第268話 「擦付」
魔物が悲鳴を上げながら全身を炎に包まれて動かなくなった。
周囲を警戒し、気配がない事を確認した後に運河から距離を取った所で僕――ハイディは小さく息を吐いた。
「……ふぅ。 少し休みましょう! 後衛は周囲を警戒、前衛は息を整えて!」
リリーゼさんの指示で前衛を務めていた聖殿騎士達はその場に座り込んだり建物に寄りかかったりして休息を取る。
あの後、運河沿いに北側へ向けて歩いていたけれど、さっき戦った魔物の襲撃は止まない。
水音と登ってくる動きで先手は取れるけど、魔物が手強く僕達はかなりの疲弊を強いられた。
今のところ、犠牲者は出ていないが、このまま行けば時間の問題なのかもしれない。
あの魔物は動きこそ単調だが、頑丈な外皮の所為で攻撃が中々通らずに仕留めるのに時間がかかってしまう。
聖殿騎士の剣でも回数を重ねないと刃が通らず、武器にそんな無理をさせると寿命が縮む。
実際、前衛を務めた者の剣はあちこちが欠けたり、酷い者は亀裂が入っていた。
やはり武器は効果が薄い。
現状で効果があるのは魔法か、リリーゼさんの武器。
彼女の弓は番えた矢に魔法を付与できる能力を備えており、魔物の外皮を貫けるほどの貫通力と併せて、かなり有効な武具だ。 彼女の存在が死者が出ていない現状を作ったとも言える。
裏を返せば彼女が中核を担っており、失えば一気に瓦解する事は間違いないだろう。
……一体、この魔物はどこから現れたんだ?
少し気が緩んだら、思考に浮かぶのはそんな事だ。
あれだけの数が街に雪崩れ込めば流石に気が付く。
それがないという事はこの魔物達はいきなり現れた事になる。
……それに――。
この闇だ。
完全に月光を遮っているこの闇は視界を奪い、音すら吸収しているようで、距離が離れた場所の音が全くと言っていい程聞こえないのだ。
街が静かすぎるのはその所為だろう。
移動中に住民や抵抗を試みたと思われる冒険者の死体らしき物がいくつも見つかった。
中には死んで間もない者もあり、音が殺されているという事実を認識させられる。
どうやらこの闇は街全体を覆っているようで、川の向こうすら見通せない状態だ。
外部へ救援を要請したけど、最寄りの街からここに辿り着くまで数日はかかるので、期待はできない。
だが、幸いと言うべきか魔石による連絡は可能なようで、教会に残った人達の状況を伝えられるのは朗報と言える。
話によると教会を囲むように松明や魔石による光で、闇は追い払えているようだ。
聖騎士達もしっかりと守りを固めているので今の所は安心と言える。
……でもこの状況――。
細かな差異はあるけど、雰囲気がオールディアの時と似ている。
まさか、またダーザインの仕業?
それにしては構成員の姿が見えない。 それにローを探しに来たこの時期にこの騒ぎだ。
関係を疑うなと言うのは無理がある。
彼が何か関わっている?
できれば見つけておきたいけど、この状況では難しい。
……この移動中に見つけられればいいけど……。
考えている横で息が整ったのか座り込んでいた面々が立ち上がる。
リリーゼさんは険しい表情のまま彼等を眺めていた。
「皆、装備はどう?」
そう言うと前衛の聖殿騎士達の表情が苦くなる。
「恐らくは次で使い物にならなくなるかと……」
一人がそう口にするのを聞いて他も同様に頷く。
リリーゼさんは特に表情を変えない。
「……でしょうね。 これ以上無理をすると犠牲者が出る、か。 分かった。 一度教会に戻って装備の交換と人員の入れ替えを行うわ。 さっき連絡したけど、向こうは冒険者ギルドと協力して住民の保護などを行っているみたい。 あの魔物は目に付いた者に襲いかかりはするけど、建物の中に積極的に入って人を襲う事は少ないそうよ。 救援の要請もしているから焦らずに確実に行きましょう」
彼女の言う事はもっともだ、助けるにしてもまずは自分達が無事じゃないとだめだ。
――お前はどこまで責任が持てる?
以前にローに言われた言葉が甦る。
その時は何も考えてなかったから何も言えなかったけど、今なら言えるよ。
僕は僕の力と責任が及ぶ範囲で助けられる人々を助ける。
周囲の皆が動き出すのに合わせて、僕も後に続く。
一度教会に戻るので行先は街の中央だ。
意見が聞きたいのでそっとリリーゼさんに近づく。
「……どうかした?」
「あの――この状況、どう思いますか?」
「見当もつかないわ。 少なくとも今まで見聞きした事のない魔物に現象…正直、叫んで逃げ出したい気分よ」
「……以前なんですが似たような事件に巻き込まれた事があって――」
「本当? 今はどんな些細な情報でも欲しいからありがたいわ」
僕はオールディアでの事を知っている限り話した。
状況、経緯、そしてダーザインについて。
一通り聞き終えたリリーゼさんは内容を咀嚼しているようで黙っている。
「……ダーザインか。 この辺りじゃ目立った動きを見せていないから余り意識してなかったけど、あの魔物は連中が使役する悪魔と呼ばれる存在? 話を聞く限り怪しい……うーん、でも構成員の姿がないのも妙だ」
……もしかして混乱させてしまったかな?
「うーーーん。 分からん! 後でエイデンと相談!」
「す、すいません。 混乱させたみたいで……」
「ん? 別に構わないよ? それを聞かないとダーザインのだの字も出てこなかっただろうしありがとね」
話している内に悪い視界の中、少し離れた所に灯りが見えて来た。
教会はすぐそこだ。
全容が見えてきた教会は出る前と変わらずにあちこちで煌々と松明や灯りが輝いている。
聖殿騎士達の間に僅かに弛緩した空気が漏れる。
拠点に戻って皆、安心したんだろう。
僕も一息つけると、少しほっとしてしまった。
――それがいけなかったのだろうか?
人影のような物が教会の近くに降り立ったかと思えば、後を追うように強大な何かが建物を破壊しながら現れた。 数は二匹で今まで戦った魔物とは比較にならない巨大さだ。
長い体躯に黒い輪郭しか分からない姿。
完全に運河を泳いでいる魔物の同類だ。
魔物は追っていた人影を見失ったのか頭が彷徨うように動くが即座に教会を睨め付けるとそちらに突っ込んでいく。 完全に標的が切り替わった。
「……擦り付けられた!? 誰よ今の奴は!?」
リリーゼさんが苛立たし気に吐き捨てると駆け出す。
もう休むなんて言っている場合じゃない、他の聖殿騎士に続く。
魔物は両方とも敷地内に入り教会に衝突。
衝撃で建物の一部が崩れ落ちる。
「この! こっち見なさい!」
リリーゼさんが叫びながら魔力付与により真っ赤に燃え盛る矢を三本同時に放つ。
狙いは甘いけど相手が大きいので外しようがない。
二匹の魔物にそれぞれ、突き刺さり体内を焼く。
魔物達の意識がこちらに向いた。
「前衛、孤児院だけは死守! 注意を引きなさい!」
指示に応えるのは応と言う叫びだった。
当然ながら残っていた聖騎士達も各々武器を手に魔物に立ち向かう。
中にはエイデンさんも混ざっていた。
「姉さん!」
こちらに気が付いたエイデンさんが両手に剣を持って駆け寄って来る。
「エイデン! 話は後、今はこいつ等を何とかするよ!」
「分かった! 中央を巡回している聖殿騎士達にも連絡したからすぐにでも駆けつけてくれると思う」
「前衛の指揮をお願い。 あたしは援護に集中したい」
二人は手短に打ち合わせると頷いて散る。
リリーゼさんは半壊した教会の上へエイデンさんは魔物へと向けてそれぞれ駆け出す。
僕も前衛に協力すべく、エイデンさんの後を追う。
後衛を務めている聖殿騎士達の魔法が複数飛び、次々と魔物の表皮に着弾。
大きすぎるので効いてはいるけど効果が薄い。
「予備の武器を用意した! 教会の入り口近くに纏めてある! 必要な物は交換を!」
一部が教会へ走り残りがその場で踏ん張る。
魔物が地面を擦りながら大きく口を開いて聖騎士達へと突っ込む。
僕は咄嗟に割り込んで魔石に亀裂を入れて投擲。
砕けた魔石が閃光を放ち、魔物の目を眩ませる。
効果はあったようで、標的を見失い狙いを外す。
僕は動きを止めず左腕に仕込んだ鎖分銅を射出。
先端に仕込んだ杭が魔物に突き刺さる。
しっかり固定した事を確認して巻き戻し。
僕の体が引っ張られて魔物の体に取り付く。
腰に差した
突き刺したスティレットは一番強力な麻痺毒が塗られたものだが、効果は期待しない方がいい。
何度も抜き差しを繰り返し、魔物が僕を払い落とそうとした所で分銅を外して飛び降りる。
魔物が僕の背を狙うが目の辺りにリリーゼさんの矢が突き刺さり燃え上がった。
……よし。 手強いけど行ける。
戦っている内に確かな手応えを感じる。
片方は僕と聖殿騎士達が、残りはエイデンさんと聖騎士達がそれぞれ抑えており、要所でリリーゼさんの援護が入る。
気を抜けば死ぬような恐ろしい相手だけど、このまま少しずつ削って行けば勝――。
「ちょっと――冗談でしょ……、皆! 注意を――」
リリーゼさんの声と同時に魔物がもう一匹入って来た。
「くそっ! 冗談じゃないぞ!」
不味い。
全戦力で二匹を何とか抑えられていたのに追加が来られたら処理しきれない。
「た、助けてくれぇ~~!」
声が聞えたので注視すると魔物の前を人が走っているのが見えた。
小太りの男性で、走りながら魔物に魔法らしき物を撃ち込み続けている。
男性の攻撃はあまり効果がないらしく魔物の勢いは止まらない。
「た、助かった! 頼む、手を貸してくれんか。 あれは私一人では手に負えん」
駆け寄って来た男性にエイデンさんが一瞬、嫌な顔をしたが、思い直したのか指示を飛ばす。
「三匹目は最少の人数で抑える。 その間にどちらかだけでも何とか仕留めるぞ!」
聖騎士達は絶望的な顔をしていたが、嘆いても仕方ないと思い直したのか悲壮な面持ちで魔物へと向かって行く。
僕も覚悟を決めて武器を強く握りしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます