第860話 「時来」

 アザゼルの周囲を浮遊している武具が霞むと無数の斬撃がクリステラを襲う。 

 戦闘が始まって数分と経っていないにもかかわらず、彼女はかなり追い詰められていた。

 手数が違い過ぎて流石の彼女も回避に専念するしかなかったのだ。


 下手に緩めると即座に捉えられるので、肉体的な疲労こそ聖剣でどうにでもなっているが精神的な疲労が濃い。 それは聖女も同様で、グリゴリの天使達による圧倒的な密度の攻撃に曝されてこちらもそろそろ躱しきれなくなってきていた。


 グリゴリの大型天使は聖女とクリステラに集中しているお陰で他の者達は巻き込まれずに取り巻きである天使兵の排除に専念できてはいるが、こちらも戦況は余り思わしくない。

 モンセラートの権能で強化されているので対等以上に渡り合えてはいるのだが、大型の天使を処理しなければ勝ち目がないのだ。


 聖剣使いのどちらかが斃れればその時点でこの戦いの勝敗は決定する。

 エルマンは戦場を祈るような気持ちで見つめながら、まだかとその時を待ち続けていた。

 開始数分でこの有様なので、続けたら確実に負ける。 そう確信できる程の攻撃密度だった。


 信じたのが間違いだったかとエルマンの脳裏に絶望が過ぎった所で不意に全ての天使が動きを止める。

 

 『――本拠が襲撃を受けている』

 

 本来なら彼等は言葉を発する必要はないが、聖剣使いにも現状を知らせる為に敢えて言葉にする。

 それを聞いたアリョーナは目を大きく見開いた。 本拠と言う事はユトナナリボが襲われていると言う事だろう。 彼女は民を導く立場である以上、それを放置する事はできない。


 『ならば一刻も早く戻って救援に!』


 反面、ブロスダンは特に表情を変える事なくアザゼルに尋ねる。


 『襲撃者の正体は?』

 『――混沌の眷属達。 恐らくではあるが、あの者も現れるだろう』

 

 それを聞いたブロスダンの表情に歓喜とも憤怒ともつかない複雑な物が浮かび上がる。

 

 『戻ります。 私が居れば魔剣使いなど恐れるに足りない』

 『――いいだろう。 では半数は一度戻るとしよう』

 

 アザゼルがペネムを振り返ると、頷きで返され魔法陣を展開。

 

 『ではアリョーナ、ここは任せる』

 

 ブロスダン、アザゼル、バラキエル、バササエルが光に包まれ、その姿が掻き消えた。

 残ったのはペネム、シムシエル、ラミエル、シェムハザ。 それにアリョーナとなる。

 四体の天使は身を寄せるように集まり、その足元でアリョーナが聖剣を構えた。


 突然の展開に聖女とクリステラはやや困惑していたが、敵の数が半分になった事で勝機を見出す。

 

 ――戦力を分ける。 戦略、戦術の両面から見ても悪手と言えるだろう。


 本来なら全軍を撤退させて本拠の防衛を行ってから再度侵攻をかけるのが、無難な動きと言える。

 だが、彼等はそれを選択できない。 現状、転移を扱えるのはペネムのみ。

 そして最大の問題はペネム自身が転移できないと言う事だ。 つまり、戻せるのは自身以外となる。


 仮にそれを行えばペネムは戦場で孤立する事となってしまう。

 かと言って後退するような事を二人の聖剣使いが許すはずもない。 ある程度、状況が見える者なら護衛を付けて安全な場所まで避難してからの転移を行うという手を考えつくだろうが、彼等の上位者としての矜持――否、驕りがそれを許さない。


 戦力は確かに半分に減ったが、それでも彼等は負けるとは思っていなかった。

 シェムハザは周囲に展開した杖を聖女達に向ける。

 同時にラミエルが全身から紫電を迸らせ、シムシエルが味方を強化しつつ光輪を発光させた。


 クリステラは無言で剣を構え、聖女も水銀の槍を産み出しつつ敵を睨む。

 グリゴリの天使達と聖女がほぼ同時に攻撃を開始。 空中で無数の爆発が発生。

 その間隙を縫ってクリステラが真っ直ぐに切り込み、アリョーナがそれを迎え討つ。


 「……取りあえず、勝ち目がない状態はどうにかなったか」


 再度始まった戦闘を見てエルマンはやや安心したかのように胸を撫で下ろすが、まだ油断はできない。

 

 「取りあえず今消えた半分は連中が始末してくれると思いたいが……」


 ファティマは充分に勝算があると言った口調だったので、消えた連中はまず戻ってこないとエルマンは半ば確信していた。

 エルマンがファティマから聞いていた戦闘の流れは、聖剣を狙ってグリゴリの天使七体と聖剣使い二人が大挙して襲って来るので、とにかく時間を稼げとの事。 具体的な所までは説明を受けなかったが、途中で一部が撤退する筈なので残った天使と聖剣使いの相手をするようにと指示を受けた。

 

 撤退した大将格の天使の口振りだと、本拠が襲撃を受けて引き上げざるを得なかったようだ。

 一応だが、別の状況を想定しての動きも伝えられていたが、そうならなかったのはこの場に居る者達からすれば幸運だっただろう。


 別の状況――つまりはグリゴリが撤退せずに聖剣と魔剣の奪取にこだわった場合だ。

 ファティマ曰く「そうなった場合一体ずつ招待・・するので、それまで粘るように」らしい。

 エルマンは胃痛を我慢しつつ眼下で戦っている兵達に視線を向ける。 


 「……間違いなく入り込まれてるんだろうなぁ……」


 恐らく転移魔石を持った工作兵が紛れ込んでいるのだろう。

 その連中が必要に応じて一体ずつ転移させて始末していくと言った流れになっただろうと読んでいた。

 

 ――実際、彼の考えは的を射ていた。


 今回、グリゴリを迎撃する為に兵士を国中からかき集めたので、怪しい素性の者達が紛れ込んでいてもおかしくはないとエルマンは考えていた。

 確かに別の思惑を持った者達は紛れ込んでいたが、送り込んだのはルチャーノだったので表向き身分がしっかりしている者達だったのだ。 要は調べても分からないように偽造されてる。


 その者達は物陰から隠れつつ銃杖を構えていたが、撤退した事により出番がなくなったので戦場から離脱を開始する。 撤退する訳ではない。

 彼等にはまだ仕事が残っているからだ。 それは向こうでの戦いが片付いたらここに残っている敵を脅威度が低い順に転移させる事だ。


 勝手に撤退してくれると何かと都合がいいと考えていたが、多すぎると処理に困るので場合によってはこちらに送り返す事も視野に入っていた。

 

 ――現状、予定通りに事は進んでいる。

 

 後はユトナナリボでの戦闘の推移とこの場所での戦闘をどこまで引き延ばせるかにかかっていた。

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