第478話 「野心」
目の前の男が何を言っているかさっぱり理解できなかった。
え? 妻? 何の話?
思わず僕はエルマンさんやクリステラさんの方を見ると、クリステラさんは一瞬、驚いたように目を見開いたが徐々に表情が険しくなる。
「……おいおい、あんた一応とは言え王だろ? 過程をすっ飛ばして何を考えているんだ?」
「黙れ、従者ごときが出しゃばるな。 王たる我が求める事は一つ、貴様が我が妻となりその聖剣を我に捧げよ、そしてアイオーン、グノーシス教団は傘下に入り、王威に反するオラトリアムと旧王家を滅するのだ!」
……えぇ……。
思わず兜の下で表情を歪める。 こういう時、兜を被っていてよかった。
何か色々言っているけど、僕でも分かる程下心が丸出しだった。
これって要は敵を倒したいから力を貸せと言う事だよね。 しかもオラトリアムの名前を出した時に語調が強くなった所を見ると、本命はそれだろう。
彼は僕にオラトリアムに――ローのいるオラトリアムをどうにかしろと言い出したのだ。
思わず拳を握り、鎧の金属部分がこすれて微かに軋んだ音を立てる。
「いや、だから――」
「構いませんよ?」
「は!? いや、お前、何を言って痛っつつ――」
僕はそう言って前に出る。
それを聞いてエルマンさんが驚愕の表情を浮かべ何故かお腹を押さえて前かがみになる。
「ほぉ、物分かりが良いな! ではまず兜を取って――」
僕はその言葉を無視して腰の聖剣を引き抜く。
同時に周囲が反射的に武器を構えるが僕は無視してユルシュル王から数歩の所で止まる。
そして聖剣を差し出すように前に出す。
「ただし、この聖剣を僕から取り上げる事が出来ればですが。 聖剣はアイオーン教団の長である聖女の証、貴方が教団を傘下に置きたいと言うのであればまずはこれを手にして頂きたい――もっとも、まともに触れればの話ですが」
僕は我ながららしくないと思いながらやや挑発的に言い放つ。
驚いた表情を浮かべていた皆は僕の意図を察したのかややあって、納得したかのように開きかけていた口を閉じた。
「ふん、言うではないか。 いいだろう、我が聖剣を手にする事が出来れば兜を取って我に従うと誓ってもらうぞ」
僕は無言でさっさと取れとばかりに聖剣を突き出す。
ユルシュル王は聖剣を顎で指すと彼の近くに控えていた騎士が聖剣を受け取ろうと触れた瞬間、吹き飛んだ。 全身鎧の騎士は床を何度も転がった後、壁にぶつかって止まり苦痛に身を震わせていた。
それをみてユルシュル王は僅かに表情を引き攣らせる。
「どうぞ?」
僕は畳みかけるようにそう言い放つ。
「……バウード、その剣を我の所にもって来い」
「はっ!」
ユルシュル王は脇に控えていた大柄な騎士に命ずると、騎士は腕に付けている籠手に触れる。
すると嵌まっている魔石から光が洩れる。 恐らく防御系の魔法道具なのだろう。
もしかしたら魔法を無効化する類の物かもしれない。
バウードと呼ばれた騎士は魔石が嵌まった籠手を着けた手で聖剣に触ろうとして――さっき吹き飛んだ騎士と同様の末路を辿った。
ちなみに籠手は聖剣に触った瞬間に砕け散って跡形もない。
それを見たユルシュル王は詰まらなさそうに鼻を鳴らす。
「……ふん、大方、触れられん仕掛けでも施しているのだろう。 小賢しい真似をする。 そちらがその気ならこちらにも考えがあるぞ」
ユルシュル王はすっと手を上げると周囲の騎士達が一斉に武器を構え、応じるようにエルマンさん達も武器に手をかける。
そして振り上げた手が下ろされようと――
「おやめください!」
――した手は勢いよく開かれた扉とそこから入ってきた人物によって止められた。
ゼナイドさんだ。
彼女は目に怒りを宿らせ真っ直ぐにユルシュル王を見つめ、対するユルシュル王は冷めた目で娘である筈の彼女を見つめ返していた。
いきなり入ってきた彼女に驚いたが、その手に大振りの魔石が握られている事に気が付いた。
僕はちらりとエルマンさんの方を見ると、うまく隠していたが彼の手にも魔石が握られているのが見える。 どうやらこの場の会話を彼女に中継していたようだ。
「父上、何故あなたは思い通りにならぬ者は力でねじ伏せようとするのですか!? そんなやり方がいつまでも通じる訳がない! それがどうして理解できないのですか!?」
「黙れ、我の命令に背いて逐電し、勝手に聖騎士になった貴様など我が娘でも何でもない。 我の前から消えろ。 その不愉快な顔を見せるな!」
「いいえ。 今回ばかりは黙りません。 これ以上、聖女様やグノーシス教団の足を引っ張ると言うのなら――」
ゼナイドさんは腰の細剣を抜いてユルシュル王に切っ先を向ける。
「私と決闘しなさい! 私が勝てば約束通りバラルフラームへ通して貰います」
ユルシュル王は不快気に表情を歪め、玉座から立ち上がり脇に置いてあった剣を掴み鞘から引き抜く。
「……」
両者とも無言。
しばらくの間、お互い動かなかったが先に折れたのはユルシュル王だった。
彼は無言で剣を鞘に納めるとやや乱暴に玉座に腰を下ろす。
「……興がそがれた。 もういい、全員我の視界から消えろ」
ユルシュル王のその言葉でその場は何とか収まった。
「申し訳ありませんでした!」
そう言ってゼナイドさんは僕に深々と頭を下げる。
「い、いえ、こちらこそ、ゼナイドさんが居なかったらどうなっていたか……」
僕は少し慌てながらも何とか彼女に頭を上げて貰って話を聞く事になった。
場所は王の屋敷――本人曰く城から少し離れた場所にある駐屯地。
そこにある僕の天幕の中だ。
到着するや否やゼナイドさんは勢いよく頭を下げて今に至るのだが――
「そうだな。 割り込んでくれなかったら本格的に戦闘になっていたかもしれん。 助かったぜゼナイドの嬢ちゃん」
「……少なくとも、貴女が乱入した事でユルシュル王の気勢は削がれました。 私も戦闘を回避できたのは貴女のお陰だと思います」
エルマンさんとクリステラさんも同じの意見のようで、ゼナイドさんに感謝の言葉を口にする。
彼女はそう言われて少し複雑な表情をした後、ユルシュル王について話をしてくれた。
「あの男――いえ、この家は元々、多くの近衛騎士を輩出してきた由緒正しいと言えば聞こえはいいですが、実際の価値基準は強さです」
ユルシュル領。
代々、優秀な騎士を輩出した名家であり、自前で騎士の養成所――学園を作って後進の育成にも力を入れている。 王都の守護を司る正騎士は勿論、その最高峰たる近衛騎士もこの学園の卒業者が多い。
その為、ユルシュルはウルスラグナ国内の領主の中でも発言力は強い。
ウルスラグナは内乱の果てに生まれた国ではあるが、立地の所為で国家間での摩擦がほぼ皆無。
それが意味する事は何か? 答えは明確に備える敵がいないと言う事実に他ならない。
敵がいないと言う事は地位が脅かされる事がないという事。
さて、明確な敵が居ない者達はその気高さを維持し続けられるだろうか?
答えは否だ。 ユルシュルは代を経る毎に傲慢を得る事になる。
それは少しずつ領主を侵していき、思想が歪んでいく。
最初に彼等が抱いていた騎士の道は、いつしか力と勝利こそが是と言う物に変貌。
それはある意味自然な流れなのかもしれない。
勝てない騎士は何も守れない。 守れない騎士に存在価値はあるのか?
気が付けば勝者こそが正しいと言った不文律が出来上がり、その頂点であるユルシュルの領主もその例に漏れない。
領主――現ユルシュル王は王都の一件さえなければ厳格な領主としての一生を終えたであろう。
だが、王都の襲撃とジェイコブ王の死亡と空いた玉座に次々と後釜を狙う他の領主達という状況がそれを許さなかった。
結果、ユルシュルは我こそが王と名乗りを上げるのはある意味必然であったのかもしれない。
そして彼の「勝者こそが正しい」といった考えの下、各地を武力によって併呑。
今のウルスラグナ騎士国の出来上がりだ。
ユルシュル王――いや、ユルシュルという場所が今まで培った物は野心という形で発露し――
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