第710話 「狂気」

 狂っている。 何もかもが狂っている。

 ここに来てベレンガリアという女は自分が組もうとした相手が、正真正銘の狂人だった事をようやく認識した。

 仕事を請け負ったベレンガリアは柘植達に急かされる形で、悪魔召喚の魔法陣の設計図を作成。

 

 何を呼び出すのかは不明だが、依頼通りに限界まで大規模な物を半日ほどで仕上げた。

 触媒自体は向こうに用意させればいいので、安定した陣をサイズやコストを度外視して図面を書き起したのだが――

 

 作り終わったのはいいが、それを見てベレンガリアは愕然とした。

 理屈の上ではこれ以上ない程の大穴を空けられる召喚陣だが、当然ながら生贄として使用する命も半端じゃない。 文字通り桁外れの量が必要となる。


 効果に関しては自信を持てるが、明らかに使い物にならない。

 これを安定して動かすには街の住民の大半を魔法陣に起動コストとして放り込む必要があるのだ。

 書き上げたベレンガリアは馬鹿なと笑う。


 そんな事、出来る訳がない。  

 ベレンガリアと言う女は基本的に研究ばかりで碌に外に出ないので、様々な物に疎かった。

 対人関係、組織運営、資産運用や管理。 どれをとっても部下に任せきりだったので、彼女自身が正確に把握している物はない。 そして彼女の立場上、最も知っておかなければならない事がある。


 ――それは何か?


 答えは人の命。 その重さだ。

 彼女は今まで人命を数字でしか認識してこなかった。 心を守ると言う点ではそれはそれで正しいのかもしれない。


 ただ、人の命を奪う事を行う組織である以上、ベレンガリアは知らなければならない。

 否、知っておくべき事だったのだ。 数百、数千という数字の一つ一つに人生が存在する事を。

 そしてそれを軽く考えていた彼女は、言われるまま書き起した図面をファティマへと引き渡した。


 最初は注文通りに作ってやったぞといった考えだったのだ。

 こんな馬鹿みたいな数、用意できる物ならやってみろと。 そんな挑発的な考えすらあった。

 だが、そんな気楽な考えは受け取ったファティマの言葉で消し飛ぶ事となる。


 「確かに。 それで? この召喚に必要な贄は死体でも構いませんか?」

 「あ、あぁ、できれば生きているに越した事はないが、死体でも代用は可能だ。 ただ、魔力効率が生者に比べると落ちるので余計に数が必要となるが――」


 彼女にとって人生で最大級の後悔はこの瞬間だっといっても過言ではない程の失言だった。

 それを聞いたファティマはそうですかと頷くと魔石でどこかに連絡を取ると、ベレンガリアに「お疲れさまでした。 用事が出来たらまたお呼びしますので休んでいてください」と言い残し、そのまま去って行った。 

 

 ファティマがどんな内容の連絡をしたのか――それはすぐに彼女は目の当たりにする事となった。

 

 

 轟音、悲鳴、そして火と流れる血の臭い。

 何処からともなく出現した謎の戦力群が瞬く間に街を包囲した後、始まったのは文字通りの虐殺だった。

 逃げ惑う人々を大型の魔物やゴーレムの様な鉱物で精製された謎の機動兵器群が蹂躙していく。


 本当に数分前まで穏やかだった街が火の海へと変わり、悲鳴と死が蔓延する魔境へと変貌したのだ。

 

 ――なんだこれは?


 最初に抱いたのはそんな思いだった。

 彼女には訳が分からなかったのだ。 いや、分かってはいたが、脳が頑なに理解する事を拒んでいるのだ。 彼女に比べ、荒事や人の死に慣れた柘植達ですら余りの光景に絶句するしかなかった。


 ベレンガリア達が居る場所はロー達と話した族長の屋敷の一室だ。

 二階だったその部屋の窓からは街の惨状が良く見えた。

 叩き潰されて地面に張り付く者、抵抗しようとして巨大な銃杖で跡形もなく消し飛ばされる男、逃げ出そうと走り回っていたが追いつかれて片端から手足を落とされ捕縛される女子供。


 まるで目を逸らすのは許さないと言わんばかりにその全てが彼女の視界を埋め尽くす。

 カチカチと耳障りな音がする。 何だとベレンガリアは考えたが、ややあって自分が鳴らす歯の音と気が付いた。


 何に対してなのかは彼女自身にも分からなかったが、恐ろしかった。

 とにかく目の前の光景が恐ろしかったのだ。 だが、目を逸らすなんて真似も出来なかった。

 何故なら彼女は心底から理解していたからだ。 この光景の原因は自分の発言にあると。


 ベレンガリアは身を震わせながらも、纏まらずに空回る思考の中でふらふらと屋敷から外に出る。

 どうしてそんな行動を取ったのか彼女自身にも理解できなかったが、柘植達の制止を無視して飛び出した先ではむせ返るような血の臭いが風に乗って彼女の鼻孔を突く。


 「あははははは! ここ最近、斬れる機会が多いのでいい気分ですね! 歯応えがなさすぎるのが難点ですが、斬れるだけで良しとしましょう!」


 ファティマの護衛に付いていた女が満面の笑みで、逃げ惑う住民達を切り刻んでいた。

 人の手足が冗談のようにすぱすぱと斬られて宙に舞う。

 

 「おや? ――あぁ、確か斬ってはいけない人でしたか? 紛らわしいので視界から消えて頂けませんか?」 


 女が何か言っていたがベレンガリアは真っ白な頭でふらふらと移動する。

 周囲には血と臓物が散らばっており、トロールがそれを淡々と拾い集めて荷車に詰めていた。

 生きている者も多く居たがトロール達は無言で手足を圧し折って、ゴミか何かのように荷車に放り投げる。


 荷車に山積みになった死体を近くの魔導外骨格――フューリーに取り付けて持参した笛を吹く。

 それが合図だったのかフューリーが発進。 荷車を牽引して街の外へと向かう。

 あぁとそれを見てベレンガリアは悟った。 彼等にとってこれは虐殺ですらない。


 作業。 そう、ただの作業なのだ。

 恐らく現在進行形で住民を虐殺している者、死体や生存者を集めている者、その全てにとって目の前で行っている行為は作業以上の意味がないのだろう。


 「――何なのだこれは?」


 呆然と呟く。 不意にぐちゃりと足が柔らかい物を踏む。

 ベレンガリアはギクシャクとした動きで視線を落とすとそれは真っ赤な塊だった。

 同様に赤い液体に塗れたそれは――


 「お嬢! ここに居ちゃいけねぇ! 戻るぞ」


 柘植が見てられないとばかりにベレンガリアを抱き上げ走り、両角がそれに続く。

 向かう先は屋敷ではなく街の外だ。 これ以上、ベレンガリアにこの光景を見せてはいけないと察した柘植は走りながら彼女の目を手で塞ぐ。


 「信じられねぇ。 旦那も大概だったが、あの姐さんもどうかしてるぜ!」

 

 柘植の声も震えていたが、ベレンガリアは彼の手の隙間から見える赤の混じった景色を呆然と見る事しかできず、ようやく微かに形になった思考は――


 ――狂っている。


 それだけだった。 何だ? 何なのだアレは?

 視界に入る物全て、何もかもが狂っているのだ。 しかもこの光景は何の前振りもなく唐突に彼女の目の前に現れたのだ。

 

 理解が追いつかないのも無理がないのかもしれない。 

 何とか街の外へと出る。 そこでは更に狂った光景が展開されていた。

 あちこちで文字通りの人の山が築かれていたからだ。 死体と生者を集めて築かれた山。


 召喚の触媒に使用すると言う事は理解していたが、こんなに悍ましい代物だと彼女は理解できていなかったのだ。

 そして山となった生者達はベレンガリアに様々な感情の混ざった視線を向ける。


 「痛い、痛いよぉ」「助けて……助けて……」「どうしてこんな事に……」

 「おかあさん、おかあさん、痛いよ痛いよ」「苦しい、苦しい」「これは夢だろう……誰か夢だと言ってくれよぉ……」 


 それは縋るような眼差しだったり、憎悪に塗れた視線だったり、ただただ、自分の理不尽な境遇に絶望した目だったりと様々だったが、その全てがベレンガリアに向いている――様な気がした。

 冷静に考えれば知りようない事ではあるが、全ての視線は自分を責めているのではないのかと。 少なくとも彼女にはそう見えたのだ。


 無数の視線にベレンガリアは耐え切れず―― 


 「――うっ」


 彼女は柘植の手を振り解いて離れると近くで思いっきり嘔吐した。

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