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 そして俺たちは彼の亡骸を残し、礼拝堂をあとにした。

 右の袖廊を進み、ぐるりと城を周るようにして作られた通路を通ると、おびただしいほどの血痕や争いの痕跡が残っていた。ここであった凄惨な光景が、この目で見たかのように浮かび上がった。そして実際にそれを見ていたリズレッドは、トラウマが呼び覚まされる思いだろう。

 リズレッドの手を握ると、彼女はそれを握り返した。細く白皙の指が、その見た目通り、今は小刻みに震えている。俺たちは現在エルダー城の二階にいる。玉座の間まであと二階上る必要があり、その間にどれだけ彼女の心を砕く光景を見ることになるのだろうと思うと、気が重い。

 彼女はそれに対し「大丈夫」と、こちらの思惟を読み取ったように呟いたが、割れる寸前の陶器を思わせる様相だった。

 俺はぴったりと彼女の前にくっついた。なるべくこの有様を視界に入れないようにと思ってのことだったが、彼女もそれに応えるように、吐息が当たりそうなほどの近さで、俺の背中に寄り添ってくれた。

 実際、その行為は正解だった。進めば進むほど生々しい死の気配は強まっていった。唯一の救いは遺体が全くないことだが、それだけこの城を彷徨う愚者の数が多いことを示しており、右手に手を、左手に剣を握り、俺は守ることと攻めることの両方を、同時にこなす必要があった。


「ドラウグルって奴、やっぱりまだここにいるのかもな……」

「それは、なぜだ?」

「犠牲になったエルダーの人たちの姿がなさすぎる。城下町にはまだ遺体が遺ってだろ? それだけここのゾンビを指揮して、効率的に手駒を増やしてるってことは……」

「……ここで直接指示を出している可能性が高い、か」


 憶測だが、無視もできない可能性だった。なのでリズレッドにも相談したのだが、慣れ親しんだ人々がほぼゾンビになっているという推測は、場の空気はますます重くなる一方だった。


「俺が必ず守るから」


 そう言って手を強く握りしめると、彼女は、


「……ふふ、この城に来てから、すっかり頼もしくなったな」


 と苦笑した。こういうエスコートは慣れていないのか、戸惑いが混じる声音だった。

 俺はそれにどう応えていいかわからず、空咳をしたあと、もう一度彼女の手を強く握った。彼女の手も、それと同じくらい強く、俺の手を握った。

 俺は歩調を早め、玉座の間に急いだ。



《エルダー城・三階》



 三階は二階とは雰囲気が変わり、赤絨毯の床に、鮮やかなターコイズブルーの壁が目を引く、来賓用の豪奢な通路となっていた。エルフの歴史を描いたらしき絵画がずらりと並んでいるが、侵攻の被害により、今はズタズタに引き裂かれ、額が割れ落ちているものも多かった。

 一つの国が落ちるということは、そこに蓄えられていた文化が消滅することも意味していた。無残に破壊されたこの芸術品たちには、一体どのような背景があり、どれだけの価値があったのだろう。

 魔王軍が進軍してこなければ、ひょっとしたらここが俺の出発地点になったのかもしれない。『ラビ・ホワイト』としての故郷に。

 そう思うと、勝手ながらこちらまで、屈辱さが込み上げてきた。

 重たい気分のまま中庭が見えるバルコニーに差し掛かると、曲がり角の先からゴソゴソと物音が聞こえた。


「ッ!」「っ!」


 二人同時に剣を構える。また騎士団のゾンビか、それとも普通のゾンビか。いや、もしやドラウグルが――。

 心臓が早鐘を打った。バルコニーからは夜空が見えるが、光源としては心もとなく、周囲に設置された数個のランプの灯だけが、唯一の明かりだった。

 曲がり角の先は、先ほどの物音を最後に、不気味に静かになっていた。緊張が最高潮に達したとき、


『だれかいるんですか?』


 およそこの状況に似つかわしくない声が響いた。線の細い、子供のような声だった。

 予想外のことに、一瞬動きが止まった。あの曲がり角の先にいるのが誰であれ、戦闘は避けられない相手だと思っていたのだ。それがまさか……。


(油断するな、ラビ)


 安心が顔に出ていたのだろうか。リズレッドに釘を刺された。


「何者だ、姿を見せろ」


 彼女が威嚇するような鋭い声を放った。目線は前方に固定しながら「子供の声を真似て、油断を誘う魔物もいる」と教えてくれた。

 十分に警戒しているつもりだったが、子供の声を聞いた途端、つい気が緩んでしまった。安全な現実世界で生きてきた俺と、死と隣り合わせの世界で生きてきた彼女の、経験の差が出たのだ。


『ころさない?』


 怯えた声が、角の先から発せられる。せめて影が確認できれば相手が魔物かどうか確認できるのだが、バルコニー側と違い、向こうの通路側はランプが乏しく、なにも見えなかった。


『ころさない?』

「それはお前次第だ」


 リズレッドが静謐に告げた。考えうる限りの最適解をケースバイケースで何個も用意し、相手の行動次第で、それを即座に決行する。そういう態度だった。《スカーレッド・ルナー》……俺はその二つ名に、初めて怖れを抱いた。


『いまそっちにいくよ』


 そう言うと、角から一つの影が姿を見せた。横にいるリズレッドは、感情のない瞳でそれを凝視する。そして、


「これでいい?」


 現れたのは、やはり子供だった。

 リズレッド同様、きめ細やかな金髪と、蒼天を思い起こす蒼瞳が特徴的な、美少年と言っても過言ではない容貌の子だった。耳が尖っていることからエルフなのは間違いない。

 子供がなぜこんな所にいるのか疑問に思い、歩み寄ろうとしたが、リズレッドは尚も警戒を解かず、剣を向けたまま、ゆっくりと彼に近づくと、


「名は?」


 と酷薄に告げた。

 

「メルキオールです」


 そう応える少年は、彼女に雰囲気に気圧され、今にも震えて泣き出しそうだった。

 リズレッドの対応は正しい。この状況で、彼のような子供が生き残れる確率は低く、人間に化けた魔物である可能性は高い。だがそれでも子供に剣を向けるリズレッドを、俺は見たくなかった。


「リズレッド、ここは俺に任せてくれ」


 そう言って前に出ると、彼女は怒声にも似た声音でそれを静止しようとした。それだけ俺のことを気遣い、緊張の糸を張っているのだろう。だがそれを無視してメルキオールと名乗った子供に近づくと、目線を彼の位置まで下げて訊いた。

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