第33話(シーディス視点)


 ――怖がらせちまったかも知れないな


 内心で溜め息をつく。そんなつもりはなかった。そもそもあの場に、レイザードが来るとは予想外だ。


 あの怪我、火傷だろう。あれを見たとき、頭に血が上るの感じた。誰かが、レイザードを傷つけた。

 大切な、俺にとっては、何よりも大切な存在を傷つけた奴がいる。


『学園で』


 そう言った後に、あの子は誤魔化すように言葉を濁した。学園には顔が聞く。

サイジェスの野郎を問い詰めて、誰があの子を傷つけたのか。それを探ろうとした。

 だというのに、あの野郎はなにを言っても『実技での失敗が原因』それしか言いやがらない。頑としてその姿勢を、崩さなかった。


 やつがその考えならと、話を切り出す。俺が仕切る商会は、この学園に大量に品を卸している。それも適正価格より、かなり値引きをした額でた。

 それを止めると言えば、顔色を変えてくる。


本当に取りやめる気はなどない。学園に、格安で卸しているのはレイザードの為だ。あの子が、学園に入学したと知った時に、俺から学園に持ちかけた。


 いくら国の補助の元に、成り立っているとはいえ資金には限度がある。

生徒は膨大な数がいて、教材や備品だけでも相当な額だ。それを浮かせることが出来れば、他に金を使える。学園内の施設を良くしたり、より良い教材を揃える事ができる。優秀な講師を、雇い入れることもできるだろう。事実、4年前より施設の状態もいい。優秀な講師も増えた。


 全てレイザードの為に、やっている。だからそれを中止するつもりは、微塵もない。ただ口を開かせるには、いいネタだ。そう思て、きりだしたんだが……よりにもよって、一番聞かれたくない相手に聞かれるとな。


 あれじゃあ、俺は講師を恫喝する悪徳商人にしかみえないだろう。最悪だった。

 他の誰に、嫌われてもいい、蔑まれようが、石を投げつけられようともかまない。

 けれどあの子に、レイザードだけには嫌われたくはない。

 

 学園をでて、見上げた空は雲一つない快晴だ。

 この街に初めて、足を踏み入れた――土砂降りの空とは全く違う、まるで違う場所にいる様な気分になってくる。


 あの子が、昔の俺を思い出したらどう思うだろうか。

 沈んだ気に引きずられるように、過去の情景がよみがえる。


 浴びせられる罵声に、鋭い鞭――それは何時もの日常だった。


 親に売られ奴隷になった俺は、ゴミくずの様な扱いを受けた。虫けらのように扱われて、また売られる。そんなことの繰り返しの、日々を過ごしていた日だ。


 あの日は、酷い嵐の日だった。風が唸り、雨が馬車の帆を叩きつける。奴隷商人は、悪態をついていたがそんな事はどうでもよかった。


 ――何も変わらない


 次の売り場まで、揺られていく馬車に押し込められながら罵声を聞き流していた。そんな時だ、馬が大きく鳴く。とどろいた雷鳴に、恐怖したのだろう。急にスピードで、早まっていく。御者の男の、悲鳴が聞こえたが直ぐに聞こえなくなる。きっと振り落されたのかもしれない。


 しばらくその状態が、続いたとあと馬車が横転した。勢いよく投げ出されて、頭を打って気を失っていたのだろう。気付いたら場所の外で、地面に横たわっていた。ぬかるんだ泥の臭いと、怪我をしたのか血の匂いが酷く不快だったのを覚えている。


 耳障りな声が聞こえたと思えば、奴隷商人が馬車に下半身を挟まれて動けなくなってるのが見える。倒れた馬車をおこそうとして、倒れてきた馬車に挟まれた。

そんなとこだろう。そこまで大きな馬車でない。起こそうと思えば、男一人でも起こせる可能性もあった。けれどこの馬車には、普通は乗っていない物が積まれている。


 奴隷を押し込めておくための、小さな檻だ。見た目よりずいぶんと重い。運び込む作業を、させられたせいでどれだけの重さか把握している。


 あの檻は、新しく買った奴隷を押し込めておくためのものだ。俺の様に、諦めきった奴隷は手と足に枷をはめておくだけで事足りる。けれど奴隷になったばかりの奴らは、必死に抵抗して暴れる事がある。そう俺も最初、そうだったようにだ。


 俺を売った後、また新しい奴隷を入れる為に乗せた檻――そのせいで奴はああなっていたのだろう。その場を見てはいない。だから推測でしかなかった。


 ――今なら、逃げられる


 ふとそのとき、そんな考えが浮かんだ。何もかもが、どうでもいい。何も変わりはしない。そう思っていたのに、ありもしない希望が浮かぶ。


 金を渋ったのだろう。手と足にはめられていた枷は、馬車の車輪に何十回と叩きつけると割れて地に落ちる。


 気づいたときには、喚く男に背を向けて歩き出していた。

 この方向に向かっていたということは、この先に街があるはずだ。どのくらい先になるか、そんなことは商品だった俺にはしらされていない。けれど、人が通る用の道が見える。いつか街につけるはずだ。

 そう思って、歩き出す。街にたどりつける保障など、どこにもない。たどりついたところで、こんななりのガキが歓迎されるはずがない。


 ――無駄だ。


 そう理解しているのに、足は止まらなかった。逃亡防止用に、切り刻まれた傷のせいで走れもしない。とんだ無様な状況だった。

 直ぐに息が荒くなる。馬車から投げ出されて、叩きつけられる前から俺の身体はボロボロだった。休みなどない重労働に、鞭で打たれた傷からはまだ血が流れている。地面に叩きつけられた体が、悲鳴を上げていた。


 それでも歩き続けて、なんとか街にたどりつく。けれどこんな状態のガキに、向けられる目は碌なもんじゃなかった。泥と血にまみれた汚いガキ、体を洗う事なんて、許されてもいなかったからな。臭いもひどかっただろう。当たり前の反応だった。


 その目から逃れるように、路地裏に足を踏み入れる。止まない雨が、体から体温を奪っていく。

 足に力が入らなくなり、そのまま地面に倒れ込む。やはり無理だった。意味のない事でしかなかった。酷く虚しい気持ちになり、目を閉じようとした時だった。


『大丈夫か?』

 そのときかけられた言葉と、あの温かさを俺は生涯わすれる事はないだろう。


 泥水をすすってでも、生き延びる事を選んだ。再びあの子に合えるまで、あの子に胸をはって会える立場を手に入れて会える日までどんなこともやり抜く覚悟を決めた。


 再会した時レイザードは、俺を覚えていない様だった。その事実に、心底ほっとした事を覚えている。

あの状況を覚えていたのなら、俺がどんな立場にいたか嫌でも分かる。レイザードに奴隷だったことを知られたくなかった。だから本当に、安堵したんだ。


 レイザードなら知ったとしても、受けいれてくれるかもしれないとも考える。

あの時と同じように、なんの事のないように。

 けれどもしレイザードに、拒絶されたのなら俺は立っていられる自信がない。

なさけないが俺にとっては、レイザードは生きる理由だったんだ。


 ――考えてもしょうがねえな


 脳裏に浮かんだ光景を、頭の外に放り投げる。


 あの子に怪我を、負わせた奴を許すつもりはない。この先も、許す事など、できないだろう。


 けれどそれが、誰であるか。それをあの子は、知られたくないように見えた。

 レイザードを、傷つけた奴をゆるせない。けれど自分の感情を押し付けて、あの子の望まぬ事をするつもりなかった。けっして傷つけたい訳じゃないんだ。


 幸せでいてもらいたい。あの子が望む形で、あの子が幸福ならそれでいい。

 もし嫌われてしまったとしても、その気持ちが変わろうはずが無かった。


 ――さてと、帰って仕事の続きをするか


 仕事より、レイザードの事を優先した。今頃、部下が悲鳴を上げているかもしれない。

 その姿が容易に想像できる。


 あの子のいる学園を、振り返りもう一度目に焼き付けてから戻るべき場所に足を進めた。

 












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