第1219話 「浮島」

 ただ、問題はこの空間が崩壊してしまうとそのプランが使えなくなる事だが、ややあって小さく嘆息する。


 ……まぁ、いいか。


 動けないのでやれる事がなく、考える事すら底をついたな。

 無理に捻り出すならこの先はどうすればいいかぐらいか。

 元々は俺が戻ってから動く手筈だったので、指示待ちの状態のはずだからだ。 空間が完全に崩壊してしまうと本当の意味でお先が真っ暗に――


 ――ロートフェルト様! ご無事ですか!

  

 不意にファティマの声が脳裏に響く。 おや? この空間内にいると通じないはずだが……。

 



 ヴァーサリイ大陸、リブリアム大陸、ポジドミット大陸。

 その三つの南部に住む者達はあるものを目撃した。 夜明けが近く、太陽が昇ろうとする最中の事だ。

 朝早くに起き出し、太陽に重なる形で異物が浮かんでいる様子が見えた。


 本来なら距離があって目視出来ないものが見えた。

 信じられない程に巨大な何かが浮かんでいたのだ。 察しの良い者はその正体に思い至った。

 クロノカイロスだ。 元グノーシスの本拠にして神の国とも称された大陸。


 それが丸ごと浮かんでいるのだ。 目撃した者達の思う事は様々だった。

 天変地異の前触れなのか? 幻覚でも見ているのか?

 様々な思いが人々の胸中に渦を巻くが、裏腹に状況は彼等の驚きを意に介さずに進む。


 彼等の見ている物は夢でも幻でもなく本当にクロノカイロス――オラトリアムの全てが大陸ごと宙に浮かんでいるのだ。 これはローが考案し、ファティマがこの戦いの準備と並行して行っていた大陸改造作業の結果だった。


 ローは早い段階で自分に先はないと理解しており、この世界で見るべき物がなくなったのであれば執着する理由はない。 彼の生きる目的を探す為の未知はこの世界に存在しなくなったのだ。

 ならば別の世界に望みを託すべきだといった結論に至るのは自然だった。 ならばその別の世界へはどう向かうべきか? この世界には果てがある以上、強引に突破して外に出る事は可能かもしれないが、世界の外はどうなっているのかの情報がない以上は危険すぎる。 教皇から得た知識からも外に出た者達の記録はあったが帰還した者達の記録は存在しないのだ。


 ローも外に可能性を求めるべきだとは思っていたが、この世界の端から出るのは自殺行為と認識しているらしく、気乗りはしなかった。 ならばと用意した代案は辺獄だ。

 世界が分離すれば切り離された辺獄は一つの世界として確立する筈だった。 そうなればどうなるのか?

 

 辺獄のままなのか? それとも何かしらの変化が起こるのか? もしかすればバランスを失いそのまま消え去るかもしれない。 それは誰にも分からない事だった。

 魔剣の力でも大陸を丸ごと転移させる事は不可能だったので、向かうなら世界との境界――穴が開いている今しかない。 太陽が昇った事で穴の存在がより浮き彫りとなる。


 オラトリアムは地響きを上げながら重力を振り切り、虚空に広がる穴へとその身を沈めていく。

 流石に近くの大陸からでは何が起こっているのかの詳細は分からないが、陸地が巨大な穴へと消えていく異様な光景は見る者の目に焼き付いて消えることはないだろう。


 それはオラトリアムに住まう者達にとっても同じだ。

 戦いを終えた者達はゆっくりと穴へと呑み込まれ、空が夜の闇とは違う暗い何かに覆われて行くのを固唾を呑んで見つめていた。 本来ならローの帰還を待って行動するべき事だったが、決着が着いたと判断したファティマが独断で移動させる事を決めて実行。 大陸の基幹部分に大量に埋蔵された<飛行>の魔法が付与された巨大魔石は大陸を浮遊させ、鈍重ながらもその巨体を移動させる。


 当然ながら膨大な魔力が要求されるので聖剣からの供給魔力を全て導入する必要があった。

 聖剣使い達も終わった後の事は聞いていたので、帰還せずにその場で魔力の供給を続ける。

 ただ、生命の樹からの供給が途切れたらこの大陸は墜落するしかないので、急いでローを戻して供給元を切り替える必要があるのだ。 そう言った意味でも帰りを待たなければならなかった。


 「ほー、やっぱりこうなったか」


 そう呟いたのは研究所で空を仰いでいた首途だ。

 彼は負傷者の収容や損傷した設備、機体の修復作業の指揮を執っていたのだが、戦いが終わればこの世界を捨てて再構成されるであろう辺獄へ向かう事は聞かされていた。


 その為、穴へと向かって大陸が浮上した事に関しての驚きはない。

 彼は大陸の改造作業にも絡んでいるので、飛べる事は知っていたので尚更だろう。

 この手段は非常に危険が伴う博打に近い。 タウミエルの脅威を排除した以上、安定を求めるのであればわざわざこんな真似をする必要はなかった。 事実、この世界にオラトリアムを脅かす脅威は存在せず、世界を支配したと言っても過言ではない。


 ――にもかかわらず実行する事に異を唱える者は少なかった。


 エゼルベルトなどがそうだったが、首途はローと同じでこの世界に残る事に興味がないので移動は内心で歓迎していたのだ。 確かに移動できないかもしれない上、失敗すれば碌な事にならないとリスクしかない。 それでも首途にとって未知なる世界へと漕ぎ出す事は胸が躍る。 何故ならこの世界にはもう敵が残っていないからだ。


 いくら強力な兵器を開発しても向ける相手がいないので、もうこの世界に留まる事に価値を見出せない。 だが、未知の世界ならどうだろうか?

 新たに生まれた世界には新たな生命が誕生するだろう。 その未知の生命は高い確率でオラトリアムに牙を剥く。 彼が新世界に期待しているのはそれだった。


 もうこの世界に敵が存在しない以上、新たな敵を求めて新天地に向かうべきだと考えていたのだ。

 彼の予感には明確な根拠が存在した。 世界開闢の折には魔物などの祖となる巨大な生物が誕生するのだ。 暫定的に巨大生物とオラトリアムでは呼称されていたが、グノーシスからは源生種と呼称されている。


 全てではないが人間の生存領域を脅かす個体は早々にグノーシスにより召喚されたグリゴリの天使に封印される事となる。 駆除ではなく封印なのは辺獄に取られない為だ。

 源生種は巨体だけあって魂が内包するエネルギー――魔力量も転生者と比べても桁外れで、一体死ねばそれだけタウミエルの出現が大幅に早まる事となる。 事実として源生種を全滅させた世界はかなり早い段階で辺獄の氾濫が発生し、早々に滅びを迎える事となったのだ。

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