第1042話 「近寄」
ズシンと腹に響くような衝撃。 近い位置で戦闘や破壊が起こっている証拠だ。
ここは大聖堂地下深部。 居住区の先に存在するこの空間はある意味で最後の防衛線とも言える場所だった。 何故ならこの先は深部に足を踏み入れる事を許された者達ですら入れない聖域だからだ。
立ち入りが可能なのは教皇と法王のみ。 例外的にファウスティナだけは足を踏み入れる許可を得ているが、それ以外の侵入は許されない。
その為、警備は最も厳重で、この場を守っているのは近衛の聖堂騎士とファウスティナが連れて来た異邦人が十数名。
教皇は既に奥に入っており、ファウスティナもそれを追っていった。
残されたのは彼女達を守る防衛戦力のみだ。 彼等は足を踏み入れる事を許されていないのでこの場で待機となっている。 本来ならもっと数が居たのだが、侵入者の迎撃の為に人数を割いているので数十名のみ。
だが、それでもこの国の重要区画の守護を担うだけあって救世主や聖堂騎士の中では精鋭と言っていいだろう。 加えてファウスティナの護衛を務めている異邦人達も責任者の直衛だけあってその戦闘能力は比較的ではあるが高い。
――ただ、組織的に余り仲がいい訳ではないので一緒には居るが、少し離れた位置でお互いに固まっている状態だった。
戦闘の気配がして少し経った頃にいくつかの足音が響く。
それを聞いて全員が武器に手をかける。 通路から響く足音は忍んでいる訳でもないので、味方かもしれないといった事もあって慎重に気配を確認。
姿を現したのは――
「待ってくれ! 味方だ!」
両手を上げて現れたのは第一の枢機卿であるクエンティンとグリゼルダ。 そしてクエンティンの陰に隠れるように寄り添っているベレンガリアだ。
「クエンティン枢機卿でしたか。 どうしてこちらへ?」
警戒を解いた救世主の一人が剣を鞘に納めながらそう尋ねる。
彼の疑問は当然だろう。 賊に侵入された事は知っていたが迎撃に少なくない戦力を上に送り込んでいるのだ。 問題なく返り討ちにできていると考えていた。
クエンティンはやや青い顔で首を振る。 その態度に救世主は訝しむような表情を浮かべた。
「お、恐らく上に居た者達は皆殺しにされてしまった。 遠からずにここに来るぞ!」
「まさか、近衛は猊下をお守りする最強の聖騎士。 怪しげな賊に遅れを――」
「魔剣だ! 信じられん事に賊は魔剣を使いこなしているのだ!」
要領を得ないと詳しく聞こうとするが、クエンティンは興奮しているのかそんな事を捲くし立てる。
「わ、私も目を疑ったとも! しかし、あれは間違いなく魔剣だ! 炎を扱ったと言う事は第五の魔剣なのか? ――いや、あの障壁は第三の……」
かなり錯乱しているのかクエンティンは叫んだかと思えばブツブツとそんな事を呟く。
その姿を見てベレンガリアはやや不安を浮かべ、グリゼルダは沈痛な面持ちだった。
救世主はクエンティンでは話にならないと判断してグリゼルダへ視線をやると彼女は小さく頷く。
「クエンティン枢機卿の仰っている事は事実です。 賊は魔剣や奇妙な力を使って上にいた近衛の方々を次々と――」
それ以上は口にしたくなかったのかグリゼルダは小さく目を伏せる。
彼女も平静を保ってはいるが上で見た惨劇は思い出しただけで気分が悪くなる光景だった。
侵入者による文字通りの蹂躙。 聖殿騎士が魔剣に粉砕され謎の円盤に斬り刻まれ、光線で跡形もなく消し飛ばされる。 四肢を失っても意に介さずに死体から足りない部分を奪い取って補い、当然のように戦闘を続行するその姿は性質の悪い怪物のようだった。
立ち向かった者達の猛攻とも言える攻撃も全くの意味を成さずに虚しく防がれる。
クエンティンは侵入者が当然のように魔剣を振り回し始めた――いや、持っている武器を魔剣と認識した時点で驚愕と恐怖の余り震え始めた。 それも仕方のない事で、魔剣は辺獄へ人を送り込む際にヴァルデマルやクエンティンが定期的に使用しており、その悍ましさを間近で見ているからだ。
まるで世界の憎悪を形にしたかのような禍々しい剣。 それこそが魔剣といった認識で、迂闊に触れば憎悪に呑み込まれてしまうといった恐怖があったからだ。
幸か不幸かグリゼルダは魔剣に触れる機会がなかったのでクエンティン程の恐怖は感じなかったが、魔剣の持つ禍々しい気配を見ればそれが尋常な代物ではないと理解はできる。
同時に魔剣に直接触れていて何の問題もないといった事がどれだけ恐ろしいのかも、だ。
クエンティンに比べてグリゼルダは冷静ではあった。 ただ、動揺していないと言えば嘘になる。
ベレンガリアもそうだったが目の前で人間の肉体が――それも見知った者が粉砕された光景を見て、平静でいろという方が無理な相談でもあった。
実際、二人も気を張っていないと嘔吐してしまいそうなほどに気分が悪い。
救世主達も事の重大さに理解が追いついたのか、やや緊張した面持ちとなる。
「つまり、上に居た者達は全滅したと?」
「分かりません。 私達はその途中で――」
言いかけてグリゼルダはちらりとクエンティンを一瞥。 彼女達がここまで降りて来たタイミングは敗色が濃厚になって来た所だったので、上がどうなったのかは分からない。
真っ先に動いたのはクエンティンだ。 彼は恐怖に歪んだ表情でベレンガリアの腕を掴むとそのまま駆け出してしまった。 グリゼルダはそれを見て思わずついて行ってしまったのだ。
「人を遣って様子を見させます。 誰か行けるか?」
話に割り込んだのは
数名の異邦人が小さく頷いて様子を見に行くべく駆け出した。
「全滅したとはっきりした訳ではないようですし、もしかしたら勝利した可能性もあります。 上の方々との連絡は?」
「あ、あぁ、待ってろ。 今試す」
柳橋の助言に従い、救世主は持っていた魔石で連絡を取ろうとするがどれも不通。
「ダメだな。 誰も応答しない」
「どうしますか? 我々は首領のファウスティナからこの場での待機を命じられています。 ですが、戦力が足りないというのであれば、全員は無理ですが何名か貸し出しますが……」
本来なら外様であるエメスの構成員が口を出すのはあまり良くないのだが、緊急事態の様なので判断を促す意味でも柳橋は口を挟む事にしたのだ。
「う、うむ。 どうするべきか……」
救世主の歯切れは悪い。 彼等の受けた指示はこの場所の防衛。
それを放り出す事にも抵抗があるが、教皇から命令を受けているという事、それ自体が彼等の行動を縛っていた。 柳橋は内心でこれは良くないと思っていた。
聖騎士――特に近衛は一度受けた命令を順守しなければならないといった意識があるのか、頭が固く、こう言った場面では融通が利かないのだ。
その理由に関しても察してはいた。 グノーシス教団にとって教団とそのトップである教皇の命令は絶対。 背く事は背信に当たるのではないかといった思考が彼等の行動を縛っているのだ。
転生前を含めれば宮仕えがそれなりに長い柳橋としては共感できなくもないが、今は状況が状況だ。
そんな事を言っている場合ではない。 動くなら取り返しがつく内に――
柳橋の助言は適切なものと言えるだろう。
――ただ、これから訪れるであろう未来には一切影響を及ぼさないという点を除けばだが。
再度、衝撃音。 今度はかなり近い。
明らかにこの地下区画で発生した物だ。 即座に柳橋が送り込んだ仲間に連絡を取ろうとするが不通。
「……今送った仲間からの連絡が途絶えました」
その声は微かに震えており、彼の言葉を裏付けるかのように遠くから足音がゆっくりと近づいて来ていた。
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