第1217話 「期待」

 爆発の衝撃で吹き飛ばされそうになったが、聖女はどうにか踏み止まる。

 炎を聖剣で吹き払い、腹に刺さったままのドリルを引き抜いて投げ捨てながらローは何処だと探そうとして――動きを止めた。

 何故ならその必要がなかったからだ。 ローは大の字になって倒れていた。


 傷は魔剣によって癒されているが動く気配はない。

 魔剣による激痛に顔を顰めながらも聖女はゆっくりと歩み寄り、聖剣を鞘に納める。

 警戒しようといった気は起きなかった。 何となくだが、もう彼に抵抗する力は残されていない。

 そう感じたからだった。


 「どうしてだ? その状態で戦えばこうなる事は分かっていたんじゃないか?」

 「――そうかもな」


 ローは相変わらずの無表情でそう返した。 表情がないので何を考えているかは窺い知れない。

 ただ、この戦いに決着が着いた事だけは理解できた。


 「僕の勝ちってことでいいね?」

 「いや、それはないな。 俺はまだ負けてない」


 明らかに動けない状態でそんな事をいうローに聖女は小さく肩を落とす。

 

 「……どうすれば僕は君に勝てるんだい?」

 「その聖剣で俺の頭を消し飛ばせばお前の勝ちだ」

 「できるなら君を殺したくない。 お願いだ。 もう誰も傷つけないと約束してくれないか?」

 「お前はさっきの話を聞いていなかったのか? 止めたいのなら俺を殺せ」


 ローは聖女が動かないので小さく首を傾げる。


 「ふむ、出来ないのならここから消えろ。 次は殺す」

 

 呟くようにそう言うと地面が縦に揺れて空間が軋みを上げる。


 「ここも限界か。 思ったよりも早かったな。 さっさと決めろ。 殺るのか? 殺らないのか?」

 

 聖女は答えない。 ローはその様子を見て嘆息。


 「仕方がないな。 だったら少しやる気を出させてやろう。 ヘオドラだったか? 最初は捕えて人体実験の材料にでもしようと思ったんだが、鬱陶しく抵抗するものだから膝から上を消し飛ばしてやった。 面倒なだけの雑魚だったな」 

 「君は――」


 それを聞いて聖女は衝動的に聖剣に手をかける。

 ローはそれを見て僅かに目を細め、言葉を続けた。


 「あぁ、そうだな。 次はモンセラートを同じ目に遭わせてやろうか?」


 聖女は大きく表情を歪めて聖剣を持つ手に力が籠る。

 引き抜かれようとしている聖剣の刃を見てローは小さく目を閉じて全身の力を抜いた。

 だが、彼の予想に反して聖剣は引き抜かれる前に手放されて鞘に収まる。

 聖女は怒りに表情を歪め、ローへと馬乗りになってその顔面を殴りつけた。


 「僕を馬鹿にするのもいい加減にしろ! 気付かないと思っているのか!! 理由は分からないけど君は僕に自分を殺させるつもりなんだろう!?」


 聖女を知る者からすれば想像もつかない程の怒りを漲らせ、彼女はさらに殴る。

 右左の順番に頬を殴られローの顔が無抵抗に振れていく。


 「君が万全なら僕を殺す事ぐらい訳ない筈だ!」


 聖女の言葉は正しくもあったが誤りでもあった。 確かに世界が分かたれれば魔剣は力を失う。

 それによりローの戦闘能力は大きく落ち込むが、聖女を仕留める事は不可能ではない。

 人質、脅迫、正攻法でなければいくらでも手段は存在する。 このまま引き上げてファティマに一言命令すればアイオーン教団を潰す事は難しくなく、聖剣を取り上げる事も可能。 そもそも戦い自体が不要だったのだ。


 ――にもかかわらずローがこの戦いに踏み切った。


 それは何故か? 彼は自分なりの合理性に基づいて行動している以上、戦えば高い確率でこうなる事は分かっていた。 借りを返すといった建前こそあったが、彼の行った事は自殺行為に等しい。

 勝てる可能性もゼロではなかったので戦えはしたが、この結果はある意味では想定内だった。


 ローはタウミエルを撃破した事でやる事がなくなっており、先々の事を考えると未来はない。 延命の手段こそ模索しているが、遅かれ早かれ待っているのは停滞した日々による緩やかな腐敗だ。

 かつてのウルスラグナ王が口にした未来と当人同様の末路が待っているだろう。


 彼は未来に期待する事を諦めかけていたのだ。 タウミエルを撃破し女王との約束も果たした。

 自身を取り巻くしがらみ――死ぬ事を忌避する要因が減り、自分を殺せそうな存在が目の前に存在する。 これを好機と捉えたローは不確かな未来よりも確かな終わりを強く求めたのだ。 だからこそ、勝率が存在する聖女との戦いに賭けたのだ。 自身の運命を。

 

恐らくだが彼はこの世界に現れてから初めて特定の他者に対して大きな期待をしたのかもしれない。

 それがかつての自分の肉体の持ち主だったのは皮肉といえるのかもしれなかったが、傍から見れば自身が原因で発生した存在に葬られるのはある意味での因果応報といえるだろう。

 二十発ほど黙って殴られていると、疲れたのか聖女の動きが止まる。 彼女は涙を流しながら命の尊さなどを叫ぶように説いていたが、ローにとっては心底からどうでもいい事だったので特に何も感じなかった。


 数十秒ほど黙って聞いていたが、ややあって悟る。


 ――あぁ、もしかしなくてもこいつには俺を殺す気がないのか、と。


 ローはこれ見よがしに大きく息を吐く。


 「――で? 結局、お前は俺を殺す気はないと判断していいのか?」


 涙に濡れた聖女と視線が絡み合う。 返答は聞くまでもなかった。

 聖女ハイデヴューネはローにとって特別な存在といえる。 それがこの瞬間、確固たるものになった。

 初めてローの表情に感情のようなものが宿ったのだ。 これを引き出しただけでも彼女の行動は彼を大きく揺さぶったと言えるだろう。


 ローの浮かべた表情は大きな失望。

 そしてそこから来る心の底から「お前に期待した俺が馬鹿だった」といった不快感だった。

 

 「もういい。 殺す気がないならお前が死ね」


 持っていた魔剣を第二形態に変えて発射。 聖女は咄嗟に跳んで躱す。

 ローはふらふらと起き上がるが、全身に力が入らないのか膝ががくがくと震えている。

 魔剣の能力で肉体の損傷自体は癒せているので見た目は無傷に見えるが、体内の根を失いすぎたので肉体の制御が効かないのだ。


 「ロー……もう……」

 

 聖女は聖剣を構えるがローはもう立っているだけがやっとの状態で、もう戦いにならないのは明らかだった。 ローは構わずに魔剣を構え、聖女も応じるように戦闘態勢を取ろうとするが――


 「――っ!?」


 ローと聖女の間に不可視の何かが走る。 両者を分かつように地面にざっくりと傷が刻まれた。

 どこからと聖女が視線を彷徨わせるとローの隣にいつの間にかこの場に居なかった人物が立っている。

 当世具足と呼ばれるこの世界では珍しいデザインの鎧を身に纏った武者。


 辺獄種として現れた時には劣化していたがその姿は見間違えようがない。

 かつて辺獄の領域で戦った在りし日の英雄だ。 武者はローを守るように前に出る。


 「手酷くやられましたな。 が、タウミエルの撃破と世界の分断、しかと見届けた。 我等の悲願を叶えてくれた事、感謝いたします」

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