第491話 「狂乱」

 いきなり襲って来たグノーシス教団の聖堂騎士に驚いた私――クリステラだったが、続いて響き渡ったその歪んだ笑い声に更に驚く事となった。

 何故なら聞き覚えのある声だったからだ。


 「……ジョゼですか」


 私がそう言うと聖堂騎士は兜を投げ捨ててその素顔を晒す。

 ジョゼ・オルティース。 以前、私の供回りをしてくれていた娘だ。

 快活な笑みは見る影もなく憎悪や様々な悪感情に彩られたその表情は同一人物とは思えなかった。


 「クリステラ様ぁ、お久しぶりですね。 一体、こんな所で何をなさっているのですか?」


 その口調には隠しきれない様々な悪感情が籠っており、陰湿な印象を受ける。


 「ジョゼ、貴女がどうして聖堂騎士としてここにいるかは分かりません。 ですが――」

 「だぁまぁれぇぇぇ!!」

 

 説得しようとした言葉をジョゼが怒鳴り散らして遮る。


 「ですが何ですかぁ? 今は辺獄の脅威から人々を守る為の戦いの最中だから邪魔をするな? あはは、冗談は休み休み言って下さいよぉ。 貴女はそんな人じゃないでしょぉ?」


 彼女の剣幕に思わず口籠る。

 怒りに顔を歪ませたかと思えば、嘲笑を浮かべ、不思議そうに首を傾げる。

 目まぐるしく表情が変わる彼女には以前の面影は欠片も残されていない。


 「結局、貴女はぁ? 主の為、教団の為に敵を斬るだけのお人形でしょぉ? 斬るだけで誰も助ける気なんてない癖にぃ、人を助けようとするなんて寝言を言わないで貰えますかぁ?」


 そう言ってジョゼはあははと笑い、喋りながら口の端から泡を飛ばす。

 

 「……ジョゼ……私は……」


 続く言葉は出てこず、何も言えなかった。 彼女の言葉はある意味、真実だったからだ。

 少なくとも以前の私は信仰と教義を絶対とし、そう在れと自分に言い聞かせ、それ以上の事を考えもしなかった。 恐らく麻痺していたのだろう。

 

 それが正しいと信じており、その道を真っ直ぐに行けば何の問題もないと思い込んでいた。


 ――その所為で付いてきてくれてきた皆の事を顧みる事をしなかったのだ。


 サリサやジョゼについてもそうだった。

 傍に置く事と面倒を見る事は教団から指示されたので受け入れただけで、彼女達に思う所は欠片もなかった。 興味すら持てなかったのだ。

 

 そう考えて愕然とする。 今だってそうだ。

 ジョゼの事を完全に過去の物として忘れかけており、サリサに至っては自分を助ける為に命すら捨てたと言うのに――自分は彼女達に何をした?

 

 そんな事もあったのですねと過去の物として処理しただけだ。

 自分の情のなさに恐怖すら覚えるほどの嫌悪が湧き、無意識に体が震える。

  

 「教団に取って都合のいいだけの女の癖にぃ、どうして? どうして裏切ったんですか? あんな子供の為に裏切ったんですか? 貴女に取ってサリサやあたしは見ず知らずの子供にすら劣る価値しかなかったんですか?」

 「ち、違っ――」


 否定の言葉はつっかえたように止まる。 

 何故ならジョゼの言う事は全く持って正しかったからだ。 少なくともゲリーベの一件がなければ私は彼女達の事をまともに顧みる事すら――いや、今でもそうだ。


 あの燃える街でのことを思い出す。 涙ながらに自分を止める彼女に私は何もせずに冷たく突き放しただけだった。 余裕がなかったと言うのは言い訳だ。

 出来たはずだ。 彼女に一緒に行こうと声をかける事が。


 だが、その機会は永久に失われてしまった。

 彼女は私を殺すつもりだ。 そしてそれはどう弁解した所で覆す事は不可能だろう。

 ジョゼの全身から噴き出す殺気が雄弁にお前を殺すと訴えかけている。


 私は浄化の剣を構えた。 迷いがないと言えば嘘になるが、私はここで死ぬわけにはいかない。

 今この瞬間も聖女ハイデヴューネ達が戦っているのだ。 少しでも早くこの場を片付けて援護に行かなければならない。

 私一人の問題ならジョゼの気の済むようにすればいい。 だけど、今の私の命は私だけの物ではないのだ。


 私が倒れれば他の皆にも累が及ぶ。

 それだけは断じて許すわけにはいかない。


 「あはは、やっぱりそうだぁ。 所詮、貴女は使命使命使命を優先するだけのお人形。 はは、何でこんな女じゃなくてサリサが死ななければいけなかったんだろう? ほんっと理不尽、今すぐ死んでサリサに謝ってください。 謝れよぉぉぉぉぉ!」

 

 ジョゼは怒鳴ったかと思えば、歪んだ笑みを顔に張り付けたまま小さく何かを呟く。

 すると彼女の全身からゴキリと嫌な音が響く。

 次いで鎧の背面が変化、恐らく鎧の一部が開いたのだろう。 笑みは変わらず深まる。

 そして――剥き出しになった背を突き破って何かが生えていたのだ。


 黒い、闇を凝縮したかのような黒いそれは羽だった。

 天使の物に酷似していたが色と気配が別物で、禍々しさすら感じるそれを一度羽ばたかせるとふわりとその体が浮かぶ。


 表情の笑みは深まり過ぎてもはや口が裂けたようにすら見える。

 手に持った剣を構え――私は咄嗟に後ろに跳ぶ。

 同時にジョゼの姿が霞んだと同時に突っ込んで来る。 記憶にある彼女の物とは別人のように鋭い斬撃が繰り出されるが浄化の剣で受け止める。


 金属音。 相手の剣を一瞥するが無傷。

 何らかの処理を施して浄化の剣と切り結べるようにしているのか。

 

 「あはははは! 流石ですねぇ、クリステラ様ぁ! まぁ、それしか能がないから防げないと貴女に価値なんかなくなりますよねぇ」


 彼女の羽が空を叩くたびにその姿が霞み、重い斬撃が飛んでくる。

  

 「ジョゼ! その力は――」

 「流石にあなた相手に正面から勝てると思うほど自惚れてませんよぉ? だから手早く力を手に入れました。 凄いでしょう?」


 そう言って空中でくるりと一回転。 

 羽は背を突き破った際に付着した彼女の血を纏って斑に染まっている。

 明らかに実体のない魔力ではなく、形として存在する生身だ。


 ……ジョゼ……そこまで……。

 

 あの後、彼女の身に何が起こったのかは想像できないが、穏やかな物ではなかったのは確かだろう。

 再度ジョゼが羽を震わせて斬りかかって来る。

 

 「あはははははは! いつまで躱せますかねぇ! でもただでは殺しませんよぉ! あたしもサリサも死ぬほど苦しんだんです! 貴女にもおなじぐらい苦しんで貰いますからねぇ!」


 動揺で心が乱されたが、攻撃を防ぎながら気持ちを落ち着けて冷静に見極める。 

 彼女の事は何とかしたいとは思う。 だけど――この戦いは私だけの物ではない。

 今この瞬間も仲間が傷つき、倒れている。 だから、今は私情を捨てて戦う時だ。

 

 「そろそろ動けなくなってもらいますねぇ、まずは足を――」

 

 もう充分見た。

 ジョゼの斬撃は確かに速いが羽による急加速に裏打ちされた物であって彼女自身の技量が大きく向上した訳ではない。 何回か見れば見切るのは難しくない。

 彼女の剣を引きつけて躱し、浄化の剣を一閃。


 その羽を切り落とした。

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