第974話 「地獄」

 ヴァルデマルにより辺獄へと送られた者達はその光景を驚きと共に目の当たりにする事となる。

 だが、一度でも辺獄の地に足を踏み入れた事がある者であるならその違和感に別の意味で目を見開いただろう。

 黄昏色の空には無数の亀裂に断層。 その奥にはまったく底が見えない闇が渦を巻いており、そこから雫のように「虚無の尖兵」が落ちて来る。


 大地にはフシャクシャスラでは数本で空の亀裂を抑え込んだ柱が無数に立っており、空に向かって光を放出し続けていた。

 

 「こ、ここは一体……」


 誰かが思わずそう声を漏らす。 戦闘の音があちこちで響き渡っている事も困惑を強くする要因だった。


 「よく来たな! 待っていたぞ!」


 彼等にそう声をかけるのは近くにいた聖堂騎士だ。 長期間戦っているのか、装備には無数の傷が走っており、表情には疲労が張り付いていた。

 

 「歓迎会の一つでも開いてやりたい所だが、見ての通りここは戦場でそんな余裕は欠片もない。 さっさと仕事を割り振るので全員、死にたくなければしっかり動け!」

 

 聖堂騎士の言葉には有無を言わせない物があった。 誰かが言葉を挟もうとしたが、一切取り合うつもりがないのか矢継ぎ早に指示を飛ばす。


 「まずは前線で戦える者と魔法を扱える者――攻撃系が得意な物は俺と一緒に来い! 治癒魔法が使える者は救護所で治療に当たって貰う。 戦闘技能がない者は雑用だ。 仕事はいくらでもあるから近くにいる者の指示に従え! 罪人は後で迎えが来るからここで待て」


 聖堂騎士が付いて来いと手招きし、他の者達には少し離れた所にあるテントの方を軽く指差した後、歩き出した。 戦える者達は戸惑いながらもその背を追いかける。

 彼等が向かった先はこの地では最前線と呼ばれている場所で、激しい戦闘が繰り広げられていた。


 魔法が絶えず降り注ぎ、蠢く影絵めいた人型の群れを破壊し続け、突破して来た者達を聖騎士や聖殿騎士が迎え討つ。

 その壮絶な光景に案内された一同は思わず息を呑む。


 人型の群――「虚無の尖兵」は各々武器のような物を持っていたり、無手の者もいるが習性として手近に居る存在に襲い掛かるのでそれを逆手にとって足の速い者が突出して注意を引き付けて敵を集め、固まった所を魔法や弓矢等の飛び道具で一網打尽にするといった戦い方をしていた。


 今までに数多の犠牲者を出して編み出した戦いなので、かなり洗練されているのが分かる。

 何故なら完璧にこなせないと死ぬからだ。 彼等の見ている先で囮役が離脱に失敗し、虚無の尖兵に嬲り殺しにされているのが見えた。


 遠くで攻撃の準備をしていた者達が沈痛な面持ちで捕まった味方ごと攻撃を行い、纏めて消し飛ばす。

 別の場所では前線の突破を許し、白兵戦を行わざるを得ない距離まで接近され複数名が迎撃に出たが剣を持った聖騎士が無謀にも一人で斬りかかっていき、虚無の尖兵の持った槍のような物にあっさりと貫かれて即死する。


 前線は血みどろの地獄と化していたが、後方もまた地獄だった。

 接近させまいと高威力の魔法を放ち続けている者は敵と直接切り結ぶことはないが、敵の足を止める重要な役目があるので攻撃を途切れされる事が出来ない。


 下手に緩めるとその分、敵が攻撃を突破する可能性が上がる。 そして突破を許せば前線の負担が激増するのだ。

 前線を突破されると次は自分達が襲われるので、必死に前線の味方を守る為に攻撃を繰り返している。 過剰な魔法行使で限界を迎えた者が、頭痛がするのか嘔吐しながらも血走った目で魔法を発射している姿が散見されていた。


 当然ながら敵も突撃一辺倒ではない。 一部の個体は弓矢や魔法攻撃を繰り出してくる者も多くはないが存在した。 飛び道具を防ぐのは誰か? 前線だけでなく魔法にも適性がない者達――体格がいい町民達が用意された大楯で必死に防いでいる。 その盾は現在、ウルスラグナでマネシアという聖堂騎士が使っている物と似た代物で、魔力を注ぎ込めば障壁を展開できる優れモノだったが敵の猛攻の前にはやや頼りない。


 実際、一部では受けきれずに障壁を貫通。 盾持ちの一人が肩を貫かれて痛みにのた打ち回る。

 無事な者達が怪我人を邪魔だとばかりに後方へ投げ捨て、動ける者が回収して治療している場所に連れて行く。

 距離がある所為でよく聞き取れないが、戦場のあちこちで叫び声が響き渡る。


 それは悲鳴にも聞こえるが、感情をそのまま叫びに変換しているだけの咆哮なのかもしれない。

 前線は文字通りのいつ死んでもおかしくない戦場だった。

 だからと言って後方が楽な仕事かと言われるとそれも違う。 後ろはとにかく忙しい、専門知識や技能を持った者はそれを限界まで使用し、前線への支援を行う。


 治癒魔法が使える者は倒れるまで負傷者の治療を行い、料理などを行える物は後方で直ぐに食べられる食事を次々に作って疲れた体を引きずって来た者達に振舞う。

 技能を持たない物は荷物運びから体力に自信のある者は前線を行ったり来たりして、物資の運搬や負傷者の回収役を担い、とにかく走り回る事を要求される。


 見れば分かるような有様だが、聖堂騎士は状況に頭が追いついていない新人達にこれから自分達が何をするのかをざっくりとだが説明をした。 聞いている側は見る見る内に顔から血の気が引いて行っているのだが、自分の時も同じだったので聖堂騎士は気にしない。


 聖騎士、聖職者、町民が担う役割ははっきりした。

 なら残りの罪人が担うのは何か? それはこれから行われる重要な役目だ。

 柱が立ち並んでいる場所に罪人を連れて行き、空いている場所――魔法陣のような場所に罪人達を立たせると法衣を纏った者達が何やら儀式を行うと罪人達が苦しみ始め、その体が光の粒子のような物に分解され固まって形を成していく――


 ――そして出来上がったのは巨大な柱。


 柱は起動すると先端から空に向かって光を放つ。 光は空の亀裂に接触し、細かな物を消し去り、広がろうとする断層を押しとどめる。

 

 「――よし、事情とやるべき事は分かったな。 では新人共は俺に続け! 前線で踏ん張っている連中に楽をさせてやるぞ!」


 聖堂騎士に先導され、聖騎士達は恐怖を抱きながらもその背に続く。

 彼等にはそうするしかない事をよく理解していた。 彼等をこの場へ送ったのはヴァルデマルだ。

 そのヴァルデマルがここにいないという事は元の場所に帰る手段がない。


 つまり逃げる場所など存在しないのだ。 仮に逃げたとして捕まって送り返されるか、辺獄を当てもなく彷徨う事になる。 当然、辺獄種も湧くので生き残れるかも怪しい上、仮に戻れたとしても教団に居場所がなくなるので取れる選択肢じゃない。


 町民達も前金を受け取っている以上は逃げられないので、どう足掻いてもやるしかないのだ。

 こうして新たに辺獄に送り込まれた者達は訳も分からず、与えられた役割を全うする為に戦いに身を投じる事となる。


 ――ここは世界の滅び。 その淵であり、グノーシス教団では信仰心を試す場の暗喩。


 その実態は失態を犯した者、教団にとって重要でもない者、罪人として処刑される者、身の程知らずな出世欲を抱いた物を投棄する処分場。

 世界が終わるその日まで、戦い続けなければならない修羅の巷。

 

 彼等は今日もこの地で命を燃やして戦い続ける。

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