二十七章

第969話 「出勤」

 聖堂騎士「救世主」オーガスタス・ケニ・ヒュダルネスの朝は早い。

 これは彼に限った話ではなく、彼の同僚達も地位に見合った苦労は存在する。

 クロノカイロス――というより、このジオセントルザムだけの話なので国の全体を統括している訳ではなく、首都の外と比べれば比較的ではあるが楽なのかもしれない。


 彼は現在三十八歳。 色々と頑張っては来たがあまり無理が出来なくなってきた年齢だ。

 それでも若い連中には負けてられないと踏ん張っている事には理由がある。

 ヒュダルネスは大聖堂に併設された宿舎で暮らさず外に家を持っており、そこからの通いだった。


 業務や生活を行う上で職場に近い位置に居を構えるのは楽ではある。

 それをやらないのは――


 「おはよう。 あなた」


 ――妻と娘の存在があるからだ。


 妻のフィスカットは早めに起きて用意していた朝食をテーブルに並べている。

 

 「あぁ、おはよう」

 「今日は遅くなりそう?」


 席に着きながらさり気なく予定を聞いて来る。 ヒュダルネスの仕事は場合によっては遅くなる事もあるので夕食を家でとれなくなる事があるのでその確認の為だった。

 もはや朝の日課のようなやり取りにヒュダルネスは起床後のややぼんやりとした頭で今日の予定を考える。


 ――朝礼で簡単な打ち合わせ、書類関係の処理、部下の調練、集まりは――この前にやったか……。


 思い出して少し嫌な気持ちになる。 

 ほぼ決定しているウルスラグナ王国への侵攻。 素直に渡すならば良しと言った態度だが、ヴァルデマル達の反応をみれば力尽くで奪うつもりなのは明らかだ。

 

 問題は教団の長たる猊下――教皇がやる気になっている点が良くない。

 間違いなくかなりの数の犠牲者が出る事になるだろう。 それも双方にだ。


 「いや、王城の方に顔を出す予定はあるが、そこまでは遅くならないと思う。 もし遅くなるなら使いを遣るから先に休んでていい」

 

 それを聞いてフィスカットはやや呆れたような表情をする。


 「またボイヤー君をそんな事に使って。 彼は聖殿騎士なのよ? あんまり小間使いみたいな事をさせてはダメよ?」

 「はは、すまんすまん。 あいつは素直ないい奴だからついつい色々と頼んでしまう」


 ボイヤーと言うのはヒュダルネスの部下だ。 若くして聖殿騎士になり、剣の腕は荒削りながらも素晴らしい才能を感じさせる有望な人材だった。 彼の見立てでは聖堂騎士になれる日もそう遠くない。

 ヒュダルネスを先達として尊敬しているという事もあり、彼が可愛がっている少年でもあった。


 会話が途切れた所でふとヒュダルネスはフィスカットに胸の内にある疑問を吐き出す。

 選択肢はないに等しいが、悩む姿勢は大事だと思っているからだ。


 「――今日明日の話ではないんだが、そう遠くない内に他国への侵攻がある」

 

 それを聞いてフィスカットの表情が小さな驚きを浮かべる。

 このジオセントルザムにいると他所の国の情報はほとんど入って来ないので、彼女は余り世界情勢に詳しくはない。


 「侵攻の気配があるではなく、侵攻を行うのね?」

 「あぁ、知らないかもしれんが、場所はウルスラグナ王国。 ヴァーサリイ大陸の北端だ」

 「……随分と遠くまで行くのね。 わざわざ、そんな所まで遠征すると言う事は聖剣か何かが関係しているの?」


 この街に住んでいれば教団の目的と教義。 そして重要な聖剣に関しては嫌でも耳に入る。

 それにフィスカットは家庭に入ったとはいえ、元々は聖堂騎士だ。

 ヒュダルネスの部下で結婚と妊娠を機に引退した。 それでも世界地図を目にする機会は幾度となくあったので大陸のどの辺りかと言われれば察しが付く。


 「何でも聖剣が四本以上固まっている可能性があるらしい」

 「四本? 確か聖剣は各大陸に三本しかないはずなのに……。 つまり、そのウルスラグナ王国は他所から奪ったと?」

 

 自然に考えればそうなる。

 ただ、事情を聞けばそうとも言い切れないのでヒュダルネスは何とも言えないと言った表情で首を振った。


 「それが何とも言えない。 ウルスラグナ王国――正確にはそこに存在するアイオーン教団という組織が聖剣を保有しているらしい。 確認できただけでも最低三本は間違いなくあるらしい。 内、一本はこっちに引き上げる前に奪われた物なので擁護はできんが、背景を聞けば罪人と言い切る事も出来なくてな」

 

 ヒュダルネスはフィスカットにアイオーン教団についての概要を話す。

 元々、グノーシス教団の基盤を受け継いで発足した組織である事とその経緯。

 そして聖剣を手に入れ、今に至るまでをだ。


 「――エロヒム・ギボールに関してはグノーシスで保管していた物だったので、擁護できんが決めた奴の考えは理解できなくもない。 ウルスラグナ王国は他所の国との国交がない飛び地で、発足した組織は維持する事で精一杯。 辺獄の領域バラルフラームの一件で、グノーシスの介入が容易である事を踏まえればどうしても戦力が欲しいと考えるのは当然だろう。 連中からすれば俺達グノーシスは信用できないだろうからな。 奪いに行く事にもそこまでの抵抗はなかっただろう」

 「そう。 あなたとしては攻めるのに乗り気じゃないのね?」

 「あぁ、本音を言えば話し合いで解決できればと思っている。 だが、猊下がすっかりやる気になっている以上はかなり難しいだろう。 それに俺達――俺かサンディッチが行ければいいが、フェリシティかフローレンスが行く事になれば最悪皆殺しもあり得る」


 ヒュダルネスとサンディッチは可能な限り余計な戦いを避けたいと思っているので、指揮官に任命されれば可能な限り交渉で事を進めようと動くつもりだ。

 これは無駄な人死にを避けたいという気持ちもあるが、この先に訪れるであろう滅びに立ち向かう為に余計な犠牲を出すべきではないという気持ちが強い。


 聖騎士は敵を滅ぼす剣である事を求められるが、その本質は人々の安寧を守る盾であるべきだというのがヒュダルネスの考えだ。 特に子供が出来てからはその思いは顕著になった。

 彼は家族を愛している。 同様にウルスラグナ王国に住む者達にもまた家族がいる筈なのだ。


 人が死ねばその家族は嘆き悲しむだろう。 怒りや憎しみは連鎖する。

 そんな物を携挙を乗り越えた後の世界に持ち込むべきではない。 教義が正しいのならそこは理想郷との事らしい。 ならば尚更、清らかな物だけを持って行けばいいのだ。


 「だから何とか最悪の事態だけは回避したいと思っている。 他はともかくハーキュリーズ達が前線に出るような事になれば聖剣使い同士の殺し合いだ。 周囲にどれだけの被害が出るのか想像もつかん」


 ヘイスティングス・リーランド・ハーキュリーズ。

 聖剣ガリズ・ヨッドを操る救世主最強の一角だ。 教皇の直衛戦力でもある。

 

 「猊下が奴を一時的にでも手放すかは少し怪しいが、下手に抵抗されると投入は充分にあり得る」

 「……聖下に話を持って行くつもりなのね」

 

 フィスカットはやや心配そうな表情で夫の考えを言い当てる。

 聖下――つまりは法王。 この国では教皇と並ぶ権力を持った存在だ。

 法王と教皇は権力の及ぶ範囲の住み分けはされているが、同格である以上は口は出せる。


 「あぁ、先日に謁見の許可は貰っているのでな。 聖下もお忙しいだろうから余り時間を取らせる訳にはいかない。 まぁ、駄目だったらすっぱりと諦めるさ」


 フィスカットは苦笑して頷く。 立場的に余り褒められた行動ではないのだが、彼女は夫のこういう部分に惹かれたので止める事はできなかった。

 ヒュダルネスは大丈夫だと笑って見せた後、食事を済ませ、まだ眠っている娘の顔を見てから我が家を後にした。

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