第933話 「朝来」

 本当にこれでよかったのだろうか? 目の前で眠るモンセラートを見てクリステラは悩む。

 彼女は決めたのならそれを貫徹するべしと自分で定めているので、これほどまでに悩む事は過去を遡ってもそう多くなかった。 当然ながら彼女とて完璧ではないので、してしまった失敗等に対する後悔は存在する。 だが、決めた事への正否でここまで悩む事は少し記憶になかった。


 恐らく、それが正しかったという確信は今後得られないのかもしれないとぼんやりと考える。

 今回の一件に関しては一切の後悔を抱かずに乗り切る事は不可能と言う事は理解していた。

 ただ、それでもと悩むのは間違いなのだろうか?


 それを含めて答えは出なさそうだ。

 これでモンセラートが助かれば少なくとも選択自体は間違っていなかったとは思えるが、想像している以上に危険な存在と取引をしてしまったのではないのだろうかといった思いは拭えない。


 エルマンははっきりと明言しなかったが、現れたあの女――ファティマを見れば分かる。

 相手はオラトリアムだ。 そしてファティマが連れている存在を見てクリステラの中でバラバラだったいくつもの事柄が繋がり、一つの形を成した。


 オラトリアム。 そう、全てはあの組織が関わっていたのだ。

 あの存在は魔法で正体を隠しており魔剣の気配もあって確信には至っていないが、ムスリム霊山で現れた者かもしれないと疑っていた。

 つまりあそこを襲ったのはオラトリアム。 ゲリーベが滅んだ事にも関与しており、霊山襲撃にダーザインが関与している所を見ると、裏で手を結んでいた事も容易に想像が付く。 そしてアスピザル達が王都に居た事を踏まえるとあの一件にも深くかかわっているのは間違いない。


 ――いや、関与ではなく主導で引き起こした可能性が高い。


 その後、何食わぬ顔で勢力を拡大しアイオーン教団最大の支援者として納まり、教団の運営などに口を出している。

 世情にあまり明るくない彼女でもオラトリアムの勢力としての大きさは良く分かっていた。

 この国の流通の大半を支配している巨大商会を擁し、詳細不明の強大な軍事力を持った大勢力。


 今となってはこのウルスラグナを支配しているのは王家ではなくオラトリアムと言っても過言ではないだろう。 しかもつい先日、反抗勢力であったユルシュルも滅んだ以上、もう表だって逆らう組織や勢力は存在しない。


 ――まさか、ここまで全て計算で?


 そうとしか考えられない事柄が多すぎる。 オラトリアムはウルスラグナを支配する為に裏で暗躍していたのだ。 考えれば考える程にその確信は強くなる。

 恐ろしい。 実際クリステラ自身、あの二人の姿を見るまでは違和感は感じていても、オラトリアムに対してそこまで明確な疑惑は抱けなかったのだ。


 オラトリアムは一部の者を除き、誰にも悟られずにこの国を掌握したのだ。

 危険だと彼女の中の警鐘が鳴り響くが、理性はもうどうにもならないと囁いている。

 今のウルスラグナが成り立っているのはオラトリアムのお陰であり、あの勢力に依存する形で成立している。 そしてそれはアイオーン教団も同様で、そもそもどうにかなるのならエルマンが何かしらの手を打っている筈だ。

 

 エルマンは非常に頭が切れる。 少なくともクリステラよりも遥かに広い視野を持っており、その経験に裏打ちされた判断力は非常に頼りにされていた。

 そのエルマンが素直に従っている時点で打開する為の手段がないのだろうという事も理解できてしまうのだ。


 ウルスラグナだけでこれだけの事をやっているオラトリアム。

 魔剣を持っている時点で既に他の国どころか大陸にまで手を伸ばしている事が分かる。

 魔剣は第九のリリト・キスキルが消滅している時点で総数が九本しかない。


 それを三本以上独占しているのだ。 グリゴリが保有していた魔剣も手中に収めている可能性は高い。

 そうだとすればエルマンが追及された際に濁した事に関しても説明が付いてしまうのだ。

 

 あの戦場に介入したのはオラトリアムで、戦場から消えたグリゴリの天使を撃破したのも彼等だろうと言う事は簡単に納得できた。

 魔剣を従えている時点で、自分達の想像を越えた何かを用いて滅ぼしたのだろうと確信すらできる。

 

 そう考えるのならフシャクシャスラでの騒動も疑わしい。

 

 ――オラトリアムの最終的な狙いは一体……。


 クリステラの中ではオラトリアムは世界各国で暗躍し、破壊の限りを尽くす危険な組織と化していた。

 彼女の想像力で出てきた結論はもしや世界征服でも狙っているでは?と言った物だ。

 馬鹿なと言った否定は出てこない。 何故なら彼等は次にクロノカイロスを攻めるとはっきりと口にしたのだ。


 明らかに冗談ではなかった。 そして繰り広げられるのは血みどろの虐殺。

 彼等の口振りでは間違いなく理不尽な光景が繰り広げられ、クリステラはその片棒を担がされる。

 当日までに割り切るつもりではあるが、迷いは消えない。


 「……う」


 モンセラートが小さく声を漏らす。 それを見てクリステラははっと顔を上げて窓から外を見ると、朝日が昇り、夜が明けそうになっていた。 いつの間にかかなりの時間が経っていたようだ。

 

 「モンセラート。 私が分かりますか?」


 クリステラは思わずモンセラートの身体を小さく揺する。 本来なら自然と目覚めるのを待つべきなのだろうが、気持ちが急いてしまっており、ついそんな行動に走ってしまう。

 モンセラートはゆっくりと目を開き――


 「クリステラ?」


 そう呟くと意識が覚醒したのか目を大きく見開いて一気に身を起こす。

 モンセラートはかなり驚いているのか自分の身体をペタペタと触り、呆然とした表情でクリステラの方へと視線を向け、思わずと言った様子で呟く。


 「……信じられない。 治ってる」


 それを聞いてクリステラも目を見開く。


 「ほ、本当ですか!」

 「えぇ、昨日まであった不調が嘘みたいになくなっている。 凄い、体が凄く軽いわ」

 

 一時的な物かもしれないので、様子を見ないと最終的な判断は下せない。

 それでも今この瞬間のモンセラートは健康そのものに見える。 顔色も良く、不調を隠している様子もない。 徐々に弱って行く姿を見る事しかできなかったクリステラからすれば、完治したと信じたい光景であり、理屈ではなく心は信じたがっていた。


 「良かった。 本当に良かった」


 そう言いながら気が付けばクリステラは涙を流していた。 モンセラートも僅かに涙を滲ませながら彼女を抱きしめる。

 

 「普通は逆じゃないかしら? まぁ、気分がいいから許すわ! ――助けてくれてありがとうクリステラ」

 

 モンセラートはいつもの調子で、そして最後はそう言って静かに涙を流した。

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