第967話 「手書」

 「あぁぁぁぁぁ! クソッ! クソッ! 全然終わらないぞ!」


 ベレンガリアマルキアは自身の工場の一角で必死に魔導書を仕上げながら叫びを上げる。

 柘植と両角も黙々と作業を続けているが、気持ちはベレンガリアと同じだった。

 試作品のスケールアップした魔導書の作成を本格的に依頼されたのだ。

 

 これに関しては大量生産する予定なのか、将来的には生産用のラインを用意するのでゆくゆくはオートメイション化するとの事だが今はそうではない。

 急ぎで仕上げろと大きさ一メートル半の魔導書をダース単位で注文して来たので完全に修羅場となっていた。


 どうも急ぎで必要との事なので出来た端から出荷と言う凄まじい環境と化していた。

 臨時に入ったドワーフの助っ人達は工場の仕事が再開したので、一部が引き上げてしまい戦力が大幅に落ちた事もこの状況に拍車をかけていた。

 

 ただ、見捨てるのも悪いと思ったのか、ドワーフの作業員達は暇な時間を見つけては手伝いに来てくれていたので何とか一定の作業ペースを維持できていたのだ。

 

 「馬鹿みたいな数を要求しやがってあの女! これ、本当に使うんだろうな!?」


 ベレンガリアは喚き散らしながらも手はしっかりと動いているが、言わずにはいられないのだろう。

 その理由は用途にある。 ベレンガリアはオラトリアムの上層部に信用されていないので、重要な情報どころか重要じゃない情報も殆ど降りてこないので、自分が作っている魔導書がどう言った形で運用されるのかをまったく知らないのだ。


 ただ、第二位階までの制限付きなのでそこまで難しい構造ではないのが幸いなのかもしれない。

 基本的に魔導書のデチューンは引き算だ。 記述を削り、欠けた状態でも機能するように調整する事で成立する。 その為、完全版に比べると作成自体の手間はかからない。


 ――もっともサイズと数の所為で思った以上に作業スピードが遅くなってはいるが……。


 助っ人のドワーフ達も慣れていない事もあり、最初はぎこちなかったが慣れて来ると作業スピードが安定して来た。 それでも物量が足りずに遅れが出ている状態だ。

 

 「あぁ、クソッ! 急かすなら増員を寄越せ! これじゃノルマに届かないぞ!」


 以前までは頭にあった見返してやるといった考えもすっかり吹き飛び「手が足りない、手が足りない」とブツブツと呟きながら手を動かしていた。

 出来上がった巨大な魔導書は作業スペースの片隅に置かれるが、出来上がった端から消えて行く。

 何故なら近くに控えているオラトリアムから来た者達が早々に持って行ってしまうからだ。

 

 その様子から明らかに供給が追い付いていないのが分かる。

 ぶつくさと文句を言いながらもベレンガリアは内心で首を傾げざるを得ない。

 魔導書は誰でも――と言うには語弊があるが、ある程度の魔法行使能力があれば簡単に使用できる代物ではある。


 裏を返せば最低限、魔法を扱えないとまともに扱えないとも言えるだろう。

 その為、オークやトロールと言った知能が低い亜人種には扱う事は難しい。 一応ではあるが、個体差はあるので使えないと言う事はないのだがハードルは高いといえるだろう。


 だからこそベレンガリアには疑問だった。

 

 ――この魔導書を何に使うのか? いや、正確には誰に使わせるのかがだ。


 「やぁ、頑張っているかな?」


 そんな事を考えていると不意に誰かが作業スペースに入って来る。

 ベレンガリアが何だと視線を向けるとそこに居たのはヴァレンティーナだった。

 柘植と両角はヴァレンティーナの事があまり好きではなかったので内心で少しだけ嫌な顔をする。


 ヴァレンティーナはオラトリアムでの地位は高いので、決して暇ではない筈だ。

 そんな立場の女がわざわざ足を運んだのだ。 間違いなく碌な用件ではないだろう。

 催促か追加の請求かのどちらかかもしれないと身構える。


 「作業なら全力で進めている! これ以上ペースを上げろとか言われても無理だからな!」


 ベレンガリアはヴァレンティーナを睨みつけて言い放つが、ヴァレンティーナは涼し気に受け流して小さく肩を竦める。


 「見てれば分かるよ。 僕も姉上も能力以上の要求をするような無体な真似はしないさ」

 「やれるだけはやるが、目標数は無理だ。 どうしても数が欲しいならなるべく器用な奴を増員として寄越してくれ! ――というかこんな物、一体何に使うんだ?」

 「それに関しては分かっているよ。 増員の件は話をしてあるから研究所の方からある程度ではあるけど、纏まった人数を送れると思う。 用途に関しては――うーん。 教えてもいいような気もするけど、クロノカイロスの件が始まってからかな?」

 「何故だ!?」

 「その辺は姉上の不興を買った君の自業自得さ。 えぇっと? 現在の進捗はそろそろノルマの半分といった所か。 動作チェックでは今のところは問題なし。 手書きでここまでやれるのは流石だね」


 口調にはからかうような色こそ含まれているが、ヴァレンティーナはベレンガリアの仕事ぶりを非常に高く評価していた。

 慣れないサイズの魔導書の発注という無茶振りにも全力で応え、文句を言いつつもそれなり以上の成果を叩きだしている。 納品された魔導書も現在は動作チェックを終えた後、本格的に使用者に割り振るといった状況だったのだが、動作不良の類が一切起こっていないのでベレンガリアが手を抜かずに真面目に仕事をしている証左とも言えるだろう。


 ここで手を抜いたり雑な仕事をして碌に成果を上げていないというのなら、研究所で修正を入れるといった形にするつもりであったがその作業を省略できる分、人員をこちらに回す事が出来るようになったのだ。 ヴァレンティーナがこうして足を運んだのはベレンガリアの仕事を評価しての事だった。


 ――これでもう少し分別を身に付けてくれれば、オラトリアムに引き上げるのだけれど……。


 能力と性格が釣り合っていれば、エゼルベルトと同等の権限を与えてもいいと思っていたが、残念ながらこの様子ではそうなる日は遠そうだ。

 彼女は感情が高ぶると勢いのまま誰彼構わず噛みつくので、下手に上の人間と接触させられない。

 ファティマもそうだが、うっかりローの不興を買ってしまうと最悪、殺処分もあり得る。


 ヴァレンティーナとしてはベレンガリアに死なれると他の負担が増えるので、可能な限りそうなって欲しくない。

 結局、彼女を運用する上での最適解は、余計な事をしないようにこの島に押し込んでしまう事といった結論になってしまうのだ。

 

 ――取りあえず増員を送れば少しは静かになるかな?


 ヴァレンティーナは元気よく喚き散らしているベレンガリアを適当にあしらいながらそう思った。

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