第720話 「見舞」
キタマさん、ジャスミナさんとの話を済ませ、次に向かうのは砦の中にある一室。
あれから一度も会えていないので少し心配になった事もあって足を向ける事にした。
部屋の外で待機していた護衛の聖殿騎士に許可を取り、扉を軽く叩いて部屋の主の返事を待って入室。
そこは簡素な部屋だった。 あるのは小さな机と寝台。
彼女は寝台に腰掛けていた。
「こんにちは。 聖女ハイデヴューネ、戻っていたのですね」
「はい、あれから体の具合はどうですか? カーカンドル枢機卿」
グノーシス教団第六司教枢機卿ヘオドラ・キルヒ・オーラム・カーカンドル。
彼女はフシャクシャスラでの戦いで僕達を助ける為に無理をして権能を扱い重傷を負った後、治療の為にセンテゴリフンクスで療養していたのだ。
かなり酷い負傷だったので少し治療に時間がかかったが、何とか無事に完治したようだ。
ただ、それでも消耗が激しくしばらくは動かせないと言う事で現在は砦内の一室で休んで居る。
「そろそろ出歩けるようになりそうです。 怪我は治りましたが、まともに動けない事もあって退屈でしたのよ」
「貴女だけでも無事で本当に良かった」
「これも貴女のお陰です。 運んで下さって本当にありがとうございました」
そう言って彼女は微笑むが、あの時の怪我は本当に酷かった。
全身が傷だらけで出血も酷く、運ぶのが少し遅かったら手遅れになっていたのかもしれない。
「こちらこそ、貴女達が来てくれなければ危ない所でした」
彼女達が援護に来てくれなければ、僕達は在りし日の英雄の前に斃れていただろう。
「いえ、力が足りずにヤドヴィガ様は――」
カーカンドル枢機卿は悲し気に目を伏せる。
ヤドヴィガさん。 とても強く優しい人で、今僕達がこうしていられるのは間違いなく彼女のお陰でもあるだろう。 将来は傭兵を辞めて吟遊詩人になって世界を旅したいと語っていた彼女の姿を思い出して悲しみに胸が締め付けられる。
「――惜しい方でした。 聖剣の担い手として立派にそのお役目を果たしたと言えるかもしれませんが――もうあの方の話が聞けない、言葉を交わせないと考えると悲しいですね」
「はい、私も彼女がいないなんて今でも信じられません……」
お互いが言葉に詰まるように沈黙。
「ところで、今日はどう言った事で?」
「あ、いえ、特別な用事はなかったのですが、貴女の事が気になって――」
気まずいとでも思ったのかカーカンドル枢機卿は話題を変えて来たので、僕はやや慌て気味に返事をする。 正直、ただの見舞いだったので、何か話を振った方が良いのかな……。
ぐるぐるとそんな事を考えているとカーカンドル枢機卿は嬉しそうに微笑む。
「純粋にお見舞いに来て下さったのですね! 大丈夫ですよ! 見ての通り元気になりましてよ!」
「部屋から動けないと聞きましたが退屈ではありませんでしたか?」
カーカンドル枢機卿は笑顔で首を振る。
「大丈夫ですのよ! たまにですがカロリーネとアデライードが顔を見せに来てくれるので寂しくありませんのよ!」
「確か第九と第十の司教枢機卿の方でしたか?」
聞き覚えはあったけどあまり接点がなかったので咄嗟に出てこなかったが、確かカーカンドル枢機卿と同じ司教枢機卿だったはずだ。
「そうですのよ! 特に第十のアデライードとは孤児院も同じだったので久しぶりに話が出来て私も嬉しかったですの」
「孤児院?」
僕がそう聞き返すと彼女は少し不思議そうに首を傾げる。
「あら? ご存じありませんでしたか? 私達司教枢機卿は元々孤児だった者が多いのです。 だから孤児院が同じでお互いの事を知っていると言う事はありますのよ?」
詳しく聞くと、彼女達の大半は本国であるクロノカイロスにある孤児院の出身らしい。
偶に他所で選ばれてそのまま就任する事もあるらしいが、大抵は本国の孤児院から選ばれるとの事。
ただ、その孤児院も数が多いので司教枢機卿は全員が全員、面識がある訳ではないらしい。
「孤児院は本国にありますが、孤児は世界中から集められるので出身は孤児院でも出生はあちこちになりますのよ」
ちなみに私の出生はアタルアーダルですのよと彼女は言う。
いい機会だったので僕は少しだけ踏み込む事にした。
「寂しかったりはしませんか?」
「えぇ、両親は早くに亡くしてしまいましたので、私のような孤児が生きて行くには教団の加護を得る以外に道はありませんのよ。 だから私達は皆、教団に感謝しておりますの」
カーカンドル枢機卿は即答。 その返答に迷いはない。
「他に何かやりたい事とかはなかったのですか?」
僕がそう言うとカーカンドル枢機卿は少し驚いたように目を丸くした。
「そんな事は初めて聞かれました。 ――そうですね……もしですのよ? もし私に許されると言うのであれば、物語に出て来るような姫のように恋という物をしてみたいです」
彼女は笑わないで下さいねといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「いえ、とても素敵な事だと思います。 少なくともぼ――私は笑うような事はないでしょう」
「貴女はないのですか? 聖女という立場であるなら引く手数多では?」
それを聞いて僕は思わず笑ってしまった。
「はは、残念ながら私に恋は似合わない。 ――と言うよりはお恥ずかしい話、考えた事すらありませんよ」
恋をする自分の姿が欠片も想像できなかったからだ。
僕はもう、自分で自分の性別が良く分からなくなっていた。 男として生まれた記憶、女として生きている今。
その両方が存在している今の僕が真っ当な恋なんてできる筈もないし、考えられない。
その証拠に男性には同性のように接してしまうし、女性にも性的な魅力を感じなくなってしまっている。
恐らく僕は一生誰かと夫婦として寄り添って生きると言う事はないだろう。
……それに――
今では遠い過去となってしまったもう一人の自分――ローの事を想う。
自分にとって特別な存在は彼ではあるけど、この気持ちは恋ではなく親族に対するそれに近いだろう。
僕にとっての夢は彼ともう一度冒険の旅に出てみたい。 そして苦楽を分かち合いたい。
今なら彼ともう少しうまくやれるんじゃないか、時折そんな事を夢想してしまう。
「そうなのですか? 聖女ハイデヴューネならどんな殿方でも簡単に虜に出来ると思いますのに勿体ない」
「どうでしょう? もしかしたらこの兜に下は平凡な顔か、見るに堪えない醜い素顔が隠れているかもしれませんよ?」
僕は少し冗談めかして肩を竦めて見せるけど、カーカンドル枢機卿は笑みを浮かべたまま首を振る。
「あり得ませんね。 私、こう見えても人を見る目はありますのよ! 貴女は絶対に美人です!」
「はは、ありがとうございます」
その後も取り留めのない話をした後、そろそろと外から声をかけられたのでお暇する事にした。
「楽しい時間はあっという間ですね。 ありがとうございました。 聖女ハイデヴューネ、機会があったらまたお話しましょう?」
「えぇ、喜んで。 では、私はこれで――」
「あのっ!?」
部屋を出ようとした僕をカーカンドル枢機卿は思わずと言った感じで呼び止める。
どうかしましたかと振り返ると、彼女は何か迷うような表情を見せて――
「最後に一つだけ、お願いを聞いていただけませんか?」
「何でしょう?」
「誰にも口外しない事を誓います。 だから、ほんの少しで良いので素顔を見せて頂けませんか?」
……。
迷う。 正直、カーカンドル枢機卿に対しては好感を持っているぐらいなので見せてもいいとは思っている。 だけどグノーシス教団を信用するのは危険――
――僕は小さく息を吐いた。
カーカンドル枢機卿の寂しそうな顔を見て僕は兜を外して笑って見せる。
彼女は僕が素顔を見せるとは思っていなかったのか、驚いた表情を見せ――ややあって笑みを浮かべた。
「やっぱり美人だった」
僕は答えずに兜を被り直す。
「ではカーカンドル枢機卿――」
「ヘオドラでいいですのよ! 私達はもうお友達でしょう? なら、そんな呼び方は無粋ですのよ! 当然、友人の秘密は必ず守りますのよ! これは枢機卿としてではなく、私自身がする約束です」
彼女の考えが何となくわかった。
カーカンドル枢機卿――ヘオドラは彼女なりに僕との繋がりを欲したのかもしれない。
少なくとも僕は機会があればまた彼女と言葉を交わしてみたいと。 そう思えた。
「分かり――いや、分かったよヘオドラ。 僕達は友達だ。 また来るからその時に話をしよう」
「えぇ! えぇ! お待ちしておりますのよ! ハイデヴューネ」
お互いに小さく笑い、僕は今度こそ部屋を後にした。
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