第61話(シーディス視点)

「くそったれ……」


 ぶつける先のない苛立ちが、折り重なっていく。気づけば動かしていたはずのペン先が、止まっていた。


「何やってんだ俺は」


 仕上げる必要がある書類の処理が、全く進んでいない。意識せずについた溜息が、やたらと長くなった。


『おいまさか、気づいてなかった。なんて間の抜けたこと言うつもりか?』


  ―― うるせえな、黙れよ


 ギーニアスの癇に障る表情と、声を思い出し悪態をつく。

 レイザードと分かれ、部屋を出たあいつを追いかける。その先で、あいつは忠告だと口にした。


『俺に見せやがった間抜け面を、外で見せるのは止めておけよ』


 何のことだと返せば、短く鼻で笑ってきやがった。


『ガキへの態度のことに、決まってるだろうが。あれを外でやってみろ。俺の弱点は、こいつだと宣言して回っているようなものだぞ』


 横っ面を引っ叩かれた気がした。


 ―― 馬鹿か、俺は


 レイザードの姿が、目に入ると他に気がいなくなる。自覚は、あったはずだ。

けれど、どうだ。今こいつが、俺に指摘するまで忘れていなかったか。

 気づいて当たり前のことを、レイザードと関われる嬉しさに浮かれて失念していた。


 急激に力をつけた俺を、良く思わない奴らは多い。大概の連中が、せいぜい陰口を叩くだけの小物でしかない。だが人間というのは、どこまでも愚かになれる。

 そいつらが俺のレイザードに対する態度を、目のあたりにすればどう動くか予測できない。


『一時的とはいえ、あいつをお前のもとで働かせるのも止めておくんだな』


 特別扱いをすれば、それだけレイザードを危険にさらす。

 言われなくとも、普段なら気づけていることだ。それが彼に関わると、平静を保てていれなかったらしい。


 貴族だろうと、王家が関わろうと必ず守る。そのために金も、地位も手に入れた。いざというときのために、他国で商売をしているのもそのためだ。

 だというのに俺自らが、あの子を危険にさらすような間抜けをしちまった。


「礼を言う」

「気持ち悪りいな。いらねえよ」


 人が素直に礼を言ったてのに、相変わらず口の悪い奴だ。

 皮肉に嘲りと、こいつの口から出るのは碌でもないものが多い。だが義理堅い奴でもある。こいつが俺と取引をするのも、治癒の力を貸すのもたった一度こいつを助けたことがあるからだ。

 わざわざ忠告と口にして気づかせたのも、こいつの言う貸しを返すためだろう。


『それより面倒臭せえから、さっさとものにして来いよ。俺のものだと、公言しちまえば馬鹿共も手は出せねえだろう。表立ってお前に、喧嘩を売るようなものだからな』

『馬鹿なことを言うな。あの子は、俺の事なんて……ちょっとまて、まさかお前……』


 血の気が引くのを感じる。いまこいつは、何て言った?

 口元が痙攣する。嘘だろ。まさか気づかれてたのか。


『お前のガキに対する態度を見て、気づかねえわけないだろうが。幼児でも気づくぞ』

『嘘……だろ』


 俺はギーニアスに、どこまで間抜け面を晒してたんだ。思わず手で顔を覆い、天を仰ぐ。


『安心しとけ。ガキは鈍いから、気づいてねえよ』

『鈍いというな』


 最悪の事態が頭をよぎったが、なんとか大丈夫だったようだ。安堵からギーニアスへ言い返すと同時に、長いため息がこぼれる。


『落ち込みながら、どうでもいいことに突っ込むな。あんな露骨なお前を見て、気づかない時点で鈍いのは間違いないだろうが。

んなことは、どうでもいいんだよ。ならさっさと、玉砕して諦めつけてこい』

『それができたら、苦労しねえよ』


 どっちにしろ俺が抱いている想いを、知られることになる。

 ものにして来いだと? 無茶言うな。あの子は、俺のことをそういう意味で好いていない。それでも頷かせるといのなら、あの子の意志を無視してということになる。


 ―― そんなこと、できるわけがないだろう


 幸せであってほしい。そう願っているのに、あの子を傷つけることなんてできやしない。

 かといって、分かりきった答えを聞きに行く度胸もなかった。


 それに商売をするうえでの元締めから、思いを告げられて断ればあの子は商売がしにくくなるだろう。どっちにしろあの子にとって、いいことじゃない。

 それだけじゃない。優しいあの子は、俺を傷つけないために頷く可能性もある。

そうなったら、最悪の事態だ。


『どっちにしろあの子を、傷つけかねないんだよ。俺はあの子を、傷つけるつもりはない』 

『それで、手こまねいて見てるのか。なら聞くがお前、ガキが誰か他の奴のものになっても平気なのか。ガキの隣にいるのが、自分じゃなくてもいいって?」


 レイザードにとって、特別であろう相手があの子の隣にいる状況を想像する。


 ―― 当たり前だ


 あの子が望んだ相手なら、幸せであるのなら俺である必要はないんだ。

 そうかまわないはずだ。だってのになんで、声に出せない。

 たった一言、返せば済む話だ。なぜそんな単純なことができない。 


『傷つけたくないのはあのガキじゃなくて、お前自身が傷つきたくないだけだろ』

『どういう意味だ』


 言葉が出てこず口を閉じたままの俺に向かい、呆れをのせた視線を向けてくる。

なんとか言葉を出せば、声に出さずに冷笑を返してきた。


「元々奴隷だったお前が、今の立場を築くには相当な道だったろう。綺麗ごとだけでやってけるわけもない。上手いことやってガキと一緒にいられる事になって、傍にいられればいるだけその『綺麗ごと』じゃねえ部分を知られる可能性が高くなる。それを知られてガキに拒絶されて、自分が傷つくのが怖いんじゃねえのかってことだよ。ようするにお前は、自分が傷つきたくない理由にガキを使ってるだけってことだ」


 なんて医者だ。気づきたくもない事実を、こっちの都合もお構いなしに指摘してきやがる。

 あの子は俺を、優しいといった。だが俺は、あの子の言葉とは程遠い。


 ―― 全然違うんだよ


 凄くもない、まして優しくもない。何処までも自分本位だ。その事実を、お前に知られたくない。

 奴隷であったことを、否定せずに受け入れてくれた。けれど俺が今までしてきたことを、知ればあの子は俺に嫌悪を抱くだろう。

 自分の蒔いた種だ。それでも知られる事を恐れている。


「……否定は、しねえよ」

「やけに素直だな。まあいい、理解したってなら結構だ。ああそうだガキにもいったが、この件に関して俺を巻き込むなよ。俺の関わらないところで、くっつこうが砕け散ろうがかまねえが絶対に俺を巻き込むな。人の色恋なんざ、面倒くせえだけだからな」


 どうせ気づいているんだ。否定しても、また鼻で笑ってくるのは分かりきっている。だから肯定すれば、軽く肩を竦める。

 そして言いたいことだけ、好き勝手に言いやがったあと背を向けた。


『おいまだ仕事の話が、終わってないぞ』

『用がある。明日にしろ。お前のせいで、無駄な時間とっちまった』


 ―― 俺の都合は、どうなる


 人の予定も確認せずに、去っていく。どうせ明日、あいつの都合のいい時間に来るつもりなんだろう。

 ふざけるなと思いもするが、遅れた一因は俺にもあるから強く言えやしない。

ここで言い返したところで、レイザードがらみで何を言われるか分かったもんじゃない。仕方なく黙って、去っていく背中を見送った。





 ギーニアスの言ったことは、間違っちゃいない。

けれど解決の糸口などない事実を、突きつけられた苛立ちが湧き上がってくる。

 今はこの場にいやしないが、俺がまだグダグダ考えていることをしればあいつはまた馬鹿にした笑みを返すだろう。


 集中が続かない。このまま続けても、仕事は進みやしない。

 気分を変えるために、市場に向かうことにした。別に無駄な事じゃない。実際に、見に行き様子を見るのは大事なことだ。


 言い訳がましい考えがうかび、乾いた笑いがもれる。

 なにが無駄じゃない。大事なことだ。俺が市場に向かおうとしている理由は、一つだ。今日はレイザードが、店を開いている。あそこにいけば、あの子に会うことが出来る。


 あの子に会いに来たのだと、周りに気づかれないように気をつけねえとな。真面目に他の店の様子も、見ることにするか。


 誰に聞かれたわけでもないのに、言い訳を何重にも重ねて扉を開けた。





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