第375話 「否定」

 ――あなたはあなただった者の否定から生まれた存在。


 「……否定?」


 予想はしていたがこれまた抽象的な答えが返って来たな。

 その言葉の意味を考える。

 額面通りに捉えるのなら、俺はあのゴミ屑の自己否定から生まれたと?


 つまるところ以前に挙げた多重人格説が正解だった?

 果たして本当にそうなのだろうか?

 どうにもしっくりこない。 これ程の忌避感を感じる以上、無関係と言うのは有り得んだろうが……。

  

 「今一つ理解できないな。 要は俺はその俺だった者の一部だと?」

 

 ――似ているけど違う。 あなたはあなただった者の半身。 構成する三つの要素の一つ。 本来なら融けて混ざるべきものが否定によって分かたれた者。


 …………さっぱり意味が分からん。


 「もう少し分かり易くならないか?」


 最低限、俺に理解できる程度に噛み砕いて欲しい物だ。


 ――それ以上の答えが得られなかった。


 俺はこいつの謎の言い回しを解読しなければならんと言う事か? じわりと不快感が湧くが今は我慢だ。

 取りあえず、理解できる部分を拾うと、俺はゴミ屑を構成する三つの要素とやらの一つでそれが独立した存在?

 駄目だ。 さっぱり理解できない。


 「……そもそも、その否定とやらの意味が分からん」


 確かにあのゴミ屑には凄まじいまでの拒否反応はある。

 そこだけ抜き出すなら的は射ているのだろう。

 だが、こいつの口調は否定する事こそが存在自体――いや、存在意義といっていい物が俺だと言っているように聞こえるが……。


 まるで俺があのゴミ屑を否定する為だけに生きているみたいじゃ――


 ――あなたが生きているのがその証。


 ……は?


 まるで俺の思考を先回りするかのように筥崎の言葉は俺に意識に滑り込んで来た。

 俺が生きている事が証拠? どういう事だ?

 

 ――あなたの存在は限りなく死に近い。 生きる意欲を持たずに、目的も持たない。


 ……またか。


 ジェイコブの言葉が脳裏でリフレイン。 どいつもこいつも妙に引っかかる事を言う。

 俺だってそこまで馬鹿じゃない。 気にはなっていたのでそれなりに考えはしたさ。

 確かに俺には明確な目的意識の類はない。 この地を訪れたのも気まぐれに近い。

 それがどうし――


 ふと気付く。

 

 ――俺は何故生きている? ――という根源的かつ最初に考えなければならない疑問に。


 ぞくりとした寒気が背筋を伝う。

 この世界に来て初めてかもしれない。

 こんなにうすら寒い気持ちになったのは。


 確かにおかしい。 俺はあの時――転生した直後にもう一度死ぬつもりだった。

 実際、ほぼ実行に移しかけてはいた。 だが、何故中断した?

 嫌な感じがする。 だが、思考はさらに加速。


 ロートフェルトの体があったからだ。

 恐らく乗っ取り等に関しては俺の本体に備わっている本能のような物だろう。

 だが――


 ――何故、俺は奴の体を乗っ取ろうなんて気を起こした?


 そこだ。 その一点が自分の行動にも拘らず理解できない。

 あの時は深く考えなかった。 死ぬ理由がないし構わんだろうと流したからだ。

 身体を乗っ取って適当に遊んで満足して自分を処分すればいいだけの話だろう?


 何故それをやらなかった?

 言い切ってもいいが俺は自分の命にそこまでの価値があるとは思っていない。

 死ぬならそれで構わないとすら思っていた……筈だ。


 考えれば考えるほど、自分が生きている事が不自然に感じる。

 だが、更におかしなことに今の今まで自殺という選択肢が脳内に欠片も現れなかった事がそれに拍車をかけていた。


 ――それこそがあなたの本質。 あなたは無意識に死を望んでいるけどあなたの存在意義がそれを許さない。


 そして筥崎は決定的な事を口にする。


 ――あなたの正体は亡者。 死ぬために生きている亡者。 自らに死を許せない、故に死を待ち続ける亡者。


 ………………。


 何も言えなかった。

 我ながら何と言って良いか。 本当に驚くと言葉と言う奴は出てこないのか他人事のように考える。

 少しの時間を要したが、俺は投げかけられた答えを咀嚼。


 なるほど。 亡者、亡者か。

 確かに正鵠を射ている。 奴の予言の出所に関しては大いに興味はあるが、その能力は本物だろう。

 俺自身が理解していなかった俺の本質を正確に射貫いた。


 反論は出ない。 出しようがないからだ。

 確かに否定という表現は言い得て妙だ。 分離とやらの詳しい理屈なども知りたい所ではあるが一先ずそれは脇に置いて考えよう。 その上で得た情報を整理する。


 ……俺がゴミ屑を否定する存在ならば確かに死ねんな。


 筥崎の言葉は信じられないぐらいに見事にすとんと腑に落ちる。  

 奴は自死という手段でこの世を去った。

 ならば、その否定である俺はそれを選べない・・・・。 何故ならそれは奴を肯定する事になるからだ。


 そしてそれしかない俺は生きる意義を見出せない。 だが、死ぬ事が出来ない。

 どうでもいいと言いつつ、無意識レベルで生きる事を選んでいるのだろう。 


 結果が今の俺か。 倫理観なんて存在する余地がないのも頷ける。

 自身の事すらどうでもいいのにそんな物を遵守する気なんて持ちようがない。

 そして出来上がったのは表面的な利己の塊と。


 なるほど。 面白い。

 自分の滑稽さが可笑しくて少しだけ笑ってしまったじゃないか。

 こっちに来て初めてかもしれんなここまで愉快な気持ちになったのは。 


 ――…………っ!?


 いきなり笑い出した俺に何かを感じたのか筥崎から息を呑む気配。

 なるほどなるほど。 結構な収穫だ。

 収穫ついでにもう少し教えて貰おうか。 半ば期待を込めて次の質問を投げかける。


 「話は分かった。 つまり俺の目的は死ぬ事と言うのは良く分かったが、それはどうにもならんのか?」


 言いながら自殺してやろうかと考えるが実行に移そうとするとブレーキがかかる。

 筥崎の話を聞くべきだとか、他にやる事があるとか、それをやるべきではないという理由が瞬時に脳裏を埋め尽くすのだ。


 ……なるほど。 言われないとこれは自覚のしようがないな。

 

 知らなければ気まぐれと考えるが、意識すると違和感が凄まじい。

 恐らく、これこそが俺という生物の本能に近い物なのだろうな。

 どうにもならん。 間違いなく俺は自殺が出来ない・・・・・・・


 ――……あなたには半身を切り捨てた事で生まれた空白がある。 それを埋める事が出来れば別の道が開けるかもしれない……。


 ……かもしれない……ね。


 つまりは俺次第と言う訳か。

 もしかしたら気まぐれと自己判断したこの旅もそれを探すのが目的だったのかもな。

 脳を複数持ち、自らの肉体を完全に支配していても己の声は聞こえないか。


 灯台下暗しとは良く言った物だ。

 

 「そのかもしれないに心当たりは?」


 ――分からない。 ただ……。


 「ただ?」


 ――あなたは生命の樹セフィロトには忌避されるが死の樹には愛される。 あるいは……。


 例のアンデッド多発地帯か。

 歯切れが悪い所を見ると、出力した情報ではなく奴の私見だろう。

 良く分かった。 ついでに転生に関する事を尋ねたが、そちらは抽象的すぎて理解できなかった。


 俺が発生した理屈は結局分からず終いとなったが、収穫としては充分だ。

 一つ頷いて踵を返す。 用事は済んだし、もうここに用はない。

 

 ――ありがとう。


 「これは取引だ。 俺は労働力を、あんたは知識をお互いが満足できるだけ供出した」


 だから礼を言う事じゃないと付け足して俺はその場を後にした。

 


 外に出ると何故かサベージが不安そうな眼差しで振り返るが、俺は小さく肩を竦めてその背に跨る。

 肩には鳥――後で何か名前を付けるか――を乗せて出発。

 向かう先は国境付近にあるとか言うアンデッド多発地帯「辺獄の領域」だ。


 何が出て来るやらと考えながらサベージに向かう先を指示した。

 フォンターナへは一度行っているので、移動ルートに関しては問題ない。

 さっさとアラブロストルへと向かってもいいが、少しフォンターナを見てからでも遅くはないだろう。


 水源と稲の産地以外は特にこれと言って面白い物はない。

 国土自体もそう広くないので軽く回るだけでいいだろう。

 移動をサベージに任せ、俺はぼんやりと筥崎の話を反芻する。


 ……否定ときたか。


 否定できないのが辛い所だ。 否定だけにな。

 はははは……はぁ。

 今回のは中々きつい。 知りたくもない話だったが知ってよかったとも言える。


 今後の方針も多少ではあるが固まったしな。

 まぁ、やる事はそう変わらんが。

 俺が生きるに足る目的……か。


 果たして生きている間にそんな物が見つかるのやら。

 現状、見つかるとも思えんが世界は広い。

 俺の想像を越える物の一つや二つはあるだろう。


 それに期待するとしよう。

 差し当たってはこの先にあるフォンターナ王国で探すとしようか。

 視界の先に見えて来た国を見て俺はそう思った。

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