第57話
―― 完売!
綺麗に何もなくなったテーブルを、眺めながら喜びに浸る。
残念なことに、表情筋は仕事を放棄しているから何も変化はない。だが表面上は何も変わっていなくとも、喜びに打ち震えているんだ。
頑張っていつもの倍の量を、作った氷の置物が全て売れた。桜をモチーフに作ったのも、珍しいからといって買っていってくれる人も多くいた。
何日か徹夜をして、作ったせいでかなり眠いが結果良ければすべて良しというやつである。
返すべき金額から考えれば、雀の涙くらいでしかない。それでも塵も積もればというやつだ。いつかきっと、完済できるはず……。
うっかり返済すべき数字を、思い浮かべてしまい気が遠くなる。
自分を奮い立たせるために、萌えイベントを妄想してみるがそのまえに数字がちらつく。
―― まずい
萌えを純粋に楽しめないなんて、大問題だ。とりあえず今日の稼げた分だけでも、返せるように先生に知恵を借りに行くことにしよう。
―― そういえば先生は、どこに行けば会えるんだ?
先生に相談に行ことして、早々に問題が立ちふさがる。居場所が分からない。この街に、定住しているわけではないことは聞いている。けどしばらく仕事があるから、この街に滞在するとは言っていた。だからどこかにはいるのだろうけれど……
よしシーディスさんに、聞きに行こう。
きっとギルドにいるはずだ。
忙しい人だから、ギルドにいないかもしれない。だからといってお店のほうに、いる保障もない。けどやみくもに探すより、よほどいいだろう。
そうと決まれば、さっそく動こう。手早く後片付けを済ませる。
「お先に失礼します」
「おう、お疲れさん」
「あら、よく売れたじゃないか。良かったね」
両脇で、店を出している人に声をかけて頭を下げる。
些細なことだが、円滑に商売をするためには重要なことだ。
なんせ俺は、表情の差分が少ない。
愛想のない表情に、挨拶もせずに礼儀正しさもないという要素が加わったら最悪だろう。周りからの評価は、だだ下がりである。
だから愛想のなさを補うために、きちんと挨拶もするし態度にも気を付けているんだ。
幸い両隣で、店をしている人たちは良い人だ。ほぼ無表情の俺に、腹を立てる様子もない。このまえ食事を抜いてきて、腹の音を鳴らしていたら朝食用にもってきていたおかずを分けてくれた。
礼を言い頭を下げて、シーディスさんがいるであろうギルドに足を向けた。
―― やめておけば良かった……
偶然にもシーディスさんに、用事があったらしい先生とギルドで会うことが出来た。待ち合わせ場所であるらしい、客室で先生と対面の位置に座っているんだが……
先生に会いに来たことを、ものの数分で後悔している。何も言っていないのに、既に怖い。雰囲気とか、目つきとか全てをひっくるめて迫力がありすぎる。
何か先生が、言葉を発したわけじゃない。何も言わず来客用のソファに座っているだけだ。
―― まてよ、これはあまり怒ってないときの顔か?
先生は、怒っているいないに関わらず『怖い』のが標準だ。
先生のお許しが出るまで、お世話になっていたから『怖い』のにもレベルがあることに気が付いた。
ぱっと見て大差ないように、思えるけれど微妙に差異がある。
うん、大丈夫だ。きっと怒っていない……はずだ。
「払う必要がねえって、言われたんだ。それでいいだろうが」
「そういうけには……」
―― そうか、これは呆れてるのか
どうすれば、シーディスさんがお金を受け取ってくれるか。聞いたのだが、言葉を発する前に表情で呆れを表現していたらしい。
こいつは、なに馬鹿なことを言ってるんだ。言葉に出さずとも、先生の表情が物語っている。
「お前、馬鹿か?」
表情だけじゃなかった。口に出されてはっきりと言われた。
先生は基本的に、口が悪い。だからこれはきっと他の人なら『お前、何言ってるの?』と、同じレベルだろう。
先生は本性がバレていなければ、猫をかぶっているらしいけれどぜひ俺に対しても被りなおしてくれないだろうか。
「払うってなら、治療費以外にしとけ」
「時間がかかるのは、わかってます。ただきちんと全部、返したい……」
最後まで言い切る前に、先生が長いため息をつく。
「あほか、払えるわけねえだろう。いまから飲まず食わずで、一切休まず馬車馬のように働いてもどうにもならねえぞ。そんなもんを、どうやって返す気だ」
「……」
―― どうやって、返しましょうか
なんて言えるわけもない。具体案がないまま、返せばまた呆れられるだけだ。
「そうしたいってんなら勝手にすればいい。けどなそれでお前が倒れでもしたら、あいつのお前にかけて金はすべて無駄になるぞ。あいつはお前を救いたくて、俺に治療をさせた。お前はかかった金を返すために、無理をしてぶっ倒れる。なんの冗談だ」
呆れの中に、少し穏やかさが加わる。これはきっと、医者として心配してくれているのだろう。多分きっと、そうだ。
確かに俺が倒れでもしたら、シーディスさんのしてくれたことを無駄にしてしまうかもしれない。
かといってまったく返さないのも、どうのか。シーディスさんが、払わなくていいと言っているのだから俺が納得すればそれですむのだろうけれど……さすがにじゃあありがたくというには、高額すぎて済ませる気にならない。
「またせたな。レイザード、来てたのか? ……おい彼に何を言った?」
「馬鹿に馬鹿だって、言っただけだ。何の問題がある」
考え事をしていたら、いつのまにかシーディスさんがいた。
考え込んでいたせいで、誤解を与えてしまったらしい。
シーディスさんの目つきが、鋭くなっている。正直に言おう。とても顔が怖い。
中身は面倒見がよくて、優しい人だとは分かっている。だがやはり顔が怖い。
当の先生は、どこ吹く風だ。全く怖がっている様子もない。
この場で、怖がっているのは俺だけだ。表情差分がないせいで、恐怖の表情はつくれない。だが心の中では、ガタガタと震えている最中である。
「侮辱する気か?」
「事実を言ったのは、侮辱にならねえよ。ガキがどんな馬鹿なことを言ったか、直接聞いてみろ」
いきなり話を振らたせいで、動揺するがチャンスだ。俺は正直に、かかった額を返したいことを伝える。返さないというのは、申し訳なさ過ぎて出来そうにもないことも伝えた。
「そんなことを、気にしてたのか……。悪い、配慮が足りなかった」
「いえギルド長は、何も悪くないです」
言葉選びを、間違ってしまったらしい。なにも悪くないシーディスさんに、謝らせてしまった。
こういうときに、コミュニケーション能力の高いジルベールがうらやましくなる。きっとあいつなら、誤解を与えるような言い方はしないだろう。
「なら俺の仕事を、少し手伝ってみないか? 少ないが給金も払う」
「ギルド長の仕事をですか?」
予想外の言葉に、オウム返しにかえしてしまう。シーディスさんの仕事というと、手広くてどれを指しているかは分からない。ギルドの仕事か、それともシーディスさんのやっている商売のほうだろうことは分かる。
ただ俺のしている事と、シーディスさんのしている事は大きく違う。俺は休みの日に、屋台を出しているだけだ。同じ商売でも、レベルが違いすぎる。
「ああ商売の勉強にもなる。いろいろと、役に立つと思うぞ」
役に立つどころじゃない。ものすごく勉強になる。俺には得しかない。
けどシーディスさんには、得どころか面倒が増えるだけだ。
―― 断りづらい
余計な手間をかけて、迷惑をかける。始める前から分かりきったことだ。断ったほうが、いいとは思う。けどシーディスさんは、気にするだろう。さっき俺が金を返したいと考えている。そう伝えだけて、気にしていた。ここで申し出を断ったら、多分また気を使わせてしまう。
―― 一回だけ、手伝わせてもらおう
それ以上は、迷惑だ。手伝った後はどうするかは、またあとで考えることにしよう。
「あの手伝わせていただけるとありがたいです。ただ給金は、いりません」
いうべきことは、きちんと伝えるべきだ。頑張って勇気を、振り絞り言葉に出す。
かかった費用を、労働で返すのは異論はない。けれどそこで、給金をもらうのは違う。それじゃあただアルバイトを、しているだけのようなものだ。
「お前に、ただ働きをさせろっていうのか?」
思わずそうですけど、と返してしまいそうになる。なんでただ働きという発想になるのだろうか。俺はシーディスさんが、肩代わりしてくれたお金を返したい。だから仕事を、手伝うという話を受けた。
ここまでの流れは、それで間違いはない。そこに給金が、発生するのがおかしいんだ。
「お前ら、本当に面倒くせえな……おいシーディス」
「なんだ」
溜息をつくのすら面倒くさいと、言い出しそうな表情で先生が話に割り込んでくる。
「お前は金を貸した奴が、労働で返すと言いやがったとき対価に金を払ってやるのか?」
「払うわけないだろうが」
いぶかしげな表情をしたシーディスさんに、先生が眉間にしわを寄せる。大変不味い。どんどんと機嫌が悪くなっている。
「だったら、ガキにもそうしろ。てめえが給金云々いい始めるから、余計に面倒くせえことになるんだよ」
「ガキじゃない。レイザードだ」
「今はそこは、どうでもいいんだよ。どうでもいいことに、突っ込んでくるな」
「貸し付けたやつと、レイザードが同じなわけないだろうが」
―― 同じです
二人のやり取りを聞きながら、思わず声を漏らしてしまいそうになったのを寸でで抑えた。自分に、盛大に拍手を送りたい気分になる。
空気が緊張している今そんなツッコミを入れられるわけがない。
シーディスさんが、俺に対して甘いとこがあるのは知っている。それはむかし倒れていたときに、声をかけたことと―― あときっとどこかで、弟さんを重ねているのも理由だろう。
けどこれはさすがに、ちょっと行き過ぎな気がする。
きっと亡くなっているであろう弟さんに、できなかった分も俺に何かしてやりたいと思っているのかもしれない。優しい人だしな。
けれど俺は弟さんではないし、代わりにもなれない。ここで甘えてじゃあ遠慮なくと、給金をもらったら本末転倒である。俺は金を返したいのであって、貰いに来たわけじゃない。
なのでぜひ先生には、頑張ってもらいたい。
―― フレフレ先生、それいけ先生
なとか俺に金を払わない方向に、持って行ってください。心の中で、旗を振って応援する。
「ガキは金は要らないと、言ってる。それでも払うのは、てめえの自己満足の押し付けでしかねえだろうが」
「あの……」
思わず割って入ってしまった。先生が不機嫌そうに、視線を向けてくる。話の途中で、割って入ったからだろう。
けど気づいたら、声を出していた。
気のせいかもしれない。けどシーディスさんが、傷ついたような顔をしたように見えた。その表情が見えて、思わず声がでてしまった。なんか嫌だったんだ。その顔を見ているのが。
「仕事を手伝わせていただくのは、勉強になるし本当にありがたいと思っています。けどやっぱり給金は、いただけません。俺はきちんとかかったお金を、返したいと思っています。だからお気持ちだけ頂かせてもらいます」
「……わかった。お前がそういうのなら、そうしよう」
先生の視線が怖いけれど。ここはきちんと自分の言葉で伝えるべきところだ。
恐ろしい視線に、悲鳴をあげそうなるのを必死にこらえて最後まで言い切り頭を下げる。心臓がバクバク言っているのが聞こえる。きっと今までで、一番頑張って動いてるな。
心臓が必死に動いてくれたかいがあった。なんとか納得してもらえたらしい。
「おい今度から、俺をはさむな。お前らだけで、済ませろ」
『今度俺を、巻き込んだら分かってるだろうな』
声に出してないのに、幻聴が聞こえた。呆れとイラつきが、半々といったような表情の先生に慌てて謝罪をして頭を下げる。
足音が聞こえて遠ざかっていく。部屋から出ていったことには気づいたけれど、聞こえなくなるまで頭を下げておく。理由は至極単純で、怖いからである。
「あの俺は、自己満足とか押し付けだとか思っていません。ギルド……シーディスさんは優しい人だから、俺のことを気にかけてくれたんだってちゃんと理解しています」
「……ありがとうな」
頭を上げてから、シーディスさんに声をかける。
いつもの癖でギルド長と言いそうになったけれど、二人だけの時は名前で呼ぶと約束していたから言い直した。
きちんと思っていることを、伝えれたとは思う。
けどもしかして、思い上がり甚だしかったかもしれない。なんかシーディスさんの顔が、なんか複雑そうな表情になった。
目も声の調子も優しい。けどなにか言いたいけれど、言えないでいるようなよくわからない表情だ。
なにか、また不味ったらしい。ただコミュニケーション能力が、著しく低いせいでどこに問題があったのか分からない。
「あの野郎、これから仕事の話だってのにいなくなりやがった」
「すいません、俺のせいで……」
「お前は、何も悪くない」
目を少し見開いた後、シーディスさんが扉のほうを向く。
そういえば先生は、ここで仕事の話をするために待っていたんだった。俺が来なければ、今頃は仕事の話をしていたはずだ。
仕事の邪魔をしてしまった。申し訳なくて、謝罪を口にするが気にするなと返されてしまう。
「悪い、送ってやれないが、気を付けて帰るんだぞ」
「ありがとうございます」
声をかけた後、先生を追うためだろう足早に部屋を出ていく。
「あっ……」
さあ帰るかと、思ったとき大事な事を思い出す。
鞄を開いて、中に入っている袋を開けてため息をつく。お金を返すのを、忘れていた。
先生に知恵を拝借して、今日の稼ぎの分だけでも返す予定だったというのに肝心な事を失念していた。
コミュニケーション能力は、元々ない。けれど記憶力まで、低下していたらしい。
先生に何度もつかせた溜息を、今度は自分がはくはめになる。
好きなだけ溜息をついてから、まったく軽くなっていない鞄とともに帰路についた。
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