第1182話 「忍者」

 ――急げ! 後退、後退だ! 高速で飛行する敵を真っ先に潰せ! 防衛線を下げろ!


 所持している通信魔石から悲鳴のような指示や混乱が伝わって来る。

 ハーキュリーズはそれを聞きながら敵を仕留めて回っていたが、指揮系統が機能しなくなるのも時間の問題だろうとこの戦いに終わりが近づいているのを感じていた。


 それでも逃げる訳にはいかないのが辛い立場だと自嘲する。

 聖剣は敵を引き寄せるので、下手に後退する訳にはいかず彼が下がるのは最後だ。

 逃げ遅れた味方がいなくなった事を確認して後退し、走り回って敵を引き付ける。


 その過程で苦戦している味方がいれば助けに入り、そのまま移動して別の敵を引っ張るのだ。

 敵の鼻先を移動すればそう難しくないのだが、いつまでも通用するかは怪しい。

 

 ――もっとも、通用しなくなる前に俺自身が死ぬかもしれんがな。


 じりじりと崖へと追い込まれている感覚を感じながらもハーキュリーズは街を走り続け――途中、ある一団を見つけた。 同僚なのでそれが誰かはすぐに分かる。

 聖堂騎士のマネシアとゼナイドだ。 二人は部下を引き連れて後退している最中のようだったが、人数がいる所為か動きは鈍い。


 ハーキュリーズは迷う。 助けに入るべきか否かを。

 彼女達は敵の一団に追いかけられており、動きの鈍さもあって最後尾が敵に喰らいつかれている状態だった。 助けに入るのは簡単だが、ちょうど敵の一団を引き付けながら削っている最中だったので場合によっては更なる危機を彼女達に齎してしまうかもしれない。


 どうしたものかと悩んだのは一瞬。 数名が脱落したのを見てハーキュリーズは行くべきだと覚悟を決めた。 マネシア達の一団と敵との間に割って入り、数体の敵を瞬く間に切り裂く。

 

 「ハーキュリーズ殿!」

 「こいつらは俺が引き受ける。 行け!」


 いきなり現れたハーキュリーズにゼナイドが声を上げるが、特に構わずに逃げろと促す。

 距離さえ取らせてしまえば手近にある聖剣に群がるのでマネシア達は安全になるからだ。

 即座に察したマネシアは「ありがとうございます」と一言礼を言って駆け出して他もそれに続く。


 ハーキュリーズを追って来た敵個体も合流するが、ここまで来れば削る相手が増えるだけなので関係ない。 同様の手段で引っ張ればい――不意にゾクリと背筋が粟立つような感覚と聖剣からの警告。

 

 「気を付けろ! 何か来るぞ!」


 聖剣による加護と彼の今までに培って来た勘が危険を感じ、迷いなくマネシア達にそれを伝える。

 彼女達も相応の場数を踏んで来た聖堂騎士だ。 警告に従って周囲を警戒するが、全ての敵はハーキュリーズに狙いを定めており、離れつつあったマネシア達に危機はないように思えるが――


 不意に月光に照らされてできたゼナイドの影がぐにゃりと歪む。 同時にその影から何かが飛び出し、彼女へと襲いかかる。 流石のゼナイドも自身の影から敵が現れるとは思わず、その反応が一瞬遅れた。

 そしてその遅れは致命的だ。 現れた個体はやや短い刀を抜いてゼナイドの腹にそれを突き立てる。


 「ぐ、この!」


 ゼナイドは声に苦痛を滲ませながら剣を振るうが、斬撃はその個体を切り裂く事が出来なかった。

 躱されたのではない。 まるで霞を斬ったかのように刃が通り抜けたのだ。

 いつの間にか少し離れた所にいた個体は異様な風体をしていた。 形は人型で顔は目以外を覆った覆面に籠手、脛当などの最低限の防具。 異邦人ならばその姿を見てこう呟くだろう。


 ――忍者と。


 ハーキュリーズはその姿を見て確信を深める。 こいつが無限光の英雄だ。

 もう出て来たのか。 だが、何故だといった疑問も浮かぶ。

 タウミエルの眷属達の特性上、真っ先に狙うのはハーキュリーズのはずだ。


 他の個体の習性からそれは間違いない――にもかかわらずゼナイドを狙った点が解せなかった。

 ハーキュリーズの疑問はもっともだったが、失念している事もある。

 無限光の英雄とハーキュリーズは思っているが正確には無限の衛兵なのだが――その個体の戦闘能力は当人の記憶と知識から来ているのだ。 この個体は生前にこういった戦いを繰り返しており、反射に近い域で脆そうかつ影響力のある敵を狙う。


 彼女の部下である聖騎士や聖殿騎士達が忍者へと斬りかかるが、その腕が霞み変わった形状の刃――手裏剣やクナイが飛ぶ。 クナイは兜を被った者の眼球を貫き、手裏剣は兜を被っていない者の喉を切り裂く。


 ――不味い。


 あの個体は自分が相手にした方がいいとハーキュリーズは思っていたが、目の前の敵の処理が済んでいない。 それに距離が離れすぎている。

 まさかここまで計算しての事か? 現れたタイミングが良すぎて狙って来たとしか思えなかった。


 「動けますか?」

 「――何とかですが」

 「ここは私が抑えます。 皆は先へ」

 「しかしエルンスト聖堂騎――」

 「行きなさい」


 有無を言わさないマネシアの口調に押される形でゼナイドは小さく頷くと駆け出した。

 忍者は動かない。 何故ならその個体の狙いは初めからマネシアだったからだ。

 ゼナイドに手傷を負わせればマネシアが残る事を読んでの行動だった。 動きを見ればゼナイドよりも彼女の方が重要度が上で撃破した時の損失度合いが高い。


 マネシアは持っていた戦槌を手放し、腰に佩いた剣を抜く。

 明らかに素早いであろう敵に重い戦槌は不利だからだ。 盾を失った以上、使い難くなっているのでもはや無用だった。 忍者は半端に長い刀――忍者刀を逆手に持って小さく腰を落とす。


 ――来る。


 地を蹴ったと同時に背後斜め後ろに全く同じ個体が二体出現し、全く同じ動作で斬りかかってきた。

 突然現れた個体にマネシアの判断が遅れる。 幻影系の魔法に類するものだという事は理解できたが、発動までが信じられない程に速い。 ゼナイドに傷を負わせた時の動きを考えると正面が幻影で後ろが本物の可能性もある。


 刹那の時間に見極めようとするが、違いが分からない。

 勘を頼りに受け止めるかの判断に迷うが、危険すぎると考えて回避を選択する。

 マネシアの装備は全身鎧ではあるがゼナイドの守りをあっさり突破した点を見ると過信はできない。


 魔法による身体強化を全開にして跳躍。 上に飛んで腕を交差させて防御を――特に顔周りを固める。

 視界が交差させた腕で狭まるが籠手部分に何かが当たる感触。

 手裏剣とクナイだ。 防ぎはしたが危機は脱していない。


 空中では逃げ場がないので追撃の対処に困る事となる。 その証拠に足首に何か布のような物が巻き付いていた。

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