目眩がした。目的を遂げるために手段を選ばない。たとえその犠牲が自分であっても、過程を無視して結論を確約する。そう言い放つ彼女が、不意に機械のように映った。何を話しかけても同じ言葉を返し、フラグを回収すれば機械的に会話内容を変更するだけの、条件分岐で成り立つNPCに、次第に彼女が変わっていく気がした。


「違う! リズレッド! お前はそんな奴じゃない!!」

「……言っている意味がわからない」

「お前は言っていたじゃないか! ゾンビとなってもエルダーの人たちを斬るのは辛いって! なのにいまはどうだ? 辛いと感じるか? 剣を握る手は、震えているか!?」

「……ラビ、仕方のないことだ。目的を達成するためには、削り取らなければいけない物もある」

「……っ」


 限界だったのだ。

 彼女の心は大量の同族殺しの罪悪感の前に、その心を消しかけていた。やはりあのとき、彼女の信念を曲げてでも止めるべきだったのか。これ以上の戦闘行為は、本当に取り返しのつかないことになってしまう。

 だがリズレッドは腕を振り払い、さらにドラウグルを向かおうとした。慌てて静止する俺に対し、彼女は反射のように剣を振るう。


 ビッ


「――あ」


 どちらが発したかわからない、短い声が聞こえた。

 俺は自分がなにをされたのかわからず、一瞬戸惑ったが、微量のダメージを告げるメッセージがウィンドウに表示されているのを見て、静止した手を確認した。

 そこには、手のひらに残るダメージエフェクトがあった。カッターで切りつけられたように斜めに刃筋が通っていて、無論、血はでなかったが、その代わりというように、痛々しさを感じるほどに、真っ赤に発光していた。


「……ラビ……私は……え……?」


 機械のようだった彼女の声に、怖れが混じった。自分のしでかしたことに自分が信じられず、狼狽しているようだった。召喚者の体なので痛みはなかったが、リズレッドに剣を向けられたことが、自分でも驚くほどショックだった。

 俺はエフェクトを見つめながら決心をした。

 ぐい、と彼女にそれを伸ばし、眼前に明滅する赤い傷を見せつけた。


「あ……あ……」

「……いま道を間違えば、みんなこうなるぞ」


 それは賭けだった。

 もしかすると、彼女はこれをきっかけに本当に壊れてしまうかもしれない。

 だがどの道、ただのNPCのようになってしまうなら、少しの望みに託したかった。

 気休めの言葉では、今の彼女は救えないと思ったのだ。

 果たして彼女は、


「……ごめん……なさい……ラビ……私は……とんでもない……ことを……」


 怯えた表情で手を取ると、精一杯の謝罪をしてきた。

 その双眸には涙が滲み、無感情の機械的な面影は、次第に消えていった。土壇場のところで、ただの復讐するNPCから、リズレッドが戻ってきたのだ。

 俺は勢いのまま、彼女を抱きしめた。


「……正気に戻ったか?」

「……うん」

「……心配させるな」

「……うん」

「……じゃあ、今は一旦休め」

「……」

「……心配するな。最後に決着を付けるのはリズレッドだ。俺はそこまでの道を作るだけだ。だから今は休むんだ」

「……ありがとう」

「ん」


 そう言ってリズレッドの頭を一回、ぽんと叩いた。自分の傷つけた手で撫でられた彼女は、安心したようにそれを受け入れ、全体重を俺に委ねた。

 彼女は気を失っていた。ここに来るまでに張り詰めていた緊張の糸が、ついにぷっつりと千切れたのだろう。

 それは彼女が俺を信頼し、バトンを渡してくれたことに他ならなかった。

 俺はゆっくりとリズレッドを床に寝かせると、立ち上がり、前方に待つ悪鬼を睨みつけた。


『話は 終わったか?』

「ああ」


 奴は俺たちの光景を、面白いショーのように眺めていた。勝ちを確信しているのだ。心がぼろぼろになった騎士と、遥かに格下の俺の二人では、どうやっても自分には勝てないと。

 悔しいが、それは紛れもない事実だった。彼女に相当ダメージを負わされているとはいえ、ドラウグルはレベル16の召喚者が一人で相手取れる奴ではない。

 それでも俺は、ここから一歩も引く気はなかった。後ろで眠る彼女に、俺を信じてくれたリズレッドに、俺は応えたいのだ。


「覚悟しろドラウグル」


 剣を握って言葉を発した。

 にやにやと笑う悪鬼を見据え、力強く床を蹴る。


(リズレッド……いまはゆっくり休んでいてくれ)


 後方のリズレッドがどんどん小さくなるのと反比例し、ドラウグルの総身は大きくなった。

 ひとりで大敵と戦うのは思えば初めてだ。この一戦が俺にとっての、初めての初陣な気がした。

 騎士の弟子が悪鬼に挑む。ありったけの戦略を、勇気を、この一刀に注ぎ込む気構えで俺は走った。

 遠くで見るのと近くで見るのとではやはり迫力が違う。蠢くエルダーの遺体も、より鮮明に捉えることができた。まさしく悪意の塊だった。

 奴は全身から腕をつなぎ合わせた鞭を伸ばし、迎撃の体制に入る。びゅんびゅんと風切り音を鳴らして飛んでくる攻撃を、俺は不恰好に回避しつつ、なおも前進した。

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