第481話 「身恥」
「――まぁ、そんな訳だ。 最悪――というよりはほぼ間違いなくユルシュルと戦り合う事になりそうだ」
「ぬぅ、それはどうにかならなかったのですかな?」
渋い顔をしているグレゴアに俺――エルマンは小さく肩を竦める。
あの後、聖女の天幕を後にした俺は部下に連絡して必要事項を伝達し、自身はグレゴアに直接話しに来たと言う訳だ。
「ありゃ無理だ。 そもそもこっちの話に聞く耳を持たん上に聖女を嫁に寄越せと寝言を言いやがる」
「ユルシュル王は聖女殿に懸想しておられるのか?」
俺は不思議そうに首を傾げるグレゴアに馬鹿々々しいと手を振って否定する。
「そんな訳ないだろうが、顔も知らん相手にどう惚れろと言うんだ。 大方、聖剣とアイオーン教団の実権狙いだろうよ」
良くも悪くも――いや、悪いだけの分かり易い男だ。
口振りからも戦力を増強して他の勢力――特にオラトリアムを潰したくて仕方がないのだろう。
あそこは異常なぐらい羽振りがいいからな。 それに国内の物流の大半を押さえているのも強い。
あそこを怒らせればどうなるかはユルシュル王は身をもって知った事だろう。
資金力だけでなく武力と言った面でもあそこは洒落にならない。
確かに奪えればこの国を掌握したも同然だろうが、どうやって奪えと言うんだ。
俺がユルシュル王の立場なら絶対に手を出すような真似は控えるがな。 そうでなくてもあそこは不穏な物や怪しい点が多すぎる。
……それに……。
ムスリム霊山の事もあるので手を出すのは危険すぎる。
聖女やクリステラにも詳細までは話していないが、オラトリアムへ何かする際は可能な限り慎重にと何度も言い聞かせている。
「……ユルシュル殿は野心家とは聞いてはいたがここまでとは……」
「ゼナイドの嬢ちゃんが嫌になって家出する訳だ」
生真面目なお嬢さんが家の話を振られる際に浮かべた嫌な顔を思い出す。
あの様子だと大方、家の方針――と言うよりは父親の圧力で人生の大半を決めつけられたのだろうな。
単純に考えるのなら王家縁の人間か王子連中に取り入って結婚とでも言われたか?
他にもいくつか浮かんだがどれも碌な物じゃなかった。
「……ユルシュルと戦闘になるかもしれんと言う話には納得はしたが、我等の目的はバラルフラームへ向かい辺獄種共と戦う事だ。 聞けば随分と危険な相手と聞いているが余計な戦闘をしている余裕はあるのですかな?」
そう言われて俺は思わず顔をしかめる。 痛い所を突く。
本音を言えば余計な戦闘は避けて無傷で辺獄まで行きたい所なのだ。
グノーシス教団の連中の不自然なまでの聞き分けの良さも引っかかるし、向こうに着いた瞬間に本性を現すなんて事も充分に考えられる。 何があっても対処できるように可能な限り損耗は抑えておきたい。
「本当はないんだが、状況がそれを許してくれなさそうだな。 一応、グノーシスの連中にもユルシュルが仕掛けてくるようであれば協調して排除するという話には同意してはくれたが、どこまで信じていいのやら」
「エルマン殿はグノーシスを疑っているのですかな?」
「……当たり前だろうが、あんな何を考えているかもわからんような連中、疑うなと言う方が無理な相談だ。 ……確かに連中の態度は真摯であるように見えるし、話におかしな点は今の所だが、ない」
聖女やクリステラは信じているようだが、俺もあのマーベリックと言う枢機卿の真意に関しては測りかねている。 仮に連中が俺達を陥れたとしてどんな得があるかを考えると首を傾げざるを得ないのだ。
ウルスラグナではもうグノーシスの悪評は広まり切っている。
その為、仮にアイオーン教団を掌握してグノーシスの看板を掛け直したとしても誰もついて来ないだろう。 詰まる所、この国はもう戦略的な意味ではグノーシスにとって価値がないのだ。
あのマーベリックに関してもそれは同様の筈だ。 肩書きに第八と付いていると言う事は元々ウルスラグナ担当の枢機卿だったはずだ。 国内の教団が消滅した以上、あの男の地位もおしまいだ。
それだけに分からなかった。 あの男がこの国に来て民と国の為と言いながら恥や外聞をかなぐり捨ててまで協力を要請して来た理由が。
まさかとは思うが全てを失って最後に良い事をして死にたいとかそんな殉教精神だとでも言うのだろうか? 冗談だろうと俺は鼻で笑う。
あれだけ殺しておいて? 追い詰められたらいい事して帳尻を合わせよう?
笑わせるのも大概にしておけよと言う話だ。
表には出さないし正面から罵倒する気もないが、俺はあの連中が嫌いだ。
大量に出た死者や拠点襲撃で死んだ連中も元を正せば教団の上が――
そこで俺は大きく息をして気持ちを落ち着ける。
いかんな。 自分で思っている以上に感情的になってるようだ。
「エルマン殿?」
「いや、何でもない。 要は連中を完全に信用するのは今の段階では難しいって話だ」
俺の態度にやや訝しんでいたグレゴアに何でもないと手を振ってごまかす。
「……とにかく明日には出る事になる。 お前も覚悟しとけよ」
それだけ言って俺はその場を後にした。
我ながらかなり疲れているな。 やることやったら少しでもいいから眠った方がいいかもしれん。
感情的になり過ぎると判断に狂いが出る。 身体の節々も痛いし何より胃痛がヤバい。
……そうだな。 今日は早めに休もう。
自分にそう言い聞かせて俺は自分の天幕へと足を向けた。
「……はぁ……」
聖堂騎士ゼナイド・シュゾン・ユルシュルは小さく溜息を吐いた。
彼女が今いる場所はアイオーン教団が野営している場所から少し離れた位置にある小高い丘だ。
この地は彼女の生まれ故郷なので地理に関しては精通していると言って良い。
少し高い位置からぼんやりと野営地を眺める。
アイオーン教団の野営地から少し離れた場所にグノーシスが天幕を広げているのが見えた。
彼女が考える事は父親や家族の事だ。 あの父の態度を同僚に見られた事が何よりも重くのしかかっていた。 ユルシュル王の態度は娘であるゼナイドからすれば顔から火が出るほど恥ずべき物で、皆は気にした素振を見せなかったがそれが彼女の気持ちを重くしていた。
何故、自分の家族はああなのだろうかと。
幼い頃から実家が嫌で仕方がなかった。 自分の思い通りの振る舞いを強要し家族ですら道具として扱うようなユルシュルのやり方には辟易しており、父もそうだがその考えに染まった兄や弟は彼女に取っては理解不能な生き物とすら感じていたのだ。
だからこそ早々に家を離れた。
幸いにも才能はあったのでグノーシスに入り、頭角を現し順調に聖堂騎士へと上り詰めたのだが……。
彼女には聖堂騎士として問題――いや、欠陥と言って良い物が存在した。
それは何か? 答えは信仰心。
口では色々と言っていたが、ゼナイドは天使や主なんて代物を欠片も信じてはいなかったのだ。
あくまでも彼女が語っていたのは聖堂騎士になる過程で学んだお仕着せの教義であって信仰心ではなかった。
そんな彼女だったが聖堂騎士の仕事にはやりがいを感じていた。
悪を裁き、正義を成す為に剣を振るう。
彼女が母から寝物語に聞いた話に出てきた騎士は皆そうであったからだ。 真の騎士は家族の将来を決めつけず人々の為に戦い、称賛と名誉を浴びるように得る物だと。
実の所、彼女は騎士として気持ちよく振舞える環境であればどこでも良かったのだ。
グノーシスは絶対の正しさをもって彼女の正義感を満たしてくれた。
だが、それもグノーシスの不正が明らかになるまでの儚い幻だったようだ。
それを目の当たりにした彼女は呆然としていたが、いきなり現れた聖女とか言う妙な女が立ち上げた新しい教団によって彼女は新しい居場所を得たのだが――。
当初はぽっと出の聖女に教団を好き勝手されるのが気に入らないという反発心だった。
かといって一度ケチの付いたグノーシスに戻るという選択肢は彼女の中に存在しない。
そんな理由であっさりとアイオーン教団へと鞍替えを決める。
あんな女に教団の舵取りが務まる物かと内心で馬鹿にしながら早くしくじれとこっそり思っていたが、驚いた事にそうはならなかった。
グノーシスの負のイメージを徐々に払拭し以前と同等とまでは行かなくとも、信用を回復させた功績は認めざるを得ず、こうしてゼナイドは聖女ハイデヴューネの下に付く事に納得したのだ。
だからこそ、身内の恥を晒すのは恥ずかしかった。
父が言葉を発する度に自分の失態が積み重なっていくようで我慢がならなかったのだ。
だからあの時、割って入ったのだが――。
「……私が何とかしないと……」
そう呟いてゼナイドは歩き出した。
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