第579話 「散華」

 エドゥルネと言う少女は教義の為に育てられ、教義の為に生きる事を強いられた。

 それにより、幼くして人間としては歪な人格構造を形成するに至ったのだ。

 彼女自身、それを不幸と思った事はなく、不幸だという認識すらなかっただろう。


 枢機卿は教団の規範となるべき存在。 その為、余計な事を考えず滅私奉公を体現せねばならなかったのだ。 彼女はそれをしっかりと教え込まれ、疑う事すらせずに今の今まで貫いて来た。

 だが――その歪な存在は周囲が彼女にとっての余計な物を排除していたからこそ成り立っていた物でもあったのだ。


 それが失われた今、彼女を枢機卿として立たせる寄る辺は自身の意思に他ならなかった。

 枢機卿という肩書、信徒たちの声、そしてエドゥルネと言う少女を枢機卿足らしめている「権能」、その三本の柱が彼女の精神を支える要であったのだ。


 だが、権能は元を断たれ、信徒の声は届かず、肩書は虚しい物となり下がった今、彼女に残されたのは怒りという衝動だけだった。

 真っ当に育てばそれを御する事も可能だったかもしれないが、今の彼女には生まれて初めての圧倒的な怒りと言う名の衝動を制御する術を持たなかったのだ。


 その為、彼女は衝動に従って真っ直ぐに空へと逃げたサブリナの背を追う。

 忌々しい怒りの元を物理的に消し去る為に。

 彼女の内にある権能はそれに応え、その威力を増していく。


 エドゥルネの炎の羽から無数の炎の矢が飛び出し、サブリナの背へ喰らいつかんと追尾。

 サブリナはそれを見て余裕の笑みを浮かべつつ、錫杖を鳴らして無効化――できずに減衰するだけの成果しか上げられなかったが特に気にした素振を見せず、命中前に次々と魔法で撃墜し、討ち漏らしは錫杖で叩き落す。


 攻撃が悉く防がれる事と余裕を崩さないサブリナにエドゥルネの苛立ちはさらに募り、それに呼応して炎の羽はその激しさを増す。

 

 「いいですね! その調子です! さっきの心にもない教義を並べ立てるより、その感情が剥き出しの貴女の方が魅力的ですよ! ほら、もっと解放してください! 私に貴女の輝きを見せてください! さぁ! さぁ!」


 サブリナの狂ったような催促にエドゥルネは攻撃を以って応じる。

 炎の矢が不規則な軌道を描いて次々と襲いかかり、そしてその悉くが防がれていた。

 だが、完全に防ぎきるには至っておらず、サブリナの体を少しずつではあるが焼いていたのだ。

 

 平静を装っているが、サブリナの体はあちこちが炭化しており、傷の深さを物語っている。

 それを見てエドゥルネは内心でほくそ笑み、胸中にどす黒い愉悦が満ちた。

 焼き殺されたいのなら望み通りにしてやると。

 そこで彼女はふと気が付いた、さっきから耳障りな音が響いているのを。


 何だと意識を傾けるとそれは自分の口から洩れていた。

 感情を言葉にしたかのような意味のない音の羅列が咆哮に乗って垂れ流されていたのだ。

 自分の口からこんな音が出るなんて今まで生きて来て全く知らなかった。


 だが、この胸を焼き焦がす怒りに身を任せて力を振るうのは――最高に気持ちよかったのだ。

 エドゥルネは何か解放されたかの様な気持ちになって、喉も裂けよとばかりに怒りを叫び続ける。 



 そしてその怒りを一身に受けているサブリナは冷静に攻撃を捌き続けていた。

 表面上は余裕を崩していなかったが、実際の所は攻撃を凌ぐので精いっぱいだったのだ。

 味方は事前に離れるように言っており、一対一の状況を作る事には成功したが、これは果たして逃げ切る事が出来るのだろうかと。 あまり自信がなかった。


 全身に炎を纏ったエドゥルネは怒りを叫びながら炎の矢を放ち続ける。

 その口から洩れる音は意味を成さない感情の奔流だが、少なくとも彼女の心から出た純粋な物だと言う事は分かった。


 形はどうあれ、心にもない事を口にするよりは余程健全だと思ってはいたが、そろそろ限界を迎えて欲しいといった所だと言うのがサブリナの本音であった。

 幸いにもオフルマズドの上空にあった障壁は消え失せているので、一気に高度を上げる。


 眼下には燃え盛るオフルマズドの街並みが良く見えた。

 周囲に何もないのでその炎は暗闇の中でとても目立つ。 エドゥルネの攻撃を躱しながら雲の中へと入って身を隠す。

 

 視界が封じられるが、エドゥルネは膨大な魔力を垂れ流しているので目を瞑っていても何をやっているか認識できる。

 

 「さて、時間稼ぎもそろそろ限界ですか」

 

 雲を突き破って雲上へ。

 夜が終わりに近づいている所為で傾いてはいるが、今宵は満月だったようで高い位置のお陰かとても大きく見えた。

 少し間を開けてエドゥルネが少し離れた所から同様に雲を突き破って上がって来る。


 エドゥルネはサブリナの姿を認識したと同時に愉悦の笑みを浮かべた。

 その表情はようやく獲物を追い詰めた獣を思わせる獰猛な物だったが――彼女は獣と致命的に違う点があった。 それは自らを省みない事だ。


 本人は気が付いていないが、彼女の権能によって放たれている炎は自身をも焼いていたのだ。

 エドゥルネの体は下半身がほぼ炭化しており、足に至っては焼け落ちたのか欠損していた。

 全身も重い火傷を負っており、美しかった顔も酷い事になっている。


 それでも自覚がないのか視線はサブリナから離れず、殺して深い満足を得ようと言う事しか頭にないようだ。

 

 「……我が神よ。 どうか私をお守りください」


 そう呟いて迎え撃つ態勢を整える。

 エドゥルネはサブリナが逃げないと分かり狂ったような哄笑を上げ、全力で権能を振るう。

 炎は激しさを増し、赤から青へと色を変える。


 翼も彼女から貪欲に魔力を喰らって巨大化。 そして大きく広げた翼から炎で構成された鏃が無数に突き出る。 その数は千に届くだろう。

 

 「『死ぃぃぃぃぃぃねぇぇぇぇぇ!!!』」


 ようやく意味のある言葉を紡いだエドゥルネは目を血走らせ攻撃を――放とうとして爆散した。

 エドゥルネは元々「寛容」の権能を振るい続け、その代償を聖堂に肩代わりさせていたのだ。

 だが、その聖堂がサイコウォードによって破壊された事により、その反動に襲われ、即座に死亡する筈だった。 そこを飽野によって強引に別の存在を植え付けられた結果、新たな権能「憤怒」を得た。


 結果として延命には成功したが、その体は限界をとうに超えていたのだ。

 寧ろサブリナを追い詰めるまで維持し続けていた事自体が奇跡に近い。

 サブリナもそれを良く理解してたので、無理に戦わず逃げ回っており、ようやく限界を迎えたのを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。


 「――敵ではありましたが貴女の命の輝き、見せて頂きました。 ただの少女としてどうか安らかに、エドゥルネ・ジュラ・パール・ノルベルト」


 エドゥルネは全身が炭化して最早、人とも判断の付かない有様だったが、彼女の主観では最後の攻撃は間違いなくサブリナを消し飛ばしたと確信。

 やってやったと会心の笑みを浮かべ――完全に炭となって崩れ落ち、風に攫われて消えて行った。


 サブリナは小さく安堵の息を漏らし、自己診断。

 ダメージもあるし、何より消耗が大きい。


 「私もここまでですか」


 本来なら撤退するところではあるが、独断で捕虜を取ったので最後まで責任を持って移送まで面倒を見なければならない。

 最後に城の方へ視線を向け、地上へと降下。


 途中に雲越しに複数の巨大な影が見える。

 どうやら上空を覆っていた障壁の消失に合わせて第四陣――サンダーバードとコンガマトーで構成された空襲部隊が投入されたのだろう。


 後は残敵の掃討と城の陥落を以ってこの戦闘も終了となる。

 城で戦っているであろう主にどうかご武運をと祈りを捧げてサブリナはその身を雲の中へと沈ませた。

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