第102話 死後あれこれ
時の流れが早すぎる。
週五日働くようになってから、時間の経過が恐ろしく早く感じるようになりました。だいぶ異動先に慣れてきた、と言えなくもない。
働いている時間は以前とそう変わらないはずなのに、以前よりもまして時が消し飛んだかのよう。気づけば11月中旬。今月これまでにやったことと言えば、外伝の一話あげて蛇食っただけじゃないか。
外伝一話あげた時はこの調子なら、と思いましたが……甘かった。早朝に起きて、昼間働いて、帰ってきたら雑事をこなして、さらに私用が入った日にはパソコンの電源を入れる間もなく寝るしかありませんでした。おかげで最近始めたSNSもまるで更新できていない……これが昼勤の実態か……。
新しい仕事に慣れてきたことは望ましいことですが、物事が進めばまた新しい弊害も出てくるもの。悔しいなぁ。何か一つできるようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ(唐突な炭治郎)。
いやほんと、世の中の物書きってどうやって書く時間捻出してんの……?
時間に追われれば、自然とその終焉。死についても考えるようになるもの。
幼い頃の話ですが、私は自分という生命についてこう考えていました。
本当の自分は天国にいて、誰かの肉体を通じて地上で暮らしている(モニター越しに見ている感じ。今で言うVRに近い)。仮に死んだとしても、また自分の意思を保ったまま天国から降ってくる。肉体は変わっても、自分という存在は永遠に消滅しないのだと思っていました。子供らしい実に能天気な世界観ですね。
その割に、母から「太陽はいつか膨張して地球を飲み込むんやで」という話を聞かされた時は、大いにビビり、泣きわめきました。
なんでや。お前の本体は天国におるんちゃうんかい――と突っ込みたくなるところですが、当時の私は地球に天国があると信じていたのです。外国かよ。まあ、アメリカが隣の県くらいの認識だった時分ですから無理もないのですが。だって天気予報には日本地図しか出てこないじゃん。あれが世界の全てだって思うでしょ?
とはいえ、そのうち太陽が何もかもを飲み込むという事実は当時の私でも、どうやっても逃れられない絶対的な絶望だったのですね。太陽すげぇ。
そんな幼少の頃を思い返すくらい、私も死について考えるようになりました。
私に残された時間はどれくらいなのか。
やりたいことばかりの欲にまみれた人生。
そのうちの何%にチャレンジする時間が残されていて、何%を実現できるのか。
あーあ、人生が五回ぐらいあったらなぁ(唐突な井上織姫)。
生きているだけで幸福を感じられない私は、きっと贅沢なんでしょう。
でも、そうじゃなきゃ文章書きなんてやってない。
この世に作品を残せば、私が消えても「私」は残り続ける。
私がこの年齢まで創作活動を辞められないのは、作品を通じて自己の永遠性を求めているからかもしれません。
……なんだ、子供のころからちっとも変っていないんじゃないか、私は。
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