第60話

 

 手紙が、届いた。


 送り主は確認しなくても、誰だかわかる。俺に手紙を送ってくる希少な人物なんて、いまのところ一人しかいない。

 誰からか確認せずに、封を開けて手紙を開く。


 始まりに律義に名を記してあるところは相変わらずだ。

『ヴァルゼーエン』

 隣の家の住人の名前だ。彼は所割、お助けキャラである。ゲームを始めると、詳しく説明をしてプレイヤーを助けてくれるキャラがいたりする。それが彼である。

彼にはとても助けられた。


『レイザード』


 目の前にいる男に、いきなり声をかけられたときは何事かと思った記憶がある。

そしてどうみても日本人である俺に向かい、横文字の名を呼んできたから頭がおかしいのかと思ったのは内緒だ。



 気づいたらこの世界にいたから、右も左も分からない。大げさに言った。流石にそれくらいは分かる。ただここでの常識とか、金勘定の仕方とか買い物の方法とか生活に根差したことが全く分からない。そんな俺を、助けてくれたのが彼である。


 年上なのだが、敬語ではなくため口で話している。年上だと有無を言わさずに、敬語になってしまうんだがそうはならない数少ないキャラだ。


 モブである俺の口調は、悲しいかな限定されている。年上、身分の高いものには自動で、敬語になる。まあ酔っ払い達には、ため口になったが奴らは例外だ。


 だから選ぶ余地もなく、彼には敬語であったし敬称もつけていたんだが――

本人から敬語は、不要であると告げられた。相手の希望があったからなのに、ヴァルは歳上だというのに敬語抜きで話せるように変化している。


 そして本人が望んだから、名前を略して呼ぶようになったしさん付けも取れた。

 まあ『さん』付けが、なくなったのは良いと思っている。なんせ『ヴァル』と略したうえで、さんをつけると別の何かを連想させるからだ。


 お助けキャラだからか、ヴァルはとても面倒見がよかった。隣に住んでいるのだからと、何かと世話を焼いてもらっている。今でも、感謝している。


 その彼は今、この街にはいない。というか、この国にいないかもしれない。

 彼の仕事は、依頼人から依頼を受けて商品を手に入れて届けるというものだ。


俺がこの世界に来てからは、しばらく街にいたんだが学園に入ったのを機に元の仕事を再開した。

仕事柄、留守にしている事が多い。ただ今回は、いつもより出かけている期間が長いから心配はしていたんだが手紙を読む限り元気でやっているらしい。

 旅先から手紙を出しているから、返せないのが残念であるけれど様子がわかって嬉しく感じる。


「よし、頑張ろう」


 ヴァルが帰ってきたときに、情けない顔は見せられない。心配をかけてしまうからな。

 手紙を読んで気分も上がる。自分に気合を入れてから、用意しておいた商品を手に市場に向かった。

 


「いらっしゃいま……」

「やっほー、久しぶりだね。元気だった?」


 ―― お前が現れたせいで、全ての気力が消滅した


 お客さんが来たと思って、いらっしゃいませと言おうとして口元をひきつらせる羽目になる。視界に入れたくないナンバーワンを、独走している存在が現れたからだ。

 忘れたくとも、こびりついた恐怖のせいで記憶から消えてくれない――騎士Aだ。


 軽薄さが透けて見える笑みに、弧を描いた口元からこれまた軽い口調の言葉が発せられる。

 二度目あることは、三度あるという。けど四度目があるなんて聞いていない。


 笑顔を浮かべているが、俺にとっては恐怖でしかない。いくら軽そうな見た目に、口調だからといってそのまま受け止める事なんて無理だ。

 前に姿を見せてから、現れることもなかったから油断していた。

 一体今度は、何をしに来たんだ。


「ねえこれさ、他のより高いけど何か違いがあるの?」

「これは……」


 まさかの普通に、買い物をしに来たらしい。新商品に対して、質問をしてくる。

 疑わしいところもあるが、買い物に来た客として振舞っている以上は邪険にもできない。

 求められるままに、商品の説明をする。


「じゃあこれを、一個買うよ」

「ありがとうございます。箱を作るので、少々お待ちください」


 説明を終えると、購入の意思を示してきた。本当にこのまま、何事もなく帰ってくれるのだろうか。

 術を構築して、商品を氷の入れ物で包み込む。目の前で作るのが、好評で喜んでくれる人も多い。けどこいつが来るのが、分かっていたら絶対に既製品の箱を用意していただろう。その分こいつが、いる時間が短くなるからな。


 作りながら視線を動かし騎士Aを見ると、変わらずに軽薄な笑みを浮かべていた。なにかをしでかす様子も、今のところは見られない。


「どうぞ」

「ありがとう」


 ピッタリの金額を、差し出してきたのを受け取ってから商品を渡す。

どうやら心配のし過ぎだったようだ。このまま何事もなく、終わりそうである。


 ―― あれ……


 頭を下げようとしたとき、見知った姿が視界に写る。

 忙しい中で、市場の様子を見に来たのだろうか。シーディスさんが、他の店の人と話しているのが見えた。話し終えると、隣の屋台の人に声をかけている。

 あの様子だと、すぐにここまで来るだろう。


「レイザード、売れ行きはどうだ?」

「まずまずです」


 予想通りに隣の店の人と、話を終えたシーディスさんが声をかけてきた。


「客がいたのか。邪魔をして、すま……」


 言葉の途中で、僅かに目を見開いてシーディスさんの雰囲気が変わった。見た目は穏やかで、けれど態度も口調も格式ばったものに変化する。

 視線の先にいるのは、相変わらず軽薄な笑みを浮かべている騎士Aだ。

 頭を下げるシーディスさんに、騎士Aがあげるように促している。聞こえてくる会話から、面識があるのが分かった。

 



 あまり気軽に聞くのもなんだが、気になって騎士Aが去ってからシーディスさんに声をかける。


「あのお客さんと、お知り合いですか?」

「ああ、貴族とも取引があってな。大丈夫か。なにもされてないよな?」


 ―― 貴族だって?


 どうやら騎士Aは、貴族だったらしい。

 王子に仕えている様子だったから、貴族でも不思議じゃないとは思う。ただ見た目も口調も、軽いあいつと貴族という言葉があまり結びつかない。


「レイザード、どうした。まさかなにかされたのか」

「いえ普通に、買い物をされただけです」


 そう普通だ。可笑しいところは、何もない。警戒していたけれど、最後まで何事もなく去っていった。


「もし何かされたら、絶対に言ってくれ。相手が貴族だろと、必ず……」

「ギルド長?」


 途中で言葉を切って、言い出せずに飲み込んだようなそんな表情をした。必ず何だろうか。


「いや……困ったことがあったら言うんだぞ。ここで問題があれば、相手が貴族でもギルド長の俺が対処するからな」

「はい、ありがとうございます」 


 どうやら自分が貸している場所で、トラブルがあることを心配していたらしい。色々と迷惑をかけておいて、この上さらに積み重ねるつもりはない。注意を、することにしよう。


「あのギルド長、お手すきの時に返済に伺いたのですが。ご都合のいい日はありますか?」

「そうだな、明後日の昼なら時間がとれる」


 いくら盛況な市場だと言っても、普通の声量だと他に聞かれてしまう。借金があるなんて、あまりしられないほうがいい。近づいてから、小声で話しかける。

 声量を下げた俺に合わせてくれたのか、シーディスさんも声を落としてくれた。


「レイザード、お前の返したいっていう意思は尊重する。けど無理は、するなよ」


 急ぐ必要はない。いつでもいいのだと、気遣われてしまう。本来なら俺のほうが、気遣いを見せないといけないというのにこれでは逆だ。


「はい。ご迷惑を、おかけしないように気をつけます」

「お前のことを、迷惑に思うわけがないだろう」


 馬鹿なことを言うなと口にしてから、目を細めて穏やかな視線を向けてくる。

とっさになんて返していいか分からずに、礼を言って頭を下げるにとどめた。


 それにしても同じ笑うのでも、随分と違う。騎士Aには、笑みを向けられても寒気しかしない。けれどシーディスさんの笑みは温かさが伝わってくる。


 ―― 一緒にするのは、失礼か


 騎士Aの浮かべる笑みは、裏がありそうで胡散臭い。けれどシーディスさんの優しさは、絶対に嘘じゃない。


 平民である俺が、貴族である騎士Aに顔が胡散臭いなんて口にしたら大変なことになる。だから絶対に、声に出しては言わないけれどあいつに会うたびに思っていることだ。

 出来るなら、もう会いたくない。なんで店に来たのかは、知らない。けどまた来る可能性は、ゼロじゃないだろう。誰かに頼んで、場所を交換してもらったほうがいいだろうか。


「おやギルド長、お越しだったのですか?」

「ああ、どんな様子が確かめにな。それじゃあな、頑張れよ」


 商品を運んでいる最中の店員が、シーディスさんに声をかけた。それにこたえてから、俺の肩を軽く叩くと背を向けて話し始める。


 ―― ちゃんと休めているんだろうか


 一人が話しかければ、また別の人が声をかける。

 市場全体を、視察するつもりなのかもしれない。忙しいうえに、こうやって店を実際に見に来るのはとんでもない労力だろう。

 休むことより仕事を優先して、倒れてしまうイベントがあったから心配になってくる。

 余計な話をして、引き留めなければよかった。借金の返済のことは、まだしも騎士Aのことなんてわざわざ聞かなくても良かった事だ。


 ―― 迷惑ばかりかけて、ろくなことしてないな


 今度何か、お詫びの品を持っていくことにしよう。


 ―― 何を持っていこうか


 シーディスさんは、お金持ちだから大概のものは手に入れられる。手に入れられないようなものを、俺が買って渡すのは不可能に近い。

 これが俺ではなくて、ロイなら手料理を作るだけでも礼にもなるし詫びにもなるだろう。実際に主人公のロイが、シーディスさんに料理を振舞うイベントがあった。

けど俺では、迷惑にしかならない。あれはロイであるからこそ、喜んでいたのだから。


 ―― お詫びって、難しいな……


 視線をあげるといつのまにかシーディスさんの背中が、小さくなっていた。その姿をいつも通りの愛想のない顔で見送りながら、頭を捻り続けた。







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