第943話 「意交」

 「各々方の仰る通り、アイオーン教団は元来、ヴァーサリイ大陸北部のウルスラグナ王国に存在した我等の活動基盤をそのまま引き継ぐ形で発足した組織となります」


 世界の反対側にある辺境の出来事なので、詳細まで知っている者はそう多くはないが、その発端となった事件が事件だったので、概要程度であるなら知っている者は多かった。

 ヒュダルネスはやや苦い顔で腕を組む。


 「まぁ、向こうの状況を考えればああなるのも仕方がない話ではあるな」

 「ヒュダルネス殿! この地を守護する救世主の筆頭である貴方が何を――」


 ヒュダルネスの言葉に即座にフェリシティが噛みつくが、それを涼しい顔で受け流す。

 

 「――そうはいっても例の騒動で枢機卿はワイアットを残して全滅。 生き残った連中もウルスラグナでの活動を維持できずに撤退。 教団という拠り所を失った民衆がどうなるかぐらい、お前にも分かるだろうが」


 実際、教団の不祥事が明らかになった後のウルスラグナは酷い状況だった。

 グノーシス教団の関係者が襲撃されるといった事件も多発していたので、治安維持の意味でも後釜となる組織の発足はウルスラグナには必須とも言えた。


 「甘い! 信仰は尊び、守る物! それができない者は教団の信徒たる自覚が足りぬ証拠!」


 ヒュダルネスの言葉をフェリシティは一蹴。

 彼女の物言いにヒュダルネスが僅かに目を細める。


 「……放り出されて行き場をなくした連中にもそれを言うのか?」

 「当然! その程度で揺らぐなど信仰心が足りぬ証拠! 一度、グノーシスの門戸を叩いた以上、その信仰に命を賭けるのはごく自然な事! 大方、そのような輩は教団の庇護を受ける際に発生する利益に目が眩んだだけの愚者! 寧ろ苦境でこそその本質が分かると言う物、つまりそのような愚行に及ぶ者は信仰心が足りぬだけ! 信仰心が足りぬという事は信徒ではない事と同義。 つまり死んだ所で我々の知った事ではない!」

 

 フェリシティの激情は熱量となってヒュダルネスを射抜く。

 ヒュダルネスは熱弁を振るうフェリシティを見て表情にこそ変化はないが、その視線からは熱量が急激に失われていた。 


 「ふん。 お前の考えは良く分かった。 機会があればその気高い信仰心を是非とも見せて欲しいものだな」

 

 その返しを皮肉と受け取ったのか、フェリシティの表情が別の意味で激情を――


 「……お二人の話はこれ以上重ねても不毛なだけでしょう。 なにせ、ヒュダルネス殿のお話もフェリシティ殿のお話も教義としては正しい。 信徒も信仰心も等しく守られるべき物だからです」


 割って入ったのはサンディッチだ。 ヴァルデマルはその間、一切の口を挟まない。

 それを見て若干の不快感を覚えていたが、努めて表には出さずに淡々とした口調で仲裁に入る。

 フェリシティは優秀な救世主ではあるが、度が過ぎる信仰心と頭に血が上りやすいといった難点があった。


 正直な話、サンディッチはこの面倒臭い同僚の事を良くは思っていなかったが、こう言った場でしか接する機会がないので定期的に訪れる我慢の時と割り切っていた。

 何故ならこうして割り込むとこの女は――


 「ならばサンディッチ! 貴様はどう思っているのだ!? なあなあで流してないで自分の意見を言え! 何かを述べたいなら分かりやすくはっきりと言え!」


 ――すぐにこうして噛みついて来る。


 サンディッチは内心で小さく溜息を吐く。 彼はフェリシティの言う通り、穏便に物事を済ませようといった傾向にあったが内にある意見を曲げるような真似はしない。


 「……さっきも言った通り、どちらの言にも理はあると考えています。 貴女の言う通り、信仰は遵守する物で、蔑ろにする事は許されていいものではありません。 だが、人は誰しも貴女のような強者ではない。 信仰は守るべきものであると同時に人々の頼りない道行きを照らす道標でもあります。 それを失えば人は道に迷ってしまう」


 そこまで言うとサンディッチは睨みつけてくるフェリシティを同等以上の激情を乗せた視線で睨み返す。


 「そして順番を間違えるな。 彼等が迷ったのは我々が先に手を放したからだ! まず責めを負うべきは組織を維持できなかった我々だという事をよく覚えておけ!」


 救世主ウィルラート・クリント・サンディッチは聖堂騎士であると同時に信仰の守護者。

 そしてその立場に見合った公平性を自らに課していた。

 彼は自らに定めた理に従って、アイオーン教団を不当に貶めないが、過剰な擁護もしない。


 その視線の前にフェリシティは気圧されたように僅かに後退する。

 同時にパンと手を叩く音が響く。 ヴァルデマルだ。

 

 「各々の信仰にかける熱い想いは理解しました。 そしてアイオーン教団についての理解も凡そですが問題はなさそうですね。 では話を続けるとしましょう」


 ヒュダルネス、サンディッチは何事もなかったかのように向き直り、フェリシティはやや遅れて静かになった。

 ヴァルデマルはそれを確認したと同時に話を続ける。


 「さて、どこまで話しましたか……」


 隣の司教枢機卿らしき少女が小さく囁く。 それを聞いてヴァルデマルはおおと頷く。


 「そうでしたそうでした。 アイオーン教団の関与についてでしたな。 当然ながら根拠はあります。 教団の聖女を名乗る存在――彼女の腰にはエロヒム・ツァバオトだけでなくアドナイ・ツァバオトまで存在しているからです」

 「――なっ!? 馬鹿な!? 聖剣を二本同時に扱っていると言うのか!?」


 驚きを露わにするフェリシティ。 残りの二人も声こそ上げなかったが動揺しているのか、小さく目を見開いていた。

 本来、聖剣は一人一本。 それは絶対の物と考えていたので、それが覆された事が衝撃だったのだ。

 

 「……驚いたな。 例の聖女って奴は全身鎧で姿を隠していると聞いた。 ならば複数の担い手に代わる代わる演じさせているといった訳じゃないのか?」

 「いえ、その腰に二本の聖剣が納まっていた事がはっきりと確認されております」

 「なるほど。 アドナイ・ツァバオトはグリゴリが保有していた聖剣。 それを手に入れているという事は少なくとも前の担い手から奪ったのは確定ですか……」

 

 聖剣は担い手を選ぶ。 その為、奪った所で簡単に扱える物ではない。

 ヒュダルネスの脳裏には強い困惑。 グリゴリがアイオーンに敗北したのは事実だろう。

 だが、それ以前にどうやってといった疑問符が付く。 エロヒム・ギボールの所在がはっきりしたのは実の所、割と最近だったのでフェリシティとサンディッチは知らなかったが、彼は知っていたので戦力に聖剣が二本ある事は理解してはいた。


 それでもグリゴリ相手に勝利を収めるのは難しいと判断せざるを得ない。

 上位の天使――グリゴリの戦闘能力に関しても伝聞なので、詳細までは知らなかったので自らの経験と知識に基づく推測にはなるが、勝利が難しい戦力差だったのは間違いない。


 サンディッチは思索。 得た情報を咀嚼する。

 聖剣とは担い手を選定する存在。 奪われたからといってそう簡単に鞍替えするような物なのだろうか?

 彼は本国の聖堂騎士である以上、聖剣の性質についてはそれなりに詳しい。


 聖剣は己に必要な存在を求めると聞いている。 事実、適さないと判断された者は聖剣に弾かれるらしい。

 その為、アイオーン教団にも選ばれるに足る理由があるのではないのかと考えてしまうのだ。

 彼は公平を己に課す。 それ故に考えてしまうのだ。 本当に彼等は間違っているのか?と。


 教団に対しての忠誠に揺らぎはないが、疑問だけは消えなかった。

 

 そしてフェリシティはそうか二本持てるのかと新たな発見に打ち震えている。

 上手く行けば自分も聖剣を二本持てるのではないかといった皮算用を行って、複数の聖剣を扱う自分を幻視していた。

 

 それぞれの思惑を余所に話は続く。

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