第231話 「欺瞞」

 ふうふうと息を切らせて俺――エルマンは一人でゆるい傾斜を駆け下り、適当な所で足を止める。

 現在地は麓の近く、少し行けば柵が見えて来るはずだ。

 ついさっきまで行動を共にしていたサリサは居ない。


 彼女はクリステラの身代わりになって敵を引き付けているからだ。

 追手が迫ってきた速度を考えると、サリサはまず逃げ切れないだろう。

 そして追いつかれた後、どうなるかは想像するまでもない。


 若い娘を囮にして逃げる。

 我ながら最低の大人だなと自嘲。

 自己嫌悪で死にたくなるが、そうも言ってられない。


 山から出るに当たって、ここが最後の関門だ。

 門を通るのは危険な以上、山を囲んでいる柵を乗り越える必要がある。

 連中はわざわざここを封鎖して外に騒ぎが漏れないようにしている所を見ると、街中では派手に動けない筈だ。


 つまり街にさえ入ってしまえば逃げ切れる可能性はぐっと上がる。

 宿に身を隠して朝を待ってもいいし、そのまま街を出てもいい。

 一応、出る為の手は考えており、準備もした。 果たして上手くいくかどうか……。


 背後から気配。 隠してはいるが――甘い。

 気配や音は消しているが、雨が降っている所為で隠しきれていない。

 地面はぬかるんでおり、捕捉する為に速度を上げる必要がある以上、完全な隠形は無理だ。


 地面を踏みしめる足音、体に触れる木々の枝、様々な物が追跡者の存在を俺に伝える。

 その情報の中には速さや距離も含む。


 ……もっとも、想定していないと気付くのは難しいがな。


 だが、相手は分かった。

 感じからしてマルスラン。 しかも単騎だ。

 まだ俺にもツキは残っているらしい。


 見た限り、追手の中で一番格下だ。 恐らく手分けして探しているのだろう。

 合流される前に山を下りれば問題はない。

 それに奴の性格上、手柄をみすみす他へ譲るとは思えない。 必ず一人で俺達を始末しようとするはずだ。

 

 俺はゆっくりと紫煙の短槍を構える。

 鎧の効果を使って逃げてもいいが、人間一人を背負ったままでは気配を誤魔化せない。

 他と違う気配は直ぐに看破されるだろう。


 結局、ここで踏ん張る事が最善と言う訳だ。

 木々の奥で緑色の光が瞬いたと同時に緑色の炎を纏った全身鎧――マルスランが槍を片手に飛びかかって来た。


 俺は後ろに跳んで躱し、短槍を構えつつ腰を落とす。


 「おや? エルマン聖堂騎士、お一人ですか? 良ければあの女の居場所を教えて頂ければ嬉しいのですが?」

 

 その口調は以前のマルスランのままだが、言葉の端々には嘲りの色が見える。

 これは変化したと言うよりは本性を隠さなくなったと言った所か。

 元々、ガキ臭かったが取り繕わなくなった分、以前より酷いな。


 ……子守やる程、暇じゃないんだがなぁ。


 「あのお嬢さんは足が速くてな。 俺を置いてさっさと先に逃げちまったよ」

 「ふん、嘘は止めて頂きましょうか? あの方と戦って無事に済む訳がないでしょう?」


 あの方?

 恐らくクリステラと戦っていた化け物の事だろう。

 そう呼ぶって事はあいつがこの件の黒幕――いや、この連中の指揮を執っていた奴って事か?


 ……少し探りを入れてみるか。


 「あの方ねぇ……。 それはお前がご執心のファティマって女か?」

 「何の話ですか? 確かにファティマ様は美しい方ですが、何の関係もありませんよ。 あの方は僕の浅薄な考えを吹き飛ばし、真なる道を示して下さった恩人。 そして我が剣を捧げたお方なのですよ」


 ……馬鹿かこいつは。


 惚けているつもりだろうが、様を付けている時点であの女が自分より目上と言っているような物だぞ。

 確定と言い切れないが、オラトリアムがこの件に絡んでいる可能性は濃厚だ。

 それが分かっただけでも収穫だろう。 後はこいつを撒くだけか。

 

 「つまらない話は終わりにしましょう。 僕は忙しい。 失態を帳消しにする為に貴方を始末してクリステラを殺さなければなりませんからね」


 姿は変わったが中身は相変わらずか。

 分かり易いお坊ちゃんだ。

 俺は内心でそれをおくびにも出さず、余裕を見せる為にへらへらと笑ってやった。


 「あぁそうかい。 だが、俺も聖堂騎士の端くれだ。 簡単に殺れると思うなよ?」

 

 俺の態度が気に入らなかったのかマルスランの雰囲気に苛立ちが混ざる。


 「貴方のその態度、昔から気に入らなかった。 繰り上がりで聖堂騎士に上がれただけの癖に僕に対しての無礼、看過できませんね」


 知ってるよ。 そもそもあれで隠しているつもりだったのか? 笑わせるぜ。

 

 「能書きはいいからかかって来いよ。 裏切り者のお坊ちゃん?」


 こっちも時間をかけてられん。 さっさと始める為に軽く煽ってやると馬鹿はあっさりと挑発に乗った。

 全身の亀裂から緑色の炎が噴き出し、槍を構えて一気に踏み込んでくる。

 それを見て俺が思った事はやはり、だ。 

 

 遠距離での攻撃が得意な癖にわざわざ接近戦を仕掛けてくる理由。

 手柄を独り占めするつもりだからだろう。 この状況、立場が逆なら俺は仲間を呼ぶがね。

 その辺の状況判断が出来ないのを見ると、所詮はケツの青いガキかと思う。


 反面、戦力の分析は怠らずにしっかりと見据えて動く。

 まともに戦り合う事の危険性もまた理解している。 


 持っている槍も炎を纏っているので鍔迫り合いは論外、弾くのも危険だ。

 俺は木々を縫うように走りながら手に持った短槍を回転させる。

 槍は俺の魔力を喰らって煙を生成。 周囲にまき散らす。


 走りながらも視線はマルスランから切らない。

 煙が奴の炎に触れると溶けるようにお互いが消える。

 よし、炎は煙で相殺できるな。


 これで炎に関してはどうにかなるか。

 まぁ、魔法を封じた訳じゃないから油断は禁物だがな。 

 俺はマルスランの事をガキだと思って軽く見ている点は否定しない。


 だが、戦闘力に関しては疑っていない。

 精神的に未熟だろうが、奴は聖堂騎士の肩書を得た事実には変わりないからだ。

 その一点のみは評価しているので、油断は勿論、舐めてかかると言う事はあり得ない。


 俺はなるべく木々の隙間に身を滑らせるようにして移動する。

 マルスランも俺の歩いた所を正確に踏んで追いかけ、間合いに入ったと同時に突きの連撃。

 木々が邪魔をするので薙ぎは使えないから攻撃はどうしても突きになる。


 動きを観察して内心で厄介なと警戒を一段上げた。

 頭に血が上っている物と思ったが、マルスランは比較的冷静だ。

 俺の通った場所を正確に踏んで追いかけてきているのは、罠を警戒しての事だろう。


 加えて、体から噴き出している炎も勢いが弱い。

 恐らくは威力を絞っている。 煙に掻き消されるのが分かっているからだ。

 更に観察を続ける。


 全身の鎧は重さを感じさせないのか動きは軽い。

 あの鎧がどうなっているのか大いに気にはなるが、今考える事じゃない。

 最後に槍だ。 恐らくは鎧と同質の物なのだろう、鎧から噴き出す炎を貪欲に吸収して穂先から攻撃の動きに合わせて炎が漏れる。


 ……あれは刺されたら終わるな。


 胴体に刺されたら十中八九、内側から丸焼きにされて即死だ。

 手足でも喰らった個所は使い物にならなくなる。

 

 「どうしました? さっきは随分と得意げでしたが、反撃しないのですか?」


 マルスランは小馬鹿にしたような口調で煽りながら次々と槍を突きこんでくる。

 俺は特に相手をせずに手元で槍を回し続け、煙を止めない。

 槍の穂先が鎧を掠めて、一部を融解させる。


 それに内心でひやりとした物を感じ、背中からは冷たい汗が流れて気持ち悪い。

 反面、マルスランから発する熱の所為で、肌がちりちりと焼ける。

 熱を吸い込んだ肺は微かな痛みを訴え、息もし辛い。


 俺は焦りを押し潰して、煙を吐き出し続ける。

 もう少し、もう少しだ。

 煙が辺りに充満していく、雨は降っているが、風が少なくて本当に良かった。


 ……よし。


 充分に煙を吐き出した俺は回転を止める。

 周囲は完全に煙に満たされ、視界が効き辛くなった。

 同時に鎧に魔力を送り込んで、気配を増やす。


 煙の所為で持続時間は大きく落ちるが、ほんの少し誤魔化せるだけで充分。

 俺は透明化して走り抜ける。

 これで奴は俺を見失った筈だ。


 ――後は――。


 「あなたの考えそうな事なんてお見通しですよ」


 同時にマルスランの全身から爆発と見紛うばかりの炎が噴き出し、煙を吹き飛ばす。

 炎の大半は煙を道連れに消滅したが、残った一部が周囲を焼く。

 緑色の熱が俺に襲いかかるが、咄嗟に背を向けて身体の前を庇う。


 背と後頭部を激痛が襲う。

 悲鳴を上げそうになったが、必死に歯を食いしばって耐える。   

 そんな事より問題は煙が全て消された事だ。 いけるか?


 「そこですか!」


 マルスランの槍の穂先から束ねたような緑色の閃光が飛ぶ。

 それは樹上の俺の胴体を貫通して空に消えていく。


 「僕があなたの武具の能力を考慮しない訳はないでしょう? 大方、煙で身を隠して気配を散らせての撤退。 こそこそ逃げるしか能のない腰抜けの考えそうな事ですね」


 どさりと落ちる。

 上手い手だ。 炎で煙を散らすと同時に俺の位置の炙り出しか。

 だが足りない・・・・


 「……なっ!?」


 マルスランの驚く声。 だろうな、仕留めたと思ったら偽物だったんだから。

 奴がぶち抜いたのは木を束ねて作った人形だ。

 苦労したんだぜ? 移動しながら拵えるのは。


 正直、賭けだったんだが何とか勝てた。

 マルスランがこっちの手をある程度読んでくるのは想定内だ。

 その更に裏をかく事が必要だった。

 

 相手の位置から柵の手前で追いつかれるのは目に見えていたから、ここで煙に巻く必要があった。

 その為の一つがさっきの木で作った囮だ。

 特別な事はしていない。 単純に気配を被せただけのチンケな手品だ。


 ただ、しっかりと存在があるので奴は俺と誤認した。

 誤魔化されてくれるかは賭けだったが、何とかなったな。

 これで稼げる時間はわずかだが、充分だ。

 

 マルスランは俺がどう動くかは当然、想像がつくだろう。

 

 「エルマァァァン!」


 ほら来た。 だが遅い。 他の気配に惑わされたな。

 俺が今いる場所は柵の上だ。

 結構な高さだから魔法で身体能力を強化しても少し手こずる。


 一人なら問題なく登れる。 そう、一人なら。

 ここで俺が打ったもう一つの手札を開く。

 腕輪に魔力を通す。 長年愛用している腕輪は俺の視界内にある槍を手元に引き寄せる。


 括り付けたクリステラごと。

 

 「なっ!?」


 腕に感じる重みを確認して内心上手く行ったと、ほっと息を吐く。

 俺の槍は腕輪と対になっており、視界内にある槍を手元に引き寄せる。


 何故、視界に入れないといけないのか。


 その理由は槍と接触している物を一緒に引き寄せるかを選択する必要があるからだ。

 接触している物の大きさや重さで持って行かれる魔力が増加するが、気にしていられない。

 その為に事前に視界に入る位置に槍を括り付けたクリステラを隠しておいた。


 俺が欲しかったのは確実かつ安全・・・・・・に柵を登り切るまでの時間。

 それさえ稼げれば良かった。 ここまで来れば後は街中を行けばいいから逃げ切れる。

 俺はクリステラを抱えて飛び降りようと――。


 「"赤翼"」

 

 俺の意識の隙間に滑り込むように聞こえたそれに反応できたのは奇跡だろう。

 咄嗟に背を向けてクリステラを庇う。

 背に熱い衝撃。 斬られたと認識した瞬間には俺は柵から身を躍らせた。

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