第732話 「海岸」

 時間は中央へ移動した者達が襲われる少し前に遡る。

 グノーシス教団の増援。 中央以外の残り二つは西と東から山脈を迂回するルートとなる。

 西側のルートは大陸の端を移動するので開けた海岸線を移動してセンテゴリフンクスを目指す。


 一番大回りのルートなので距離が長い。 その代わりに道が平坦なので移動の際の負担は他に比べると軽いのだ。

 道も大きく開けており、視線も良く通るので奇襲される心配も少ない安全なルート――の筈だった。


 指揮を執っているロッシ・カチョ・パルーマ聖堂騎士は周囲に気付かれないようにこっそりと溜息を吐く。

 正直、この聖務――仕事に彼女は乗り気ではなかったからだ。

 本国所属の聖堂騎士に就任できた以上、聖騎士としては大成したと言って良いだろう。


 生活する分には一切困らない給金、日常的にこなす仕事も簡単なルーチンワーク。

 腕が鈍らない程度に訓練だけしておけば良い。 彼女にとって聖堂騎士とはなるのが難しいが、なれれば死ぬまで安泰な安定した職業と言う認識だったのだ。


 ――それが、何の因果でこんな所に……。


 こんな辺鄙な場所まで遠征させられ、到着すれば聖剣奪取と大陸北部への侵攻と考えるだけで気が滅入る。

 普段は本国で過ごしている以上、グノーシス教団が獣人に対してどう思っているかは理解していた。

 良くて不純物の混ざった人間の下位種、悪くて駆除対象だ。


 ロッシにはそこまで獣人を敵視する理由が今一つ理解できなかったが、上が言っているんだし何か理由があるのだろうと適当に解釈していた。

 どうせ斬れと言われれば誰であろうと斬るだけなので、考えるだけ無駄だからだ。


 考えを表には出さないが、内心では本国を離れる事が心底嫌だったので自覚できるほどに表情に覇気がないのが分かる。

 流石に部下に見せる訳にはいかないので兜のバイザーは下ろしっぱなしだ。

 ロッシは上からの評価が下がって地位と給金を下げられても困るので、普段からこういった隙は見せないようにしている。


 部隊を三つに分けて移動すると決まった時点で一番楽なルートを選ぶと決めていたので、早々に彼女はこの海岸線へ向けて出発した。 定期的に部下を休ませ、のんびりと行軍する。 

 どうせ最後に到着する事になるのなら可能な限り引き延ばして嫌な事を他に引き受けて貰おう。


 そんな事を考えて道を進む。


 「――分かった。 では三日以内に海岸線を抜けて山岳地帯に入る。 あぁ、山に入るのは一度、休んでからだ。 平坦とはいえ、距離があるからな」


 ロッシは部下と簡単な行軍に関する打ち合わせを済ませてさっきまで乗っていた馬車へと戻る。

 御者に出せと伝えて出発。

 

 ――あぁ、早く済ませて帰りたい。


 彼女はそんな事を考えながら窓から流れる景色を眺めていた。




 「こんな悠長にしていて良いのですか!」


 そう言って気炎を上げるのはまだ若い聖殿騎士だ。

 彼はこの緩やかな行軍に苛立ちを隠せず、とうとう痺れを切らしてそんな事を言い出した。

 

 「俺に言われても分からんよ。 文句があるならパルーマ聖堂騎士に直接行ったらどうだ?」

 「僕みたいな新米が意見なんてできる訳ないじゃないですか! だからこうして――」

 

 答えたのは彼の先輩聖殿騎士だ。

 後輩の真っ直ぐすぎる言葉に少し眩しそうに目を細めつつ、肩を竦める。

 

 「それぐらいにしておけ、あの方は寛容だが度が過ぎると処断せざるを得なくなる」

 

 彼は先輩にそう言われて口を噤む。 聖堂騎士は聖殿騎士以下の者に対してかなり強い権限を持つ。

 その為、余り例のない事ではあるが無礼も度が過ぎれば、文字通り首を斬る事が出来るのだ。

 聖堂騎士とはそれだけの裁量を与えられた選ばれし存在である事の証左でもある。


 仮にロッシが無視できないレベルで後輩が騒げば、彼女は面子もあるので彼を処罰――場合によっては殺さざるを得ない。

 先輩はそれを心配して彼にそう忠告したのだ。

 それを理解はしたが納得はできないといった表情で押し黙る。


 「しかし、センテゴリフンクスでは今でも同胞たちが命を賭けて戦っているというのに……」

 「まぁ、お前の言わんとしている事も分からんでもない。 ただ、周りをよく見ろ」


 そう言われて後輩は周囲に視線を巡らせる。 彼の周囲には共に目的地であるセンテゴリフンクスを目指す同胞たちの姿がある。


 「これが一人二人の身軽な集団なら急ぐ事も出来るがこっちは万単位の大軍勢だ。 俺達聖殿騎士は白の鎧があるから多少は動けるが、そうじゃない奴がいるって事も忘れるなよ?」

 「あ……すいません」


 当然ながら装備も込みの総合的な能力で言うのなら彼以上の者もいれば彼以下の者もいるのだ。

 歩調を合わせるべきと言った先輩の言葉に彼は恥じ入るように謝罪する。

 気にするなと先輩は手を振るが、内心で彼は後輩の言葉に同意していた。


 ロッシ・カチョ・パルーマ聖堂騎士。

 何でも無難にそつなくこなすといった印象を周囲に与える彼女だが、徹底して面倒事を避ける傾向にある事を彼は何となくだが察していた。

 

 世渡りが上手いと言えば聞こえはいいが、聖堂騎士の肩書と教団の威光を背負うという意味では疑問符が付く。 彼の中ではロッシは良くも悪くも俗っぽいのだ。

 人間としては行動に理解も納得はできるが、余り尊敬はできない。 彼にとってロッシはそんな人間だった。 付け加えるなら女性として余り好みではないと言う点もそれに拍車をかけていたのかもしれない。

 

 頻繁に兜を脱がないので顔はあまり知られていないが、彼の主観ではパッとしない顔だ。

 醜いと言う訳でもないが、取り立てて美人でもない。 スタイルも一目で女性と分かるが、余りメリハリがないのでどうしても魅力を感じないようだ。


 そんな事もあり、彼はロッシを特に擁護はしないが非難もしない。

 直属の上司なのでどうでもいいと言う訳ではないが、そこまで関心を払いたいとも思えないといった微妙な距離感。 それ故にどちらにも偏らない中立な意見が言えたのかもしれない。


 後輩は気持ちを切り替えたのか視線を前に向ける。

 彼等は先頭に近い位置にいたので、進む先に何があるのかをいち早く知る事が出来た。

 開けた海岸線がどこまでも広がっているのが見えるが――


 「ん? 何だあれは?」


 後輩が先の方で異物を発見する。 開けている以上は視線は良く通るので、距離があっても気が付くのは比較的容易だ。

 

 「どうした?」

 「いや、先に何かが――」


 先輩もやや訝しみながら魔法で視力を強化。 先を見通そうとすると、何かの集団が先で待ち構えているのが見える。

 

 「野盗の類ですか?」

 「馬鹿な、この数に仕掛けるような命知らずが居るのか?」

 

 数もそうだが、教団の旗を持った者も居るのでこの集団が何処に属しているかは一目瞭然だ。

 グノーシス教団を敵に回すのは愚行と言う事を知らない者はそういない。

 居るとすれば知っていて仕掛ける者ぐらいだが……。


 「何か嫌な予感がする。 誰かパルーマ聖堂騎士に連絡を――」


 彼の言葉に反応するかのように前方の集団からポツポツと言った光が灯る。

 

 ――魔法!?


 「この距離でか?」


 遠すぎると思っていたが無意味にやっているようにも見えない。


 「伏せろ!」


 勘に近い物だったが、彼はそう叫ぶと咄嗟に身を伏せた。

 そして光が大きくなり――

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