第314話 「追跡」

 失敗した。 何をやっているんだ僕は。

 内心で歯噛み。

 目の前で取り逃がしたアドルフォを追って僕――ハイディは階段を駆け上がる。


 上った先にあった扉を蹴り開けて中へ踏み込むとそこは無人。

 窓だけが開いていた。 飛び降りたか。

 窓枠を掴んで外へ身を乗り出すと、少し離れた所に逃げるアドルフォの背が見えた。


 それを見たと同時に僕も飛び降りる。

 落下しながらこれまでの事を思い出す。

 パトリックから貰った地図と情報は正確で、セバティアールの拠点の大半を網羅していた。


 お陰でアドルフォ――いや、彼女の姿をした誰か、か。

 その居所に当たりをつける事が出来た。

 拠点の分布は王都の全域に広がっており、特定は難しいと思ったけど相手の目的を考えるのなら絞り込みは難しくない。


 僕を狙ったそもそもの目的はローの捕縛だ。

 なら、位置取りもそれに沿った物になる筈。

 そこで考える。 ローが動くとしたらその目的は何だ?


 簡単だ。 この騒動の源である王城。

 どう言う手段を取るのかは想像もつかないけど、本当に居るのなら間違いなく城の近辺に現れる。

 セバティアールも似たような事を考えているのなら、あの近辺に人を集中させて捕らえようとするはずだ。

 

 そうなると重要になって来るのは王城に近い拠点だ。

 ここからはほぼ勘だけど、セバティアールの今回の件に対する執着は強い。 

 わざわざ手間をかけてまで、人質を取ろうとするところがそれを物語っている。


 恐らくローを捕縛する事は彼女達にとって強い意味があるんだ。

 そんな場面で彼女は安全な場所で高みの見物を決め込むだろうか?

 

 ……考え難い。


 少なくとも僕なら最低限、目の届く位置に身を置くだろう。

 そう考えて王城近辺のお忍びで使用している拠点に的を絞り込む。

 更にその中で、彼女が出入りしても不自然じゃないような場所を探す。


 王都の立地はかなりの部分、頭に入っている。

 それを思い出しながら吟味して数か所まで絞り込む。

 決め手は彼女の見た目だ。


 アドルフォの肉体はまだ子供と言って良い年齢で身なりもいい。

 場所によっては酷く目立つ。

 仮に服装を変えたとしても見た目自体を変えられる訳じゃないので、どうあっても浮くのだ。


 それを踏まえると浮かび上がってくる。

 条件に合うのはそう多くないので、遠目で確認して人の出入りで判断すればいい。

 結果、首尾よく見つける事が出来たというのに…。


 彼女の口から決定的な事を聞き出すのに拘った事でこの状況だ。

 中身が違う事はほぼ確定したと言って良い。

 それでも僕はまだ躊躇っているのか?


 覚悟を決めたつもりだったが、足りなかったようだ。

 僕は彼女の背を追いながら自分の不甲斐無さを呪う。

 そもそも対峙した時に足を狙って行動不能にした後に聞き出せばよかったのだ。


 でも間違いだったらという思いが脳裏に過ぎって踏み切れなかった。

 彼女の姿が建物の影に消える。

 それを追って曲がろうとする直前、咄嗟に仰け反った。


 嫌な予感がしたからだ。

 それは正しく、僕の頭があった場所を青い何かが通り過ぎる。

 振り返ると建物に青い矢が突き刺さり、その周囲を凍結させていた。


 いつか使っていた短弓か。

 改めてみると凄まじい威力だ。

 体のどこに当たってもかなりの被害を受けるので、直撃だけは絶対に避けなければならない。


 ……だけど、消耗が激しいと聞いていたから余り乱発はできないはずだ。


 まだ早い時間なので人気はそう多くないが、時間をかけ過ぎると不味い。

 早めに仕留めないと。

 追いかけながら周囲を確認。

 

 手頃な建物があったので左腕の鎖分銅を飛ばす。

 魔力を流して仕掛けを起動。

 分銅の先端に杭のような物が突き出る。


 建物に突き刺さった所で巻き取って体を引っ張って加速。

 空中に身を躍らせた後、分銅を引き抜く。

 建物を蹴って反転。 一気に距離を詰める。


 気付いたアドルフォが咄嗟に弓を持ち上げようとしたが、間に合わないと判断したのか袖口から短剣を抜いて振り返った。

 迎撃するつもりなのか? だったとしても関係ない。


 僕は刺突剣を抜いて落下の勢いを乗せて突きこむ。

 アドルフォは僕の剣を際どい所まで引き寄せてから身を捻って躱す。

 避ける動作に合わせて蹴りが飛んでくる。


 靴のつま先に刃が見えた。 仕込みか。

 以前の彼女からは想像もつかない程、殺しに来ている動きだ。

 だが、高い技量に肉体が追いついていない。

 

 例の選抜からそれなりの時間は経過しているが、当主の仕事をこなしながら鍛錬していたとしてもそう時間が取れていたとは思えない。

 彼女の運動能力は同年代の少女と比べれば高いのだろうけど、今まで戦って来た魔物や盗賊には遠く及ばないので対処はできる。


 蹴りをいなして捕まえ――ずに弾きながら右手に付けている魔法道具を起動。

 相手の魔法発動を阻害する指輪はその力を発揮して蹴りながら僕に向けて放とうとした魔法の出を潰す。

 アドルフォは舌打ちして小さく後ろに跳ぶ。

 

 同時に手に持つ短弓を引いて魔力の矢を形成。

 僕は咄嗟に刺突剣を投げる。

 放たれた矢は空中で刺突剣に命中して凍り付かせた。


 ……強い。 いや、戦い方が巧みだ。 


 身体能力を最大限に引き出している。

 豊富な戦闘経験に裏打ちされた動きだ。

 技量だけなら以前にこの体を使っていた者より上なのかもしれない。


 それに判断も早い。

 彼女は背を向けて離れた位置を走っていた。

 追いかけようとしたが、走るアドルフォとすれ違うように何人かの男達が現れる。


 敵の増援か。 時間をかけ過ぎた。

 僕は新しい刺突剣を抜く。

 急がないと。 祭りが始まればローが間違いなく動く筈だ。


 ……それまでにセバティアールを排除しないと……。


 内心の焦りを押し殺して目の前の敵へと走った。




 敵を部下に任せたアドルフォは近くの拠点へと向かう。

 表面上は平静を装っていたが、内心では苛立っていた。

 部下の配置も済ませ、後は祭りの始まりと獲物が網にかかるのを待つだけだったというのにこんな形で出鼻を挫かれるとは……。


 彼女の中ではハイディという女の優先度はそう高くなかった。

 可能であれば捕らえておきたかったが、取り逃がしてしまった以上は仕方ないと割り切って本命に集中するつもりだったからだ。


 とは言っても放置は下策なので最低限の監視はつけて動向は把握するべく動いてはいた。

 だが、あの女はこちらの襲撃を掻い潜った後、姿を晦ませて杳として消息が知れない。

 アドルフォはハイディの事を重要視はしていなかったが、断じて侮っては居なかった。

 

 それ故に早期確保と言う手段を取らせたのだが、見通しが甘かったと言わざるを得ない。

 本命の確保に集中しすぎて、それ以外を部下に任せきりにしてしまったのは手痛い失敗だった。

 ローを調べる過程でハイディの事も多少は調べていたのだが……。


 確かに肩書は赤の冒険者とご立派な物ではあったが、背後に組織の影などはない優秀なだけの個人という調査結果だけが残った。

 それで取り逃がしたものと諦めたのだ。


 こちらの思惑を感付かれはしたが、こちらの動きまでは調べるのは難しいと判断して。

 だが、あの女はこちらの動きを看破した上で居場所まで掴んで来た。

 動向に当たりを付けるぐらいならそこまで驚かなかったが、こちらの拠点と自分の居場所まで掴んでいるのは予想外だ。


 さっきまで使っていた拠点は表向きはセバティアールとは無関係の建物で、見つけるにしてもたったの数日で発見するには無理がある。

 現れたのも見計らったかのようだ。 どう考えても早い段階でこちらの所在を掴んでいたとしか思えない。


 ――どうにも解せない。


 誰かの入れ知恵?

 アドルフォは考えるが、心当たりはあるが決め手に欠けるので思考を放棄。

 考えるのはこれからの事だ。 出鼻は挫かれたが、作戦自体はまだ破綻していない。


 幸いにも近くに配置した部下がまだ残っている。

 追加を送り込んでハイディを始末してしまおう。

 犠牲が出る事によってこの近辺が手薄になる事は不快だが、不確定要素は早めに排除しておきたい。


 魔石を使用して指示を出しておきたかったが、急な襲撃のお陰でほとんど持ち出せなかった。

 連絡先の連中には足止めを命じてあるので、それ以外の部下に指示を出すには直接出向く必要がある。

 幸いにも近くの拠点はそう遠くない。

 

 角をいくつか曲がり、目的の建物が視界に入る。

 それを見てアドルフォは小さく安堵の息を吐く。

 ここまで来れば安心だ。 ここは王城に最も近い傭兵達の詰所で、頭数だけでなく質もかなり高い。


 ここの連中を嗾ければあの女の始末も容易の筈だ。

 扉を開けて中へ入る。


 「私です! 誰かいませんか?」


 声をかけるが――反応がない? それに灯りがない所為で妙に薄暗い。

 アドルフォは周囲を確認しながら奥へ。

 おかしい。 人の気配がしない。


 「……これは……?」


 思わず声が漏れる。

 奥へ入ると壁のあちこちが破壊されており、明かりがない所為で気付くのが遅れたが天井が破壊されている部分もあった。


 明らかに争った跡だ。

 その上――明らかに血痕と思われる染みがいくつも見られた。

 恐らく掃除をしたが消しきれなかったのだろう。


 どう見てもここで多くの血が流れた証拠だ。

 妙な点はまだある。 血痕の状態だ。

 消そうとした事を差し引いても時間が経ちすぎている。


 明らかに数日が経過しているのが分かった。

 つまり、この拠点は数日前からこの有様だったと言う事になる。

 おかしい。


 襲撃があったのなら何故、自分の耳に入らなかった?

 部下が隠した? 有り得ない。

 この有様は隠し通せる訳がないからだ。 必ずどこかから漏れる。


 露見すれば罰を受けるのは目に見えている。

 隠した事が分かればセバティアールに属する者ならそれがどのような結果を生むのかも同様に分かっている筈だ。


 少なくとも誰かが間違いなく報告を上げる。

 それがなかった。 その上、こちらには問題なしとまで報告していたのだ。

 実際、アドルフォはここに来るまでこの拠点には傭兵共が今日の捕り物に備えて待機していると思い込んでいた。


 ――これは一体……。


 不意に背後に気配。

 弾かれたように振り返り、短弓を構えるとそこにはあちこち負傷したハイディが肩で息をして立っていた。

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