第617話 「拳骨」
葛西 常行だ。
ここ最近冷え込みが厳しくなってきたので、起きるのが若干ではあるが億劫となっている今日この頃。
俺の日常は少しずつではあるがマシになってきている……筈。
生徒も三人から四人に増えた。
最初から居た道橋と飛さん、後から入った小關に加え、最近引っ張り出す事に成功した四人目だ。
「…………痛い」
「殴られんのが嫌なら最低限、真面目に話を聞いて、俺が睡眠時間を削って用意したテキストを解け」
このクソガキはいくら声をかけても居留守を使いやがるので、面倒になった俺は扉を蹴破って引き摺りだしたのだ。
最初はこの期に及んで眠ってやり過ごそうとか舐めた事をしていたので、あんまり好きなやり方じゃないがぶん殴って叩き起して無理矢理勉強させている。
別にお前の為を思ってやっているとかDV常習の毒親みたいな事を言うつもりはない。
これは俺が自分の為に行っている事だからだ。 俺は俺の為にこいつ等を働かせる。
この教室はその第一歩だ。 ついでに言うのなら、俺達にだけ働かせてタダ飯食っているこいつ等の根性が気に入らないと言うのも勿論あるがな。
さて、俺が担当しているのは秋草と小關のクソガキコンビだ。
残りの二人は腑抜けた三波が淡々と教えている。
早い段階から教えているだけあって、ヒアリングはまだまだ怪しいが、読み書きは少しずつだが形になって来ていた。
その為、三波でも問題なく教える事が出来ていたのだが――
問題は俺の方だ。 目の前のリスとナマケモノの二人はとにかくやる気がないので、中々学習が進まないのだ。
俺はイライラしながらも自分の為と必死に言い聞かせて教えていた。
やる気がないので質問すらしてこないからひたすら問題を解かせて発音してみせたりと反復学習を繰り返す。 ここまで酷い態度だと学習させるよりは刷り込んだ方がマシだと判断したからだ。
「よし、じゃあこの問題を解け。 単語を訳してみろ」
文章はまだ早いので、さっき教えた単語の読書きをやらせようとしたが――
「これ終わったらご飯食べていい?」
「……ぐぅ……くー……」
小關には正解したらなと応え、また居眠りとか言う舐めた態度の秋草は無言でその頭をぶん殴った。
「……痛い」
「問題を解け」
あぁ、イライラするな畜生が。
まだ出て来てすらいない奴が八人も残っていると言う事を考えると、頭がおかしくなりそうだ。
「くそが、あいつらはマジでやる気がなさすぎるぞ。 本当に大丈夫か?」
思わず独り言が零れる。
場所は変わって王都の街中。 今日は週に――あぁそう言えばこっちは週の概念はなかったな――数日に一度の半休だ。 無理に詰め込んでもしょうがないので定期的にこうやって休ませている。
普段から休みっぱなしの連中が何を言っているんだと言ってやりたいが、どちらかと言えば俺達の休暇という意味合いが強い。
正直、定期的に休みを入れないと俺の方の頭がおかしくなりそうだからだ。
一応、この世界には四季があるので気温や周囲の雰囲気が変わると時間の流れを感じる。
特に今は冬だ。 冷え込みも厳しく、結構な頻度で雪も降るので積もったら雪かきという余計な仕事を振られる事もある。
吐いた息は白く染まって空中に溶けて消える。 今日は特に冷えるな。
視界に白い物がチラつく。
「冷えると思ったら雪かよ……」
空を仰ぐと雪が静かに降って来ていた。
時間は昼を少し過ぎた辺りで、雪の降っている感じを見るとこれはしばらく止まないなと何となく考えた。
明日はまた雪かきかと考えて少し憂鬱な気持ちになる。
俺はここ最近で歩きなれた道を歩いて目的地を目指す。
そこは宿屋や食事処が固まった区画だ。 その一角に存在する店の一つに入る。
店の名前は
「いらっしゃ――あ、カサイ君だ! いらっしゃい!」
出迎えたのは十歳ぐらいの子供だった。 仕事着に丸い木製のトレイを小脇に抱えてこっちに寄って来る。
この宿の看板娘(自称)のミーナだ。
「よぉ、今日も飯を食いに来たぞ」
挨拶を返しながら定位置となった店の隅にある目立たない席に腰を下ろす。
「今日はどうする? お勧めは――」
「どうせ高い奴を注文させる気だろうが、いつものでいいよ」
「なによー、いつも同じのだから変化を付けさせてあげようって思ったのにー」
俺はあぁはいはいと頷いて頼むと言うと、ミーナは元気よく頷いて奥へと注文を伝えに行った。
この宿に通うようになってそれなりに時間が経っている。 客が少ないので俺みたいなのでも落ち着いて食事が出来る貴重な憩いの場だ。
切っ掛けは街をぶらついている所をミーナに声をかけられた事だ。
何故か開口一番に可哀想と憐れまれたのは忘れられないな。
どうも全身鎧で表情などが分からないにも拘らず、俺は不景気なオーラを身に纏っていたらしい。
ついでに遊んであげようかと言われて凄まじく惨めな気持ちになって、帰ろうとした所をなら食事をして元気を出せと店まで引っ張られたのがここに来た最初の日だ。
聞けばこの店は元々、国の南部にあるシジーロと言う街で経営していたが、向こうで魔物騒ぎがあって街が機能しなくなり、店も半壊したので畳んで王都でやり直そうと移り住んで来たらしい。
その為、知名度が低く客も少ないので自称看板娘が、客引きも兼ねて歩き回っていたようだ。
……で、俺がお眼鏡に適ったと。
引っ張られている途中に散々、宿の素晴らしさや料理の美味さなどのアピールポイントを聞かされていたので、物は試しにと一食済ませる事にしたのだが、確かに美味かった。
それに加えて店の落ち着いた雰囲気も気に入ったので、気が付けば定期的に通うようになったのだ。
ミーナも憎まれ口をたたくが、こういう気軽な会話に飢えていた俺からすれば安心できる相手で、日々の疲れた気持ちが少し楽にもなった。
そんなこんなで気が付けば無意識に足が向くようになったのだ。
料金は少しお高いが、これでも聖堂騎士だ。
金にはそこまで困っていない。 以前は生活費を天引きされていたので手取りが少なかったが、例の聖女の計らいで給金が聖堂騎士と同等に引き上げられたので懐は温かい。
お陰で数日に一度はこうして一人で気楽に飯を食いに来ていると言う訳だ。
「はーい、お待ちどおさま!」
そんな事を考えている内に料理が来たようで、テーブルにいつも食っている飯が並ぶ。
パン、スープ、サラダとシンプルだが、パンはこっちでは比較的珍しい柔らかい物で、スープは日替わりなので複数の種類の内どれが来るのか出て来てからのお楽しみだ。
俺は兜の口の部分だけ開いてパンをスープに浸して口に運ぶ。
あぁ、今日も美味い。
「ねぇカサイ君。 そろそろ兜を取って顔を見せて欲しいな?」
「悪いが、ウチの方針でな。 素顔は見せられねえんだよ」
つーか、俺の素顔ってモロにカメレオンだから見せられる訳がない。
ミーナは頬を膨らませる。
「ケチー。 ちょっとぐらいいいじゃない!」
「バレたらクビになるから無理だ。 何度も言ってるが諦めろ」
正体がバレたらクビじゃ済まねぇんだよ。 最悪、魔物扱いで処分だ。
いくら何でもリスキーすぎる。 それに――
ミーナへ視線を向けると、何?と首を傾げられる。
――ここへ来れなくなるのはちょっときつい。
「ねぇ、話は変わるけど、最近の王都の治安ってどんな感じなの?」
「ん? まぁ、悪くないんじゃないか? 俺の管轄はアイオーン教団の自治区だけだから街中の巡回とかはちょっと分からんな。 ただ、変な事件とかがあったらこっちの耳にも入る筈だから、妙な事にはなってないと思うぞ」
唐突に変わった話題に少し訝しみはしたが、素直に答えた。
国の騎士団とは最低限ではあるが情報の共有はしているので、妙な事があれば分かるようになっている。
「何かあったのか?」
「んー? ちょっと前から変わったお客さんが来てるからちょっと気になっちゃって」
「妙な客?」
見た目が怪しいってのなら俺なんてモロに不審者だぞ。
「うん。 たまーに店に食べに来るんだけど、皆がカサイ君みたいに兜を被ってたり、フードで顔を隠してるから――」
「いや、俺みたいって……。 まぁ、いいけど。 それだけなら妙な格好ってだけで普通の客だろ?」
俺がそう言うとミーナは小さく首を振ってそっと顔を寄せて来る。
何だと頭を近づけると囁くように話を続けた。
「何か知らない言葉で喋ってたから」
「知らない言葉?」
「うん、ちょっと何を言ってるか分からないけど少なくともこっちの言葉じゃないと思う」
……まさか同類か?
真っ先に浮かんだのは俺と同じ転生者だ。
アイオーン教団で新しく保護した? 有り得んな。 そうなった場合、真っ先にこっちに話が来る筈だ。
それがない以上、完全に別口だろう。
「確認するが、一人じゃないんだな?」
「うん、大抵は二、三人で来るよ」
そうなると他所の勢力か。 仮に転生者だとしても複数集まっているとなると間違いなくどっかの組織に属していると言う事になる。
しかもこっちで把握できていないとなると、厄介だな。
……一応、探りを入れとくか。
「分かった。 戻ったら調べとく。 心配すんな、何か分かったら教えてやるよ」
「うん、何かごめんね? ほら王都でも事件があったっていうしちょっと心配になっちゃって――」
なるほど。
ミーナは以前に家を失っているのでこういった事には過剰に反応してしまうのも無理はない。
その後はいつもの他愛ない話をして時間を過ごし、食事が済んだ所でお暇した。
……知らない言葉を使う妙な連中か。
変な事にならなければいいが……。
少し不安だったが、すっきりする意味でもはっきりさせておくとするか。
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