第641話 「資質」
ローを送り届けた柘植が戻って来たのを見て、ベレンガリアは溜息を吐いて肩の力を抜いた。
もう他所向きに取り繕う必要もないのでぐしゃぐしゃと頭を掻きまわして結い上げた髪を下ろす。
「……二人はどう思う? あの男は依頼通りにアパスタヴェーグへ行ってくれると思うか?」
最初に口から出たのはあの男に対する意見だ。
両角は無言で分からないと首を振り、柘植は歯切れ悪く答える。
「表情がさっぱり読めねぇ御仁だったので、俺にも何とも言えませんね。 ただ、条件を細かく出して来た所を見ると動いてはくれるんじゃないですか?」
ベレンガリアは力なく椅子の背もたれに体重を預ける。
考えるのはあのローという存在だ。 なんだったのだアレは?
彼女のモノクルは魔法道具で、アメリアから仕入れた物を改良した特別製だ。
サイズの問題で簡易ではあるが、対象の魔力量は勿論、防具などを透過して肉体の構造を見る事も可能な優れ物で、魔法的に防御されていなければ対象を丸裸に出来る。 そして最大の利点は何より業――魂の形が見えるのだ。
ベレンガリアは集めた情報を脳裏で整理する。
まずは魔力量。 尋常じゃない保有量で、モノクルでは計測できなかった。
ただ、これに関しては転生者である事を加味すればそこまでおかしい点ではない。
転生者は元々魔力の保有量が極めて高い。 稀にだが同様に計測できない者もいるらしいので、そう考えれば異常ではあるが納得はできる。
次に肉体。 この時点で彼女は嫌な予感がしていたのだ。
何故なら全く見えなかったからだ。 否、認識できなかったとも言える。
モノクル越しに見たローは人型の黒い塊にしか見えなかった。 何らかの手段で遮っているのかとも思ったが、よく見ると黒い闇の中で――いや、
最後に業の形状――あり得ない。 何だったのだアレは?
ソレを思い出そうとしてベレンガリアは胸を掴むように押さえる。
見ただけで頭がおかしくなりそうな形状だった。 その形を形容するのは彼女の語彙力では不可能で、訳が分からないとしか評する事が出来なかったのだ。
そして腰の魔剣。 何番目の魔剣かは柄の意匠を見れば大体分かる筈だが、見た限りでは判別が出来なかった。 複数の図形が絡み合っており、元がどういった形だったのかが分からなくなっていたからだ。
少なくともこの大陸の物ではない事は確かだ。 第十、第九はそれぞれアパスタヴェーグ、フシャクシャスラで猛威を振るっており、残りの第六――アズダハークは既に攻略され、グノーシスが回収している。
そうなるとヴァーサリイ大陸かポジドミット大陸のどちらかの魔剣で間違いない。
口振りからアメリアの存在を知っていた事を考えるとヴァーサリイ大陸の可能性が高いだろう。
東の大陸だと第八、第五、第三のどれかと言う事になるが……。
ベレンガリアはローの所持していた魔剣は本物だと確信していた。 何故なら、モノクル越しに見た魔剣からは闇色の憎悪を可視化したかのような何かが漏れ出ており、それがあの男に絡みついているのをはっきりと見たからだ。
彼女には理解できず、同時に制御法なんて存在しない事も理解した。 浮かぶのは疑問。
何故、アレに侵食されて正気を保っていられるのかがだ。 グノーシスから得た資料によると、アレに触れると人間だけでなく、転生者ですら正気を失って取り込まれるといった結果が出ていた。
――恐らくあの肉体の特性なのだろうが――
「お嬢ー、帰って来てくれー」
「はっ!? すまない。 と、とにかくだ! 現状、我々はあの男に頼らざるを得ない」
「……すまねぇ、本来なら俺達がどうにかできれば一番良かったんですが……」
ベレンガリアは力なく首を振る。
柘植達の気持ちは彼女自身嬉しく思っていた。 彼等はベレンガリアが直接声をかけて配下にした転生者だ。 長い時間をかけて育んで来た信頼関係は彼女にとっての大きな財産とも言える。
そんな彼等を失う事は可能な限り避けたかったので、代わりにあのローという男を死地に送り込めると言うのであれば多少は無茶な条件も呑めるという物だ。
付け加えるのなら彼女はこれまでローに対して行った襲撃で動かせる手勢の大半を失っており、生き残っている者もフシャクシャスラの情報を集める為にヴェンヴァローカへと送っている。 要は動かせる人員がもう残っていないのだ。
ここまで人員が不足している事には原因がある。 派閥に別れると言う事は人もまた同様に分かたれる。
ホルトゥナと言う組織は三つに割れ、その人員の大半は――彼女の下を去ってその妹の配下に収まる事となったからだ。 つまる所、彼女にはアパスタヴェーグをどうにかする戦力はどう頑張っても用意できない。
そして肝心のモーザンティニボワールの兵は出現頻度の減った辺獄種相手に危機感を失っているので、彼女の話に聞く耳を持たない。
――要は詰んでいたのだ。 だが――
「最悪、在りし日の英雄を道連れにしてくれればそれでいい。 英雄さえ居なくなれば、魔剣を奪う事は可能となる」
――英雄が居る時点でほぼ不可能だった勝利が可能になるかもしれないというだけでも彼女にとってはありがたい事だった。
「……お嬢、その英雄ってのはそれほどなのですかい?」
「はっきり言って普通のやり方では話にならないな」
英雄の力を目の当たりにしていない柘植は正直、ピンと来ていないといった表情だが、ベレンガリアは即答する。
グノーシス教団は第六の魔剣を擁する領域――アズダハーク。
第二の魔剣を擁する領域――ダエデイーヴ。
この二つの辺獄の領域を制し、第二、第六の魔剣と聖剣を手中に収めていた。
その際に投入した戦力の規模とその戦力がどれだけ生きて帰って来たのかを知っている彼女からすれば、挑もうなんて気は起こせない。
だからこそ、魔剣を手にしているローに期待しているし、それ以上に不可解だった。
あの男が何者で何故――否、どうやって魔剣を手にする事が出来たのかがだ。
単純に考えるのならあの男が辺獄に乗り込んで英雄を叩きのめして魔剣を奪ったと考えられる。
だが、それはあり得ない以上はどこかの組織の――
「――ただ、そうなると何が目的でここまで……」
「……お嬢……」
「え? あ、すまない。 とにかくだ! 英雄の相手は聖剣か魔剣でも持ち出さない限り現実的じゃない」
いけないとベレンガリアは首を振って会話に戻る。
彼女は気になる事があると結論が出るまで思考に没頭するといった悪癖があるので、柘植達側近はこうして現実に引き戻す必要があるのだ。
「取りあえずは任せても問題はないだろう。 魔剣使いのお手並みを拝見と行こうじゃないか。 それに今ならアパスタヴェーグも落ち着いている。 仮に負けたとしても我々に損はないだろう」
そもそも殆ど詰んでいるような状態だったのだ。
これ以上、状況が悪くなると言う事はない。 何故なら彼女にとってこの状況こそが最悪だからだ。 この国モーザンティニボワールは極端なほどに人間を排斥――特にグノーシス教団は彼等にとっての天敵とも言える。 原因はグノーシス教団にもあるが――それは今はいい。
その為、この地では彼等の力が及ばないので教団に救援を要請する事が出来ない。
苦肉の策でポジドミット大陸にある所持者不在の聖剣の奪取を目論んだが、連絡が途絶えた以上は送り込んだ人員は全滅し、作戦は失敗したのだろう。
教団からは何とか人員を送り込めるように交渉しろと言われたが、ベレンガリアの性格ではそんな芸当は不可能だった。 一応、言うだけはと進言したが、この地域を統べる族長は辺獄の危険性を正しく認識していないので聞く耳を持たず、交渉は決裂。
そうなると辺獄への根本的な対処はベレンガリアがほぼ独力で行わなくてはならない。
ならば見捨てて逃げればいいといった考えはない。 ホルトゥナと言う組織――というより、彼女は本拠をこの国に置いていたので、離れるといった選択肢が取り辛いのだ。
ベレンガリアと言う女は組織を束ねる長としての資質に欠けていた。
似た組織を束ねていたアメリアと言う女も長として相応しいかと問われれば疑問符が付くが、彼女はベレンガリアに持っていない物を持っている。 それは損切りが出来る思い切りの良さだ。
彼女は自分達さえ無事であればいくらでも立て直しが効くといった考えが根底にあったので、大抵の物は簡単に切り捨てる事が出来た。 そしてそれが出来ないからこそベレンガリアはいつまで経ってもこの場から動けないでいたのだ。
結果、逃げる事も出来ずに懊悩するといった現状を招いていたのだが、彼女に自覚がないので何故だと答えの出ない問題に頭を悩ませ続ける。
柘植達を安心させる為にそうはいった物の、彼女は降って湧いた魔剣使いという希望に縋るしかなかったのだ。
どうかこの問題を解決してくれますようにと。
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