第331話 「洞察」

 何をされたのか分からないが、それがどう言った効果を及ぼしたのかはすぐに分かった。

 

 「――か……」


 息が出来ない。

 空気を吸えないのだ。 それは隣のクリステラも同様で首を押さえている。

 私も苦しさで首を押さえようとしたが、即座に呼吸が回復する。


 クリステラがむせるように咳き込んでいるのが聞こえた。

 彼女も息ができるようになったらしい。

 振り返るとアス君がこちらに手を翳しているのが見える。


 「多分だけど、空気はあるけど吸えなくされたみたいだね。 僕が魔法で生みだした分は使えるみたいだから、維持できれば呼吸は問題ないよ。 ……ただ、こっちにリソースを割くから援護は余り期待しないで」

 「いえ、助かります」


 持ち直したクリステラが長剣を構える。

 

 「……どうしますか? 正直、あの防御を抜く手段がないのですが……」

 「そうだね。 幸か不幸か彼女自身に攻撃能力がないみたいだから耐えれば膠着には持って行けるけど、こっちの魔力が切れるのが早そうだね」

 

 ジネヴラは動かない。

 その顔に特に表情は浮かんでおらず、観察するような眼差しを向けている。

 アス君は不意に声を落とす。 


 「お姉さん。 ちょっと教えて欲しいんだけどいいかな?」

 「……何でしょう」

 「見た感じ、天使の力を操っているように見えるけどあれって維持するのに何か必要な物ってあるの?」

 「……恐らくですが、体に降ろす際と状態を維持する為に御使いと繋がる為の何かが必要だと思われます」


 クリステラは少し悩むように間を空けて答えるが、確証がないのか歯切れが悪い。


 「ちなみにお姉さんの時は?」 

 「首飾りでした」

 

 ……首飾り? あのグノーシスのシンボル?


 そう言えばローはムスリム霊山に居る時、真っ先にシンボルの像を破壊していたけど……もしかして知っていた? そう考えると彼の行動は納得がいく。

 

 「……もしそうだとしたら破壊は現実的じゃないね。 とは言っても何もしなければジリ貧。 厳しいね」


 アス君は少しジネヴラをじっと見る。


 「……悪いけど、もうちょっと情報が欲しい。 仕掛けて貰ってもいいかな?」 

 「構いませんが勝算が?」

 「ないから作るんだよ。 それにちょっと引っかかっている点もあるしね」


 ……引っかかっている点?


 「アス君? それは……」

 「視線と傾向……かな? 今はそれだけしか言えない」


 視線? 傾向?

 言っている事が今一つ理解できなかったけど、私はアス君を信じるだけだ。

 クリステラも無言で長剣を構える。

 

 「動きは先程と同じで。 行けますね」 

 「ええ」


 私達が身構えたのを見て、ジネヴラは僅かに口の端を上げる。


 「作戦会議は終わりましたか? 何なら逃げたければ逃げても構いませんよ?」


 ……逃がす気もない癖によく言う。


 無視して真っ直ぐに突っ込む。

 拳を何度も叩きつけるが、例の障壁に防がれる。

 クリステラも背後に回って斬撃を何度も繰り出すが、同様に通らない。


 数撃繰り出した所でジネヴラが小さく振り返る。

 

 ……動く。


 そして狙いは――。

 金属音。 クリステラが攻撃を剣で受けて吹き飛ぶのが見えた。

 彼女は長剣を床に刺して衝撃を殺し、体勢を立て直す。


 ジネヴラは更に追撃。

 やっぱり速い。 その上見えないので、目で追えないのは本当に脅威だ。

 恐らく私では完全に防ぐのは無理だろう。 反応が出来ない。


 ……だが――。


 クリステラはその全てを完全に防ぎきっていた。

 

 「……動きの傾向は掴めました」

 

 彼女はその場を動かずに相手の攻撃に合わせて長剣で防いでいた。

 ただ、衝撃を殺しきるのは難しいようで受け止める度に吹き飛んでいる。

 

 「貴女の攻撃は速い上に重い。 ただ、それを繰り出す技量はお粗末ですね。 いくら速くても攻撃前の視線で狙いは分かります」

 

 わざわざ声に出しているのは私達に伝える為なのは分かる。

 いや、言っている事は分かるけどそんな見切り方、真似できないんですけど……。

 アス君は珍しく真剣な表情でクリステラ達をじっと見ていた。


 ジネヴラの攻撃が十を越えた所で溜めが切れたらしく、攻撃が止まる。

 クリステラがバックステップで下がる。

 これでまた仕切り直しか。

 

 「ちょっと聞きたいんだけどさ」


 不意にアス君が口を開く。


 「何でお姉さんを執拗に狙うの?」


 ……そう言えば。


 最初の攻撃以外は私もアス君も完全に無視されている。

 何故、クリステラを執拗に狙う?

 私が逆の立場なら真っ先にアス君を狙って弱体化を狙う。


 むしろ厄介なクリステラは最後に残して一対一に持ち込む。

 それをやらないと言う事は、それだけ彼女を排除すべき脅威と認識している?

 ジネヴラは答えない。

 

 ……それとも答えられない?


 「……ジネヴラだっけ? 君、枢機卿がどうのとか偉そうな肩書を持っているけど、所詮はスピーカーでしょ? その立場に見合った苦労はあるんだろうけど、ちょっと箱入りが過ぎるんじゃない?」

 

 ジネヴラは訝し気に微かに眉を顰める。

 アス君の言っている事が理解できていないようだ。

 

 「君の力は確かに凄い。 どうやってか知らないけど、天使の力を完全な形で使えているし、見た感じ聞いていた副作用もない」


 アス君はぐるりと周囲を見回す。


 「その副作用がないって所が引っかかってね。 これは僕の推論なんだけど、精神に何らかの影響……どちらかと言うと汚染が起こる事によって、言語が混ざるという症状が出る? それとも別の理由があるのかは分からないけど、何らかの弊害と僕は睨んでいたんだ」


 アス君は踵で床を蹴る。


 「さて、君にはその弊害が全く起こっていない。 その理由は何か? 答えは何らかの支援・・を受けている。 ……でしょう?」

 

 そうか。 いくら高い地位に居たとしても人間である以上、その身を超えた力を行使するにはリスクがある筈だ。 それが全くないなんて考え難い。

 でも、何が彼女の力を支えているのか……。


 「……で、話は戻るんだけど。 真っ先にお姉さんを狙った理由って、お姉さんが脅威と言うよりはどちらかと言うとその剣でしょ?」


 アス君は床を指差す。

 そこにはクリステラがジネヴラの攻撃を受けて吹き飛んだ際に制動をかけるために剣で擦った後だ。

 ざっくりとした傷が走っている。


 「梓、お姉さん。 その子、もう無視してもいいよ。 どうせ攻撃しても無駄だし。 狙いはこの部屋・・だ。 派手に壊しちゃって」 


 アス君の言葉にジネヴラの顔色が変わる。

 

 「や、止めなさい!」


 核心を突いたのかジネヴラの声が裏返る。 その反応で私も理解した。

 恐らくジネヴラはリスクをこの聖堂に肩代わりさせていたんだ。

 それであれだけの力が振るえた。


 同様に察したクリステラが床や壁を剣で斬り刻み始めた。

 私も同様に壁に拳を叩きつけるが、殆ど傷が付かない。

 

 ……硬い。


 だが、ここが勝負所だ。

 

 ――なら。 切り札を切るのはここだろう。


 「アス君! 使うわ!」

 「お願い」


 私は意識を内側に集中。 枷を外す。

 同時に体が一気に膨張。 転生者の奥の手である解放だ。

 これをやると理性がやや麻痺するのと反動がきついのであまり使いたくないけど、やるしかない。

 

 全身が脈打ち、視界が真っ赤に染まる。 

 歯を食いしばって気持ちを落ち着けて、やるべき事を見据える。

 自分の内にある獰猛さに方向性を持たせて解き放つ。


 無意識に咆哮を上げ、周囲の壁を手あたり次第殴りつける。

 一撃目で僅かに欠け、二撃目で亀裂が走り、三撃目で砕け散った。

 光る文字の浮いた壁は砕けると光を失い、明滅が不規則になる。


 「止めなさいと言っているのです!」


 ジネヴラの焦った声と同時に首が締まる感触。 さっきの空気を操る能力か。

 だが、すぐに楽になって呼吸が戻る。

 アス君が妨害しているからだろう。


 背後からは硬い物を斬り刻む音が響く。

 振り返ると、クリステラが走り回って床を斬り刻んでいた。

 ジネヴラは確かに強いが、基本的に相手の攻撃待ちと言う致命的な欠点が存在する以上、無視されればどうにもならない。


 「止めて! 私の聖堂をこれ以上、Δο νοτ βρεακ ιτ! μυσελφが私じゃなくなっちゃうの! Γοδ'ς ωοιψεが聞こえなくなっちゃう!」

 「それが素か。 まぁ、普段なら歳相応って感想が出そうだけど、悪いけど恨むなら祭り上げた人達を恨んでよ」


 アス君はジネヴラへの興味を失ったのかその声は冷ややかだ。

 当のジネヴラは体のあちこちから出血。 身体の崩壊が始まった。

 

 「い、痛い、痛いよ……παινφθλやだ、止めてよぉ、παινφθλ……」

  

 白かった法衣は血で真っ赤に染まり、固い物が落ちる音。

 袖から腕が落ちた。 

 肩口から抜けたようだ。


 「――かみさま――助けて」


 それが最後だった。

 ジネヴラの体が風船みたいに破裂して周囲に散らばる。

 アス君は無感動にそれを眺め、クリステラは痛まし気に視線を逸らす。


 私自身余りいい気分ではなかった。

 敵ではあったけどまだ年端もいかない娘だったからだ。

  

 「さて、片付いたけどこれからどうしようか?」


 アス君が切り替えるようにそう呟いた。

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