第1190話 「孤軍」

 空から降り注ぐ無数の攻撃が展開された鏡のような物に接触して撥ね返り、放った個体群を返り討ちにした。

 それを成したヴェルテクスは小さく鼻を鳴らす。

 弘原海、夜ノ森と他の聖剣使いが苦戦している状況ではあったが彼は比較的ではあるが余裕があった。


 何故なら彼の周りには彼とそっくりの無数の分身体が魔導書を構えて近寄る敵を片端から返り討ちにしているからだ。 聖剣エロハ・ミーカルの固有能力である分身全てに用意した魔導書を持たせて使用させており、彼はたった一人で一軍に匹敵するような火力を叩きだしていた。


 改造された事により、彼は人間を越えた処理能力を得ている。 そのお陰で同時に操れる分身体の数は以前に使っていたラディータの比ではない。 数十の分身体は思考を共有している本体からの指示で一糸乱れぬ連携を以って敵を撃破し続ける。


 遠距離攻撃は撥ね返し、難しければ逸らし、防ぐ。 上空から接近してくる敵は状況に合わせた攻撃で撃墜し、動きが速い個体は悪魔を召喚して囮にした後、動きを誘導して撃破する。

 地上の敵は地面を沼にしたり、無数の蔦のような物を出現させて動きを封じてから順番に叩き潰す。


 更なる分身体を操る為にローによる再改造を受けた事により、更に向上した彼の処理能力は普通の人間なら不可能な複雑かつ大量の処理を容易に行わせる。 さっきまでは首途の歩行要塞が気になってやや集中できていなかったが、脱出して無事に回収された事もあって何の憂いもなくなった。


 最後に自爆した時はさすがの彼も肝を冷やしたが、事前にハムザから脱出装置を仕込む事といざという時は逃がす旨は伝えられていたので心配はしていたが大丈夫だろうとは思っていたのだ。

 ただ、最後まで残る者が必要なのでハムザは歩行要塞と運命を共にした事は確認するまでもなく明らかで特に仲が良かった訳ではないが、首途の助手だったので死んだ事は少し残念とは思っていた。


 ――懸念であった首途の安否を確認して落ち着きはしたが、徐々に押し込まれ始めているのは彼も理解している。


 対処できる数を越えればどんな鉄壁の布陣も破綻するのは目に見えていた。

 この作戦はローが勝利する事を前提で組んでいるので、勝つまでに生き残る事が勝利条件だ。 ヴェルテクスは視線を戦場の向こうにある巨大な穴に向け、そこに一人で突っ込んでいった男の事を考える。

 

 大将にもかかわらず常に最前線の一番危険な場所に身を置いているローに対して彼が思う事は一つだ。


 ――こいつは頭がおかしいんじゃないか?


 少なくともオラトリアムへ移り住んでそこそこの期間付き合う事で固まったこの人物像はこれから先変わる事はないだろうと根拠もなくそう確信していた。

 いや、今までやってきた事、滅ぼした国の惨状を見れば変わりようがないと言い切れるぐらいだ。


 タウミエルの喉元へと単騎で突入して神剣を手に入れる。 普通に考えれば自殺と変わらない危険な行為だ。 最低限の死の恐怖があるなら護衛を付けるなど、自身の安全と安心を担保する何かを求めるものだが、ローに限って言うのならそれが一切存在しない。


 元々、人として大切な何かが欠落した――簡単に言えば頭のネジが緩んでいるどころか飛んで行っている男だ。 転生者の中でも異形が精神まで及んでいる混沌ケイオスについての詳しい話を聞かされていないヴェルテクスにはそれ以上の考察はできなかったが、ローに関してはっきりしている部分がある。


 それはもしかすると不安と言い換えてもいいかもしれない。 常に最前線に身を置く。

 それだけ見れば勇敢、勇猛、死を恐れない英雄的な存在と美化出来るかもしれない。

 だが、実際の挙動を見れば結果が伴っただけの自殺未遂にしか見えないのだ。 彼の最大の不安はそこにあった。 もしかすると自分達はローの盛大な自殺に巻き込まれたのではないか?


 選択肢がない事は理解はしており、僅かではあるが勝算がある事も同様に理解している。

 それでも何の躊躇もなく死地へと足を踏み入れるその姿を見るとそう考えざるを得ないのだ。

 事実、彼のローへの理解は的を射ていた。 ローは勝てればいいとは思っているだろうが、死んだら死んだでそれも問題ないだろうと割り切っていたからだ。


 空を見上げると月はかなり傾いているが、朝が来るにはまだ遠い。

 本来なら眠ればすぐの時間ではあるが、この戦場においては永遠ではないのかと疑いたくなるほどに長い長い一夜だ。 この位置は山脈の中でも比較的高い位置なので戦場の大部分を見渡せるので、戦況の推移も全てではないが把握は容易だ。


 既に地上戦力は三度目の後退を始め、主戦場は山脈へ移行しようとしていた。

 それに合わせて山脈での戦闘に適さない者達は殿を務めて敵を食い止めてそのまま全滅するだろう。

 空中も酷い有様だ。 三体もいたディープ・ワンは最後の一体を残すのみで、その残った個体も敵の猛攻に晒されて今にも死にそうだ。 地上も首途の歩行要塞の自爆で多少は勢いを削ぎ落す事に成功はしたのだが、抜けた穴は大きい。 ミドガルズオルムがそれを埋めるべく奮戦していたが、敵の群れに呑み込まれており、撃破されるのも時間の問題だった。


 こうして戦場全体へ視線を向けると凄まじい光景だ。 穴から山脈の傍まで蠢く黒い影で埋め尽くされており、それに抗うオラトリアムの戦力を呑み込もうとしていた。

 確かに世界の終わりと形容するに相応しい。 最大で一日保たせる予定ではあるが、この調子では半日すら怪しい。 最悪、自分が死ぬ事は問題ないが、首途が死ぬ事だけはどうにかしたい。


 ヴェルテクスのここに立つ理由は単純ではあるがそれで充分だった。

 他を助けている余裕はないが、自分だけならまだどうにでもなる。 迫って来る敵は魔導書で防ぎ、処理が難しい敵は召喚した悪魔を用いての連携で潰す。 召喚により手数を増やせる事も彼の強みだった。


 召喚した悪魔は維持する必要があったが、数分と保たずにやられるので使い捨てと割り切っているのだ。 一応ではあるが援護に来ようとする者達もいたが、下手に割り込まれても邪魔になるので他か自分の戦闘領域外にいる敵の掃討を任せてこちらに来るなと言ってある。


 その為、彼はこの場にたった一人だ。 だが、それで良かった。

 ヴェルテクスという男は本来、群れる事を好まない。 彼は幼い頃から死ぬ時は一人きりだと予感しており、それは今でも変わらなかった。 唯一の命題は父親を看取る事。 それさえ済めば自分を縛る最後の情は消え失せるだろう。


 現状維持を腰の聖剣に頼り切りなのは少々癪だったが、手にしたのも自身の力。

 今も昔もこれからもヴェルテクスは道を自分の力で切り拓いて来た。

 それに従って目の前の敵を処理し続ける。

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