第1005話 「遅滞」

 ジオセントルザムでの戦いはグノーシスが優勢となっているが、切り札の一つである巨大天使を投入したにもかかわらず攻め切れておらずに決め手に欠ける状態となっている。

 オラトリアム側も策を練ってはいたのだが、巨大天使――特にミカエルの存在は想定外だったので本来予定していた次の手を打てずにいた。

 

 その為、両軍ともに状況を傾けるべく動いており、膠着となっているが何かが起これば容易く崩れ去るような危うい均衡ではある。

 勝敗は未だに見えてこない泥沼の戦いは続いていたが、もう一ヶ所――世界の反対側で起こっている戦いもまた膠着となっていた。


 アイオーン教団を擁するウルスラグナとグノーシス教団による国境での防衛戦だが、最初からそのつもりだったウルスラグナ側は攻城兵器や防御用の設備を持ち込んでいたので、物量の差を感じさせない粘りを見せていた。 対するグノーシス教団はウルスラグナが布陣していなければ手近な都市を順に制圧して橋頭保を築くつもりではあったが、目的の聖剣が目の前に現れたので早々に開戦に踏み切る事となった。


 こちらに関しては事前に準備していたウルスラグナ側に分があり、グノーシス教団は敵地と言う事もあって不利な戦いを強いられる事となる。 それに加えて聖女へ接近する際に相当数の兵の損耗があったので尚更だろう。


 最後に――恐らくこれが最も大きな要因なのだが、グノーシスの最大戦力である聖剣使いと救世主を聖女がたった一人で全員抑えている事だ。

 一呼吸の内に数十の攻防が発生し、巻き込まれた者はただでは済まない竜巻のような戦いだった。

 遠目にその様子を見ていたエルマン達もその凄まじい戦いに思わず息を呑む。


 この状況に最も恐れ戦いているのは対峙している聖剣使いであるハーキュリーズだろう。

 同じ聖剣使いで、自分には味方の援護があり、相手は単騎。 聖剣の数が違うが手数の差は圧倒的――にもかかわらず未だに仕留められていない。


 それどころか逆に数が減らされているのだ。 聖女はハーキュリーズの猛攻を捌きながら聖剣の捕縛を狙う周囲の警戒を怠っておらず、隙を見せたり突出した者を容赦なく刈り取る。

 ハーキュリーズの攻撃に合わせて援護が入った。 権能を用いた風の斬撃だ。


 聖女は聖剣で危なげなく躱すが、隙を見出して抑え込もうと間合いに入った者への反応も早い。

 装備の左腕部分に仕込んだ弓矢のような物が展開し、即座に発射。

 接近した救世主の足を凍らせて動きを封じ、聖剣を一閃。 権能を用いた障壁で防ごうとしたが聖剣相手には効果がなく、そのまま障壁ごと両断される。


 そしてグノーシス側の数が多い事を逆手にとって攻撃範囲が広い、他を巻き込む攻撃を多用するのでハーキュリーズは下手に間合いを開けられないのだ。

 半端な腕で割り込むとついでで殺されてしまうので聖女に関しては精鋭で対処していたのだが、これでは逆ではないかとハーキュリーズは内心で歯噛みする。


 指揮官であるヴァルデマルの考えでは精鋭で聖女を抑えて残りでウルスラグナの軍を壊滅させて、聖女の戦意を奪うか仕留めるかの二択だろうと考えていたのだが、この状況はハーキュリーズ達が抑えられている形になってしまっていた。

 

 死んだ者の穴を埋めるべく、他の聖堂騎士が死体から鎖を回収して聖女を狙うが相変わらず隙がない。

 その上、聖女は防御に専念しているので、どうしても積極的に動かざるを得ないのだ。

 かと言って攻め手を緩めれば水銀と銅による範囲攻撃が飛んでくる。


 そうなるとハーキュリーズ達は聖女に範囲攻撃を撃たせる隙を与えないように間断なく攻め続けるしかなくなってしまう。

 これは聖女の言いだした案だった。 聖剣が目当てである以上、グノーシスは自分を無視できない。

 放置しておくと被害が拡大する事を見せつければ尚更だろう。 そして自分が突出して派手に戦えば味方の士気も上がると、総大将である聖女が危険にさらされるという点に目を瞑れば非常に効果的な策だった。


 最初に聞いた時、エルマンは彼女の正気を疑ったが、実際にその戦いぶりを目の当たりにすれば虚勢でも何でもないという事が良く分かる。

 つまり出来ると確信していたのだ。 恐らくアドナイ・ツァバオトの能力を前提にした考えだったのだろうが、目の当たりにすると凄まじい。


 あのクリステラの猛攻ですら凌いだ聖剣の加護は動き続けている限り担い手に敗北を与えないと言わんばかりに神がかった動きで完全にグノーシスの主力を単騎で抑え切っていた。

 そしてグノーシスの目的が聖剣の入手である限り、聖女を無視することは不可能だ。

 

 ハーキュリーズは現場の指揮官としてそれなり以上の権限を与えられていた。 

 その中には部下の生殺与奪もだ。 救世主は教団にとって貴重な存在なので、簡単に使い潰していい者達ではない。 だが、現状を放置すると無為に死んでいく事は目に見えている。


 ならば最小の犠牲での勝利を目指すべきだろう。 若干の逡巡を経て、彼は部下に命令を下す。

 

 ――第三天を使用せよと。


 天国界は非常に消耗が激しく、展開数が増えれば増える程に制限時間が限られる。

 外部から魔力を賄えばある程度の緩和は可能だが、その源泉たる魂の消耗は抑えなければ魔力の有無を抜きにしても保なくなる。

 

 その為、短期的な戦闘では非常に強力なのだがその反面、長期戦には向かないのだ。

 特に剣を振るいながらの直接戦闘に絡めるとなるとその消耗は大きい。

 そんな理由で天国界は二天――つまり権能は二種類に抑え、必要に応じて使い分けるというのが救世主の基本的な戦いだ。

 

 ――それを理解した上で三天の使用を指示すると言う事は――


 一人の救世主が覚悟を決めて前に出る。

 

 「天国界シュメオン――第三金星天ビーナス


 そして同時に三枚目の羽を広げて聖女へ肉薄。 自身の身を顧みない動きで斬りかかる。

 聖女は応じるように聖剣を振り――


 「ρετριβθτιωε ξθστιψε正義!」


 権能が発動。

 自身の傷を対象にも与える「正義」の権能は聖女の回避能力を以ってしても防ぐ事はできないだろう。

 

 ――斬り裂く直前で通り過ぎる。 空振りだった。


 だが、それは外傷・・が発生すればの話だ。 フシャクシャスラ戦でこの戦法は一度見ているので、対抗策は練って来ていた。

 聖剣は救世主を斬り裂かずに振った勢いを利用して切っ先から水銀の塊を飛ばしその顔面に叩きつける。

 兜のバイザーから内部に侵入し、その口と鼻を塞ぐ。 呼吸と水銀による粘膜の侵食により、救世主は悲鳴すら上げられずに地面をのたうち回る。 権能は集中力を維持できずに解除。

 

 背の羽が消え失せたところで聖女は聖剣でとどめを刺し、次の敵へ意識を向ける。

 捨て身の戦法が効果がなかった事にハーキュリーズは小さく歯噛み。

 これはこのまま聖女の消耗を待つしかないのかと安易な打開策を諦める。


 その様子をエルマンはハラハラしながら眺め、グノーシス側の指揮を執っているヴァルデマルは尋常ではない聖女の粘りに苛立ちを浮かべた。

 こうなればクリステラの出現を待たずにもう一人の聖剣使いを投入しようと判断。 懸念はあるが速攻で叩き潰してしまえばいいのだ。 彼はそう自身を納得させ、本国へ連絡した彼の所に返って来たのは襲撃されているのでこれ以上は増援を送れないといったとんでもない内容だった。


 ――え?


 この戦いは本国から無尽蔵に増援を呼び込めるので、絶対に勝てると確信していたのだがそれが唐突に途切れたのだ。

 信じられない報告にヴァルデマルは呆然とするしかなかった。

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