第891話 「心構」
こんにちは。 梼原 有鹿です。
つい先日、瓢箪山さんの放送でグリゴリの殲滅に成功し危機は去りましたとの事でオラトリアムには平和と変わらない日常が戻ってきました。
襲撃を受けるかもしれないとの事だったので心配だったけど、特に危ない事は起こらず戦勝のお知らせだけが通達されて今回の一件は終わり。
わたしとしては訓練だけで済んでほっと胸を撫で下ろしていた。
平和な毎日の所為で忘れがちだけど、この世界はわたしが元居た世界と違ってかなり殺伐としている。
それにわたしが何かできる訳ではないので、ただただ無事に終わりますようにと祈る事しかできない。
我ながら後ろ向きだとは思うけど、わたしに戦いは無理だ。
こうして日々の仕事に励むのは現実逃避なのかもしれないけど……。
「ちょっと! ボーっとしないでよ?」
不意に背中を叩かれてはっとして振り返る。
そこには仕事で一緒になったジェルチさんがこちらを見上げていた。
わたしの身体は普通の人と比べて大きいので視線を合わせる為には自然と見上げる事になる。
「あ、ごめんなさい。 ちょっと考え事してて……」
今、わたし達が居る所はティアドラス山脈の外れ、シュドラスからかなり西に行った所になる。
力自慢の亜人種の皆と荷を用意したジェルチさん達の先導で荷物の輸送中だ。 ここ最近、ダーザイン食堂は雑貨屋さんとしてもオラトリアムでの地位を築きつつあり、こういった配送などの仕事も請け負っている。
今向かっている先では規模はそこまで大きくないのだけど、工事をやっているので現場への物資運搬の必要があってこうして輸送隊が組まれて移動中だ。
本来ならコンガマトーを使用しての空輸の方が効率が良いのだけど、前回の襲撃で数が減ってしまい、増産が終わるまで割けないのでこうしてわたし達に仕事が振られたみたい。
「何か心配事? どうせ道中暇だし話ぐらいなら聞くけど?」
どうやらジェルチさんは心配してくれているみたい。 それに内心で感謝しながら少しだけ心配を口に出す。
「あの、前の戦闘とかで、ここも絶対安全って訳じゃないのかなって……」
「――あぁ、そう言う事。 今までオラトリアムってまともに襲撃受けた事なかったし、そりゃそうよねー」
彼女は察したのかうんうんと何度も頷く。
「まぁ、アンタの気持ちも分かるわ。 あたしもこっちにいると今までの事を忘れそうになる。 ――ちょっと前の話なんだけど、ユルシュルの話って知ってる?」
「確かオラトリアムに戦いを挑んだとかの……」
あんまり話題にならなかったから詳しくはないけど、そんな感じの事件だったはず。
「そ、あたし達で向こうの内偵やったんだけどね。 ユルシュルって本当に酷い所だったわ。 重税なんて可愛い物で反抗的な態度をとったら即座に処刑、上だけが利益を貪る。 腐った国のお手本みたいな場所だった」
わたしはジェルチさんの話を黙って聞く。 それはわたしが見て来なかったこの世界の日常なのだろうと言う事は理解できたからだ。
「そう言う意味ではあたし達は幸運だと思う。 殺伐とした事もない平和な日々。 だけど、忘れない方がいい事もあるわ。 この世界で平和で居る事を許されていると言う事は相応の事をやっていると言う事を」
ジェルチさんの言いたい事は何となくだけど理解できた。
オラトリアムの平和には代償がある。 それが罪もない人々の命や日常と言う事も理解はしていた。
「……あたしは永遠に続く物なんてないと思ってる。だから、この生活も何かしらの形で終わるかもしれないと言う事は意識した方がいい」
それはどう言う形で訪れるかも分からない。 もしかしたら変化という形に留まるのかもしれないけど、そうじゃない可能性も充分にあり得る。
「まぁ、そんな事もあるかもしれないから今の内に心構えだけはしておきなさいなって話よ」
ジェルチさんはそう言って小さく笑う。 それを見て少しだけ心が軽くなった。
山脈の外れと言う事で時間がかかってしまったけど、特に問題もなく目的地へと近づいて来た。
元々、この山脈の中心部は亜人種の皆が開拓していたのだけど、外れは魔物の巣窟と言う事でかなり危険だったらしい。
少し前に駆除が完了したとの事で徐々に開拓を続けている。 その為、目的地までの道のりは安全そのものだった。
近づくにつれ遠くから何かを掘削するような大きな音が聞こえて来る。
事前にどう言った事をしているのかは聞かされていたので、特に気にせずに音の方へと向かう。
見えて来たそこは仮設のキャンプ地のような場所で、あちこちに巨大なドリルが設置されており作業員が操作して地面に穴を掘っていた。
これは設備関係の埋設作業で、広範囲に渡って作業を行う事もあって転移用の設備も用意し辛い。
あの設備はとんでもなく高価だそうなので、移動しながら穴を掘る彼等の業務とは相性があまり良くないとの事。
作業しているのは――あれ? オークさんやトロールさんが多いのは分かるけど見慣れない人達がいる。
何だろうと目を凝らすと、昆虫と人を掛け合わせたようなデザインの生き物が……。
……あれ? 同郷の人かな?
見れば見る程、転生者っぽい。 恐らく弘原海さんと同じタイミングで入って来た人達だろう。
他にもいるというのは聞いていたけど、思ったより多い。
羽の付いている人達は図面を片手に空中で静止してあれこれと指示を出したりしていた。
視線を下げると掘削を終えたドリルをオークさんに混ざって運んでいる人達もいる。
同郷の人がたくさんいたので少しだけ嬉しい気持ちになりつつ、引き渡しの手続きを行う。
受け取りに来た責任者の人は男の人だけど、見覚えのない人だ。 誰だろう?
「どうも、遠い所をありがとうございます。 大変だったでしょう?」
責任者の人――エゼルベルトさんは笑顔で書類にサインをしながら話しかけて来たのでわたしもにこやかに応じる。
「いえいえ、そんな事ないですよ」
「はは、そう言ってくれるとありがたいですね。 機材と一緒に移動しながらの作業なので、食事や嗜好品の配給は本当に助かりますよ」
「こっちでの作業は長いんですか?」
「いえ、元々シルヴェイラさんと言う方の仕事だったんですが、地図が正確に読めると言う事で僕がこちらを受け持つ事になったんですよ。 拾って貰った上、仕事まで貰えるなんてありがたい話です」
エゼルベルトさんは感じのいい人で、話し易い事もあって色々と教えてくれた。
元々、転生者の保護団体みたいな組織を率いていたけど、グリゴリに住処を追われた所でオラトリアムに拾って貰ったとか。 しばらくはこの現場の監督として山脈を縦断するらしい。
「――とは言っても、定期的にオラトリアムに戻って作業の進捗報告などを行ってはいますがね」
他にも何か用事があれば戻らないといけないのでかなりの多忙みたい。
「こう言うのを中間管理職っていうのかな?」
エゼルベルトさんは「やりがいがあるから楽しいですけど」と付け加えた。
その後はわたしの身の上話などに移行し、しばらくすると時間が来たので引き上げとなる。
荷は荷車ごと置いて行くので帰りは手ぶらで凄く楽だ。
先の事は確かに分からないけど、少なくとも今日やるべき事はやったのだからやり切った満足感を噛み締めよう。
わたしはそんな事を考えながらジェルチさん達と一緒に足取り軽くオラトリアムへと戻って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます