第1111話 「親別」

 「クソッ、規模と範囲の調整って簡単に言いやがってあの女!」


 ブツブツと文句を垂れ流しながらベレンガリアは紙に魔法陣を書き込んでは違うと破って書き直す。

 彼女の仕事は接収した四大天使召喚の魔法陣の改造だ。 元々、ジオセントルザムで使用されていた物をタウミエルとの戦いに向けて再利用するといった事なのだが、そのままでは使い辛いので調整を依頼された彼女はその作業の真っ最中だった。


 やる事は元々あった物を書き替えるだけなのでそこまで難しくない作業なのかとも思ったが、ファティマから要求された内容が曲者だったのだ。

 四大天使――ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルの四体は天使の中でも最上位だけあって基礎的な能力だけでも非常に高いが、オラトリアムではそんな汎用性は求めていないので特定機能に特化させろとの事だった。


 ミカエルは他の機能は犠牲にしてもいいので、とにかく火力を上げて連射ができるように燃費を抑えろ。

 ガブリエルは生産機能の強化。 ラファエル、ウリエルも同様に支援と回復能力の範囲拡大と強化。

 要するに次の戦いに特化させる為、バランスを崩して召喚せよとの事だ。 そして最重要課題が燃費を落として継戦能力を可能な限り引き上げる事だった。


 片方だけならどうにかなるが両方ともなると非常に難しい。

 前者を優先するのなら威力を極限まで上げた使い捨てのような形で呼び出せばどうとでもなる。

 後者だけなら安定性に重きを置いて燃費を可能な限り良くすれば要望は満たせるだろう。


 だが、両立ともなると話は別だった。 偏った状態で安定させろと言われているに等しいのだ。

 ベレンガリアでなくともこの無茶振りには頭を抱えざるを得なかった。

 使用の際に要求する魔力に関しては聖剣があるので少々の無茶は許容されるが、エグリゴリシリーズを筆頭にした燃費の悪い兵器群の維持にも使用されるので抑えるに越した事はない。


 魔法陣の基礎的な部分は母親であるファウスティナが描いた物ではあるが、記述内容を見る限り下敷きとなっている部分――呼び出す存在を指定する記述以外はまったく同じだった。

 彼女の研究室をひっくり返して書類や手記を片っ端から確認したが、覚え書き程度の物しか手に入らなかったので改良は独力で行わなければならない。


 「……はぁ」


 不意に気が抜けたかのように息を吐く。

 母親の事を思い出したからだ。 箱舟から引きずり出された後、アブドーラに連れて行かれたファウスティナは魔剣の呪いによる激痛で苦しんでいたが、欠片の容赦もなく拷問にかけられた。


 痛めつける事それ自体が目的の拷問はベレンガリアも思わず目を背ける程に苛烈だった。

 ファウスティナを嫌っている彼女ですらそこまでしなくてもと口にしかけたほどの凄まじさだったが、それはできなかった。 アブドーラの爛々と憎悪に輝いた眼を見てしまえば、下手な事を言えば自分も同じ目に遭わされるのではないかといった恐怖があったので黙って見ている事しかできなかったのだ。


 詳しく聞いたのは後だったが、アブドーラはファウスティナの所為で親を失ったらしい。

 あの苛烈な拷問を見れば彼がどれだけ親の事を大切に思っていたのかが良く分かる。

 それはベレンガリアには理解できない感情だった。 父親は初めから居らず、母親はあの調子だ。

 

 親からの愛情をまともに受けられなかったベレンガリアからすればアブドーラの感情は理解できても共感は難しい物だった。 それ故にやり過ぎではないだろうかといった他人事のような言葉が浮かんでしまうのだ。


 ファウスティナはどうにかして助かろうと魔剣による呪いの激痛と拷問に耐えながら、必死に命乞いをしていたがそれはアブドーラを不快にさせるだけの結果にしかならなかった。

 そんな彼女が最期に縋れる相手は娘であるベレンガリアしか居ない。 ファウスティナは必死にベレンガリアへと声をかける。


 ――お母さんよ。 お願いだから助けて。


 ――あなたを愛しているの。 また家族で仲良く暮らしましょう。


 それを聞いてベレンガリアが最初に思った事は「何を言っているのだろう?」そんな素直な疑問だった。 本当に彼女には理解できなかったのだ。

 目の前の生き物が口にした言葉の意味を。 母親? それはそうだろう。 事前に聞かされていたし、口調などを見れば疑いようもない。 助けてほしい? 自分が辛い時や苦しい時に一切助ける事をしなかった者が、自分が辛くなれば切り捨てた相手に助けを求めるのか? 理解できない。


 愛している?? 意味が分からない。 どこの言葉を使っているんだ?

 ファウスティナの今までの所業を踏まえれば、説得力どころか根拠すら掴めない。 少なくとも彼女の語彙の中にはファウスティナの愛を合理的に言語化できるものは存在しなかった。


 そして、また家族で仲良く暮らしましょう?

 また? 家族で?? 仲良く??? 暮らしましょう????

 何を? 言って? いるんだ? この生き物は?

 

 自分の理解力が足りないのか? それとも人語に聞こえるだけでまったく別の言語なのか?

 家族で仲良く過ごした時間が一瞬でもあったのか? それとも自分の記憶は捏造でもされているのか?

 こいつには一体何が記憶されているんだ? 可能であればその記憶を覗いてみたい衝動に駆られるが、そんな事は不可能なのでただただ混乱するばかりだった。


 思考の混乱とは反比例するように気持ちの方は急速にその熱を失っていく。

 視線からは怒りや憎しみすら消え去り、凪のように感情が停止する。 しばらくの間、混乱していた思考はファウスティナの悲鳴を聞きながらそれなりの時間をかけて解を導きだした。


 ――そうか。 こいつはその場で思いついた事を適当にやっているだけなんだ。


 ぽつりと脳裏に落ちたその思考は彼女の中で家族という存在に対しての整理を付けるには十分すぎる程の説得力を秘めていた。

 ファウスティナという女をベレンガリアは自分なりに理解しようとしていたが、今までは憎しみの対象としか認識していなかったので気に入らないといった漠然とした思いだったのだ。

 しかし、当の本人を目の当たりにしてしまい、明確な答えが出た今、もう憎む事すら馬鹿々々しいと考えてしまったのだ。 

 

 もういいかなと考えてその場を後にしようと思ったのだが、ふと最後に気になる事があったので尋ねる事にした。 試したい事と言い換えてもいい。

 ベレンガリアは母親に向けてそれを口にした。


 「ところであなたは私の名前を知っていますか?」


 ファウスティナは光明が見えたとでも思ったのか必死に食いつく。

 

 ――当然よ! あなたは私の可愛い娘だもの知っているに決まっているわ? あなたの名前は――


 そこで言葉に詰まる。 少し待ったが続く言葉は出てこない。

 ベレンガリアはあぁ、やっぱりと思っていたので失望すら浮かばない。

 

 ――覚えているわ! ロッテリゼ! ロッテリゼよ! 私の可愛い娘!


 それを聞いて思わず鼻で笑ってしまった。 娘の名前すらその場の思い付きで適当に付けた事が良く分かったからだ。

 もう充分だった。 ベレンガリアは踵を返し、付いて来ていた柘植達を連れてその場を後にした。


 「さよなら」


 それだけを言い残して。

 ファウスティナが死んだ事を告げられたのは翌日の事だった。

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