第792話 「練走」

 こんにちは。 梼原 有鹿です。

 最近、戦闘関連の部署が開発関係との兼ね合いでかなり忙しかったみたいだけど、それも落ち着いたのでここ最近は平和かな。


 わたしも少し前まで工事関係の仕事に駆り出されていたけど、それもなくなって最近は業務も平常運転で、野菜の収穫や宅配のローテーションに戻っていつもの毎日に戻ったのだけど……。


 時間は朝方。 まだ辺りが薄暗い時にわたしは何をしているかと言うとランニング――つまりは走っている。

 一定のペースを維持して舗装された道を行く。 何故、こんな事をしているのかと言うと、もう少しすると不定期開催のマラソン大会があるからだ。


 基本的にオラトリアムの構成員は定期的に訓練を受ける事を義務付けられているので、その一環としてこういった大きな催しがある。

 最初は何もない所を決められた周回走るだけだったけど、最近は首途さんがコースを考えて大々的に行う事になった。 コースは事前に知らされているので、恥をかかないようにこうして休みの日はこっそり走っていた。


 一応、業務扱いとなっていて給料も出るので、割と皆、気合を入れて臨んでいる。

 ちなみにその気合を入れている最大の理由は上位入賞者には豪華賞品や賞金が出るからだ。

 種族差のハンデは部門別で分けるので、誰にでもチャンスがある。


 大型、中型、小型の三つに分かれており、大型はトロールさんやオークさんを筆頭に大型のレブナントさん達が該当し、中型は普通の人間サイズ、小型はゴブリンさん等の体が小さい人達が該当する。

 わたし達転生者は本来なら中型部門の筈なんだけど、身体能力が高いからと大型部門で括られているので熾烈な争いに巻き込まれそうだと覚悟を決めていた。


 部門を分けているだけあって三回に分けて行うので、イベントとしてはかなり盛り上がる。

 ただ、山脈や大森林などのオラトリアムから離れた場所で勤務している人はそっちに用意された別コースを走るので全員が顔を合わせると言う事はない。


 特に大森林は人数が少ないだけあって盛り上がりに欠けるとの事で、希望者は他所のレースにも参加できるらしい。

 食堂で一緒になった人が全部の大会に出て総なめしてやるぜと言っていたなぁ。

 わたしは参加賞貰えて完走出来ればいいやって考えているので、特にトップは狙わない。

 

 石切さんはトップを狙っているようで、偶に走っているのを見かける。

 前回は転がってトップを独走しようとして怒られたので、四つ足で走る練習に余念がない。

 ちなみに前回の優勝は夜ノ森さんだった。 記念品のメダルと賞金を貰って嬉しそうにしていたのは記憶に新しい。


 オラトリアムの構成員は全員参加なので、ファティマさんや偉い人達も出ているから姿を見れる貴重な機会でもある。

 普段はヒラヒラした服を着ているけど参加する時はジャージみたいな動き易い格好で、髪もしっかり縛っているという珍しい格好なので二重の意味で必見だ。


 ……欲を言うなら真ん中よりちょっと上ぐらいの順位を目指そう!


 ふっふと軽く息を吐きながら、そんな取り留めのない事を考えて足を動かす。

 街灯の設置でまだ日が昇っていない時間帯でも道が煌々と照らされていて、とても走り易くなっている。

 こっちの世界に来る前だったら今頃倒れているだろうけど、今の体は鍛えれば鍛えた分だけ思い通りに動いてくれるので走っていてとても気持ちがいい。

 

 フルマラソンぐらいの距離があるので、本来ならかなりきついのだけど、今のわたしならペースを乱さなければちょっと疲れるぐらいで完走できる。

 今日も軽く流す感じで完走しようかなとコースを消化していると……


 「あれ?」


 見慣れない物があった。 ……というか居た?

 場所は最近、完成した魔石を利用した水洗の公衆トイレ。

 その脇にちょっと大きな生き物が座っていたのだ。


 何だろうと近づくと――


 「わ、可愛い」


 ――そこに居たのは狐だった。 何故か尻尾が九本あるけど可愛いなぁ。


 黄金色のふわふわの毛並みが触り心地良さそう。 触っても怒らないかな?

 頭を撫でようと手を伸ばしたけど嫌がらない。 大丈夫そうと判断してそっと撫でると思った通り、柔らかくてフワフワの感触が手に伝わる。


 大型犬ぐらいのサイズだけど今のわたしからすればそんなに気にならない。

 抱き上げてみるが全く嫌がらずにされるがままだ。 警戒しなさ過ぎて大丈夫かなと見つめると無言で見返してくる。 視線を下げると尻尾がゆらゆらと力なく揺れていた。


 「でも、なんでこんな所に狐が居るんだろう? 君はどこの子かな?」


 この辺じゃ見かけないから何処かから迷い込んで来たのかな?

 だったらちょっと危な――あれ? よく見ると狐の首には首輪が嵌まっていた。

 飼われているのかな? あ、ならもしかして飼い主が近くに居る?


 キョロキョロと周囲を見回すとトイレから水が流れる音が響く。

 同時に狐がわたしの腕の中から飛び降りてトイレの入り口の前へ移動する。

 少しするとトイレから人が出て来た。 飼い主の人かな?


 「あれ? こんなじかんにめずらしいね?」


 出て来たのは大柄な――人? 赤黒い肌に鍛えこまれている肉体。 額には小さな一本角が生えている。

 筋肉の付き方が戦闘職のオークさんやトロールさんに似ている。 そっち関係の人かな?

 初めて見る顔だけど誰だろう……。


 「こんにちは! 梼原と言います収穫班の者ですけど、あなたは?」


 初手挨拶は基本! こうすれば相手の警戒を解きつつ、どこの人なのかが分かる!


 「こんにちは! ぼくゼンドルっていいます。 ヴァレンティーナおねえちゃんのごえいをしています!」

 

 ……あ、ヴァレンティーナさんの護衛の人だったんだ。


 「この子はザンダー。 ぼくのともだちなんだ!」

 

 ゼンドルさん? 君?――は狐を抱き上げて紹介する。

 迷ったのはその見た目の所為だ。

 大柄の体に顔つきは明らかに成人男性のそれで、声も見た目を裏切らずに低いのだけど、口調だけが子供みたいな感じで判断に困る。

 

 もしかしたら成長が速いだけで見た目通りの年齢じゃないのかもしれない。

 う、うーん。 取りあえずゼンドル君でいいかな?


 「よろしくね。 ところでこんな時間に何をしているの?」

 「ザンダーとさんぽだよ? もうすこししたらマラソンたいかいがあるから、からだをうごかしなさいっておねえちゃんにいわれたんだ!」


 そっかー、わたしと同じか。

 にかっと歯を見せて無邪気に笑うゼンドル君と嬉しそうに尻尾を振るザンダーの様子を見て微笑ましい気持ちになった。

 

 「わたしも走ってるんだけど良かったら一緒に走らない?」

 「うん! いいよ!」


 私はゼンドル君とザンダーと一緒にコースを走り始める。

 話し相手が出来たので、少しだけ足取りが軽くなった。

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