35
「どうしたんだい? パパやママは?」
怯えた顔でメルキオールは応えた。
「……わからないです。魔物が攻めてきて、無茶苦茶に走っていたら、いつの間にか誰もいなくなってて……」
「……そうか」
彼の言葉を信じるのなら、この惨状の中で、はぐれた家族が生き残っている確率はかなり低いだろう。この子だけでもこうして無事なのは、とても幸運なことだった。
「よく魔物から逃げてこれたな、偉いぞ」
「お姉ちゃんが助けてくれたんだ」
「お姉ちゃん?」
「うん、一人で逃げてたら魔物に囲まれちゃって、そのとき助けてくれたんだよ」
「そうだったのか……それで、そのお姉ちゃんは?」
そう問いかけると、メルキオールは俯いて黙り込んでしまった。その反応に不安がよぎる。
「……ごめん、言いたくないことならいいんだ」
「ううん、まだ生きてるよ」
「そうなのか! じゃあすぐ応えてくれよ、てっきり……」
「でも……ゾンビに噛まれちゃって……」
そう言われて、再び言葉を飲み込んだ。
なぜ彼が俯いているのか理解できた。ゾンビに噛まれた者の末路はよく知っている。ここまで自分を助けてくれた人が、どんどん化物になっていく様を見たこの少年の動揺は、凄まじいものがあっただろう。
「良く頑張ったな」
頭を撫でながらそう言うと、メルキオールは溜まっていたものを吐き出すように、口火を切った。
「僕はお姉ちゃんのおかげでここまでこれたんだ。ゾンビに噛まれたのだって僕を守るためだった。なのに僕は逃げたんだ」
「……お姉ちゃんは、君を逃してくれたんだ。最後の力で」
「……うん。最後に『逃げなさい!』って言ってくれたよ」
「お姉ちゃんはまだ、人のままなのか?」
「……僕が最後に見たときは。でも凄く辛そうで、腕も変な色に変わりはじめちゃって……」
「……」
会話を聞いていたリズレッドが、警戒しつつも、どこか観念したように近づいてきた。
俺は彼女に、小声で相談した。
(完全にゾンビになる前なら、なんとかな人に戻せないか?)
(……あるにはあるが、魔法職でなく、持ち合わせもない私たちでは……)
(そんな……)
悄然とした。
せっかく生き残りを見つけたというのに、その一人はすでに毒牙にかかり、俺たちに打つ手はないなんて。
いま、俺達には二つの選択肢があった。一つはこのまま玉座の間へ行き、目的を迅速に達成する道。そしてもう一つは、その前にこの子供ともう一人の生存者を確認し、適切な処置を行ってから、玉座へと向かう道だ。
リズレッドの精神状態から考えて、一番の得策は前者だ。ゾンビ化が始まってしまったエルフを助ける術を、現状の俺たちは持っていない。《破魔》は俺自身にアンデッド耐性をもたらしてくれるが、第三者にそれを行使することはできなかった。
ならばせめて、最速の選択肢を選ぶべきだった。
だが目の前の子供を見捨てる訳にもいかず、
「……メルキオールだけでも、どこか安全なところに逃がせないかな」
そう提案すると、リズレッドはかぶりを振った。
「……残念だが、この国に安全な場所など、もうどこにもない。今まで身を隠せた倉庫があっただけでも奇跡だ」
「……俺たちと一緒に行動させるっていうのは……いや、だめか」
どこにも安全な場所がないのなら、俺たちと共にいたほうが安全なのではないかと考えたが、それも浅はかだと気づいて言い留めた。愚者の恐怖はその力だけでなく、見た目の醜悪さも含まれる。屈強な精神を持つリズレッドでさえ相当の負担を強いられているのだ。子供が、同郷のエルフの変わりきった姿を何度も目にしたら、必ずパニックになる。そうすると俺たちの力ではかばい切れなくなるだろう。それは俺たちにとってもメルキオールにとっても、決して良い結果にはならない。やはりどこかに匿っておく必要があるのだ。
どちらの選択肢も選べないまま時間が過ぎた。すると不意にリズレッドが溜め息をつき、俺と同じように腰を折って目線をメルキオールまで下げると、一つの提案を下した。
「……倉庫へ案内できるか?」
「え?」
「君と一緒に隠れているエルフをなんとかして、再び君をそこに匿う。それがいまできる最良の策だ」
思わず息を呑んだ。言葉を濁しているが、それは最も残酷で凄愴な選択肢だった。
「……お姉ちゃんをころすの?」
「……」
だが子供の率直な疑問が、その紗幕な糊塗を容赦なく剥ぎ取った。リズレッドも俺も、苦い顔をして押し黙るしかなかった。無垢ゆえの真意さが心に刺さった。俺はその真っ直ぐな目線を手振りで遮断すると、
「それは行ってから考えるよ。さ、君を助けてくれたお姉ちゃんのところへ案内してくれよ」
なるべく軽い口調で返した。
リズレッドがほっとした顔で礼をしたのが目の端に見えた。
「わかった、ついてきてよ」
メルキオールは辺りを警戒しながら俺たちを倉庫まで案内してくれた。途中で何度か徘徊するゾンビを目撃し、身を隠しながら進む。その最中、俺は案内をしてくれる彼の身のこなしに感心した。驚くほど隠れるのが上手く、子供ながらの軽快さと、体の小ささを最大限に利用していたのだ。たくみにゾンビの索敵から逃れ、時折、俺たちよりも早くゾンビの存在に気づくことすらあった。、子供のほうが野生本能が強いというが、まさにそのような感じである。
「すごいな……どこかで訓練でもしていたのか?」
「へへ、友達と一緒に鬼ごっこするのと同じだよ」
メルキオールは自慢気にそう応えた。鬼ごっこやかくれんぼなどは、外敵が多くいた時代に人が遊びとして組み込んだ、訓練の一種なのかもしれない。そんな仮説が思い浮かんだ。
しばらくその頼もしい案内役についていくと、ほどなくして目的地に辿り着く。倉庫は三階の突き当りにある給仕室を入り、そこから更に進んだ先にあった。食糧庫のようで、ぽつんと配置された扉だけが唯一の出入口だった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
重たい扉をメルキオールに代わって開くと、そこには簡易に作られた藁のベッドに眠る、一人のエルフがいた。
石で造られたその部屋は、さながら彼女を閉じ込めておくための牢獄のように映った。
「なん……で……もどって……きた……の……」
薄いライトイエローの髪を肩で揃えたその子は、かそけき声でそう発した。
「シャナ!!」
途端、後ろにいたリズレッドの声が跳ねた。
「シャナ! 無事だったのか!」
「リズ……?」
倒れたエルフに駆け寄り、声をかけるリズレッドは困惑と嬉しさが同時に湧きあがったような様子だった。
俺は二人に近寄り、興奮するリズレッドに話しかけた。
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