第557話 「狼煙」

 「状況は芳しくない……か」


 部下からの報告を聞いたエイブラハムはぽつりと呟く。

 場所はグノーシス教団の自治区。 ここでは避難して来た民の受け入れを行いつつ聖騎士による防備を固めていた。


 空では天使像といきなり現れた奇妙な魔物の群れが激戦を繰り広げており、北にある外門からは巨大な悪魔とそれが発する黒い霧が徐々に国内を侵食しつつある。

 状況は悪い。 いや悪すぎると言わざるを得ない。


 エイブラハムは敵の布陣と動きから凡その目的を掴みつつあった。

 特定の場所を狙わずにひたすら被害の拡大を意識した布陣。 これは明らかに殲滅戦だ。

 彼が若い頃、魔物相手に行ったそれに状況が酷似していた。 本来なら真っ先に行うのは包囲だが、四方を壁に囲まれたこの国ではそれが不要。 出入り口だけ押さえておけば問題ない。


 だが、エイブラハムには分からなかった。

 襲撃者がこのオフルマズドを殲滅する理由がだ。 彼の目には敵が絶対の意思を以ってこの地を滅ぼさんとしているのが見て取れる。


 そして逃げ場がないオフルマズド側は逆に敵を殲滅しなければならない。

 敵は次々とどこからともなく湧いて来る。 終わりの見えない戦いに対して兵の疲弊が心配だ。

 はっきり言って、明確な勝ち筋が見えてこない事がエイブラハムの不安を更に煽る。


 逃げると言う事は考えない。

 北側の外門は勿論、南側の港も押さえられていると見ていいからだ。

 逃げた後、オフルマズドが落ちれば安置されている第三の聖剣と怪しい点が多い第三の魔剣に対する備えが失われる。


 それだけは看過できない。

 仮に逃げ出したとしても教団がこの地を放棄すれば自分はおしまいだ。

 第八が放棄されマーベリックが殉死した事を思い出す。


 彼の行いは立派だとは思うが、エイブラハムは真似をしたいとは思えなかった。

 必要であれば命を捧げる事は厭わないが、好き好んで死にたいとは思っていないからだ。

 その為には何としてもオフルマズドに勝利してもらわねばならない。


 だからこそ聖堂騎士を数名、悪魔の討伐に向かわせたのだ。

 結果、こちらの守りは手薄になるが致し方ない。

 敵の狙いは殲滅である事は分かり切っているはずなので、非戦闘員が多い教会は狙われ難いといった考えもあった。 希望的観測ではあるが、そう祈る事しか状況が許してくれないのだ。


 だが――


 複数の足音が近づいてくる。

 重さにバラつきがあり、明らかに体格が違う者で構成された集団だ。

 聖騎士や聖殿騎士達が無言で前に出た。 当然の反応だろうとエイブラハムは考える。


 明らかに味方ではないからだ。

 やがて足音の主たちが現れる。 先頭に居るのは何故か腕が六本もある女で、体格に合わせた特注の修道服に身を包んでいる。 その腕には錫杖が一本握られていた。


 左右には全く同じデザインの鎧と剣を持った騎士。

 背後には異形の魔物の群れ。 一体として同じ姿をした者はいないその群れは、真っ直ぐにエイブラハム達を見据えて近づいて来ていた。 転生者の一人でも居れば百鬼夜行とでも例えるであろうその群れはお互いをはっきり視認できる距離で停止。


 「どうもこんばんは。 グノーシス教団の皆さん。 私はサブリナ、サブリナ・ライラ・ベル・キャスタネーダと申します」


 先頭の異形――サブリナは丁寧な所作で頭を下げる。

 それを見たエイブラハムは、話ができるかもしれないと前に出た。

 最悪、時間だけでも稼がなければと思いながらも相手の情報を得る好機を逃す手はない。


 「貴女がこの集団を率いている長ですか?」

 「えぇ、この場に居る者は私が預かっております。 そちらは――身なりから枢機卿とお見受けしますが?」

 「いかにも。 私はバイロン・チャド・アート・エイブラハム。 グノーシス教団第三司祭枢機卿の地位を教団から預かっております」


 簡単な前置きを済ませた両者はやや沈黙。

 エイブラハムは相手の出方を待つ事にした。 声をかけて来たと言う事は何か言いたい事があるに違いないと判断。


 「提案なのですが、投降していただけませんか? こちらとしても貴重な人的資材・・・・を得られるのは利のある事。 あたら無駄に散らすよりはお互いにとって幸福な事だとは思いませんか?」


 サブリナは苦痛も少ないですよと付け加えた。

 言い方こそ丁寧だが、要は痛い目を見たくなければ降って奴隷になれと言っているのだ。

 

 「断る! 何を言い出すかと思えば妄言を! そのような提案、呑めるはずもなかろう!」


 それはエイブラハムには到底受け入れられない事ではあったが、彼はサブリナと言う女が本気でそれを提案している狂人である事も同時に理解した。

 

 「残念です。 では、死んでください」


 サブリナは錫杖を軽い動作で突き付けると同時に周囲の異形――レブナント達が雄叫びを上げて突撃。

 エイブラハムの周りに集まっていた聖騎士や聖殿騎士達も迎え撃つ構えを取る。

 

 「手心を加える必要はありませんが、可能であれば生け捕りを。 教団の者ならば例の仕掛けを施されていないかもとは思いますが、拘って余計な損害を出してしまえば目も当てられませんからね」


 サブリナはそう言いながら戦場を左右の騎士を伴って進む。

 レブナント達は精強で聖騎士では相手にならず、聖殿騎士で辛うじて食い下がれるといった戦力差だった。 彼等にとっての不幸は戦場の拡大に伴い、主力たる臣装持ちが散ってしまっており、ここの防衛まで手が回らなかった事だろう。


 その為、グノーシス教団は自前の戦力でこの場を切り抜けなければならない。

 

 「エイブラハム枢機卿! お下がりを!」


 近くに控えていた聖殿騎士に促されてエイブラハムはその場から退く。

 

 「くそっ! こいつ等強い! 魔物が何故ここまで――」


 毒づいた聖騎士は言い終わる間もなく叩き潰される。

 

 「誰か! 聖堂騎士、聖堂騎士を呼べ!」

 

 誰かがそんな事を叫んでいる事を聞きながらサブリナは周囲を眺めるが、余りの歯応えのなさに首を傾げる。

 いくら何でも脆すぎる。 ここは本当に教団の自治区なのだろうかと疑問符が浮かぶぐらいだ。

 彼女は知らなかったが、オフルマズドは本来部外者を入れない事を徹底された国で、ここにいる戦力でさえエイブラハムと外にいる助祭枢機卿が粘り強い交渉の末に配置する許可を得たと言う経緯がある。


 それを知らないサブリナは首を傾げて困惑するしかなかった。

 折角、戦闘以外では使い道のないレブナントやゲリーベから引き上げた者達――第三陣の主力を全て連れて来たというのにこんな事なら他に回すべきでしたかと考えていると、戦場に動きがあったようで少しざわめいている。


 「皆! 挫けるな! 教団の正義と仲間を信じ奮起せよ! 共に死力を尽くすのだ!」

 

 良く通る声と共にレブナントが薙ぎ払われる。

 そこに居たのは聖殿騎士とは意匠が異なる全身鎧を身に纏った騎士。

 聖堂騎士が居た。 数は三名。


 全員体格と声から女性。

 先頭のリーダー格と思われる声を上げたのは薄紅色の全身鎧に腰には剣。 兜は身に着けていない。

 鎧と同色の結い上げた髪に意志の強さを感じられる凛とした表情と眼差しが敵を射貫く。

 エルジェー・ナジ・エーベト聖堂騎士。


 この地に常駐している聖堂騎士の筆頭と目される者だ。

 その良く通る凛とした声は周囲の者を鼓舞し、活力を与える。


 もう一人は青と白の全身鎧に長槍と大盾。 こちらは兜を被り面頬を下ろしているので素顔は見えないが、体格からしてやや大柄ではあるが女性と言う事は分かる。

 ボグラールカ・ティサ・バーリント。

 守勢に長け、長槍には魔石が内蔵してあり、支援魔法もこなせる堅実な戦いを得意とする。


 最後の一人は薄緑で細身の全身鎧に短剣と銃杖。 兜は着けておらず、短い髪と少年のような風貌が良く分かる。

 マリシュカ・ガライ・フニャディ。

 素早く軽快な動きで敵を翻弄する戦いを得意とし、隠形も得手としているので斥候もこなせるという様々な技能を修めた聖堂騎士だ。


 バーリントの長槍が光り輝き、周囲の者達に活力を与える。

 支援魔法とエーベトの激励で持ち直した聖騎士達が立ち上がり、目には力が宿った。


 これは彼等にとっての反撃の狼煙。

 グノーシス教団自治区での戦いは激化し、両軍の衝突は激しいものとなった。

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