第229話 「覚悟」

 身体が重い。 息が切れる。

 加えて腹からはジクジクとした痛みと出血。

 浅く呼吸を繰り返しながらも足は緩めない。


 俺――エルマンは意識を失ったクリステラの重みを感じながらも、早く起きろと念じつつ走る。

 その間にも頭は何処へ逃げるかを冷静に考えていた。

 真っ直ぐ門へ行くのは論外だ。


 連中は無秩序の軍勢じゃない。 しっかりと統制の取れた組織だ。

 まず押さえられていると見て間違いはないだろう。

 腰を落ち着けるのなら山道の途中にある店舗に入るか?

 

 ダメだ。 目立ちすぎる。

 そうなると取れる選択肢は限られるか――。

 

 「こっちへ!」


 不意に木陰から声が響く。

 そちらに視線を向けると軽鎧を身に着けた女――クリステラの部下が木陰から手招きしていた。

 隣を良く歩いていたので印象に残っていた。 何故こんな所にと言う疑問はこの際棚上げだ。


 俺は小さく頷いてそちらに向かう。

 部下の――名前が思い出せないが、その娘の背を追って走る。

 娘は一際大きい木の洞に飛び込む。


 俺も続いて飛び込むと足元から感触が消失。

 落ちる!? 落下したと思った瞬間、全身が柔らかい何かに受け止められる。

 

 「お待ちください、偽装をかけます」

 

 娘は壁に打ち込んである杭のような物に触れると、周囲が明るくなる。

 周囲を確認すると、ここは木の洞の下に掘られた縦穴のようだ。

 穴は奥へと続いており、そこには小さな部屋があった。


 「こちらへ」


 娘に促され、奥の部屋へ入る。

 そこは簡素な机と椅子、寝台があるちょっとした休憩所と言った風情だ。

 寝台にクリステラを横たえた俺はその場に腰を下ろす。


 そのまま壁に寄りかかり、傷口に手を押し当てて<治療>を使用。

 攻撃に使われた魔法が氷だったのが幸いして、出血が少なかった。

 傷がゆっくりと塞がるが、時間がかかるな。


 俺は気力で息を整えて娘の方へ顔を向ける。

 

 「まずは礼を言うぜ、助かったよお嬢ちゃん。 確かクリステラ嬢ちゃんの部下で――」

 「サリサ・エデ・ノエリアと申します。 現在は聖騎士見習いとしてクリステラ様の身の回りのお世話をさせて頂いております」


 娘――サリサは小さく頭を下げる。

 

 「ここは?」

 「はい、以前に用意しておきました――その、ちょっとした隠れ家です。 ここなら外に灯りも音も漏れる事はありません」


 ははぁ。 所謂サボり場だな。

 内心で苦笑。 このお嬢ちゃんお利口さんに見えて中々やるじゃないか。

 俺の表情で察したのかサリサはバツが悪いと言った顔を見せた後、思い直したのか引き締める。


 「私は騒動が始まった頃、外に使いに出ていたのですが、帰り道に下から上がってくる気配に気が付き、咄嗟に隠れてやり過ごしました」


 その後、戦闘の音が聞こえたので、どう動くべきか迷いつつも身を隠しながら上を目指していた所でクリステラを抱えた俺と出くわしたと言う訳らしい。

 いい判断だ。 俺は内心で彼女が迂闊な性格ではなかった事を感謝した。

 

 「……そんな訳で、状況が呑み込めていないのですが、一体何が起こっているのですか?」

 「いきなりだったからな。 俺の方も事情を完全に把握している訳じゃないが……恐らくダーザインの襲撃だ」


 恐らくと付けたのはオラトリアムが背後にいる可能性を捨てきれていないからだ。

 そうだった場合、マルスランの件が原因だろう。

 あの馬鹿は一体何をやらかしたんだ? 挙句、寝返って現れやがって、絶対にタダじゃ済まさないぞ。


 「ダーザイン!? 通り過ぎる際に影だけ見ましたが、魔物の群れだと思っていました」

 

 あぁ、あの連中を見ればそう思っても仕方がないか。

 敵の大半は人外だ。 傍から見れば魔物の群れだろう。

 

 「あぁ、そう思うのも無理はないだろうが……」


 俺は今までの出来事を掻い摘んで話した。

 不意の襲撃、空からの奇襲、見た限りの敵の特徴と能力。

 そして今に至るまでの経緯。 ただ、マルスランの事だけは伏せた。


 流石に聖堂騎士の裏切は話せない。


 「……そんな訳で俺はクリステラの嬢ちゃんを担いで、ここまで逃げて来たって訳だ」

 

 サリサは俺の話を黙って最後まで聞いていた。

 

 「……お話は分かりました。 エルマン様、これからどうするおつもりですか?」

 「今の所、何とも言えんな。 出来ればクリステラの嬢ちゃんの意識が戻るのを待ちたい所だが……」


 寝台で横になっているクリステラは見た所、大した傷はないようだが顔色は悪い。

 

 「少し診ましたが目立った傷はなかったので、時間を置けば目を覚ますと思います」

 

 ……傷がない、か。


 寝台の傍らに置かれているクリステラの鎧を見る。

 損傷が酷く、一部は完全に炭化している部分すらあった。

 にも拘らず本人は無傷。


 一瞬だけ見たあの光と関係があるのか?

 分からんが、相当消耗しているのは確かだ。

 そう考えるとクリステラを当てにするのは止めておいた方がいいな。


 俺は小さく息を吐く。

 傷は塞がったが、疲労が抜けた訳じゃない。

 それに魔力をがっつり持って行かれたので、軽く眩暈がする。


 ……あぁ畜生、眠っちまいたい。


 俺は懐から通信用の魔石を取り出すと、サリサに断りを入れてから魔力を込める。

 相手はスタニスラスだ。

 

 ――……う、私だ。


 少し待つとスタニスラスが応答したが、その声は苦し気だ。


 「無事だったか。 状況はどうなっている?」


 本来なら小声でも問題ないが、サリサに配慮して声を大きくする。

 

 ――クリステラはどうなった? 悪いが早くこちらに寄越してくれないか?


 スタニスラスは答えずにそんな事を言って来るが、俺は黙って首を振る。

 

 「無理だ。 敵との交戦でぶっ倒れた。 死んじゃいないがしばらくは動かせない」


 ――何!? 大丈夫なのか?


 「意識はないが、命に別状はない。 それよりそっちの状況は?」


 この様子じゃ使うと言っていた切り札は効果を発揮しなかったようだな。

 これは逃げた方が良いんじゃないかという気がしてきたぞ。


 ――芳しくない。


 「正直に言えよ。 押されてるって」


 ――……。


 沈黙。 スタニスラスの苦し気な呼吸だけが微かに伝わってくる。

 

 「さっき言ってた切り札。 効果を発揮しなかったんだろう?」


 ――あぁ、それ所か味方に被害が出る始末だ。 あんな物だと知って居れば使わなかった物を……。 彼等には済まない事をしてしまった。


 「……何をやった?」


 ――……下級の天使召喚だ。


 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。

 脳裏にスタニスラスの言った言葉の意味が広がり、理解が追いつく。


 「馬鹿かお前は。 呼び出す連中が違うだけで、ダーザインの悪魔召喚と変わらんだろうが!」


 ……しかも口振りから察するに、純粋な召喚じゃなくて受肉を伴った外法じゃねぇか。


 天使召喚。

 ダーザインの悪魔召喚と同系統の技術で、天使というグノーシスで信仰されている存在に仕えているとされている者を呼び出す。

 

 随分昔に研究されていたが、出て来たのは理性もクソもない化け物だったって話だ。

 制御方法は確立されておらずに呼んだら最後、見境なく襲いかかるらしい。

 お陰で、早々にこの技術は廃止された――筈だったのだが、どうやらそうでもなかったようだ。


 召喚方法は二種存在し、片方は単純にどこぞから天使を呼び出す方法。

 そしてもう一つが、問題の外法だ。

 人間に天使を憑依させて、力だけを手に入れると言う方法とされているが…。


 前者は単純に制御できず、後者は憑依した人間が発狂して暴れまわると、使い物にならない欠陥だらけの技術だ。

 大方、ダーザインの技術を裏で研究して用意したんだろうが、全然ダメじゃねえか!


 スタニスラスも危険性には薄々感づいては居たが、状況を打破する為に賭けに出たのだろう。

 

 ……で見事に自爆したと。


 ――部下を下げて籠城しつつ天使を前面に押し出して戦うつもりだったのだが……それが頓挫した以上は、どうにもならん。 ここは落ちる。

 

 まぁ、見事に奇襲喰らった上に、あんな化け物がごろごろしているんだ。

 戦力も数割が外だ。 呼び戻そうにも、連絡用の魔石は麓の小屋だ。 これはどうにもならんか。

 敵は敵でこっちの戦力を完全に把握した上で仕掛けてるんだ。


 ……奇襲を許した時点で詰んでるって事かよ。

 

 「……分かった。 クリステラが動けん以上、俺達はここで身を隠して様子を見る。 朝を待って逃げるつもりだ。 構わねぇな?」


 ――あぁ、こちらはこちらで何とかする。


 スタニスラスの声が弱々しいのは天使を呼ぶ儀式か何かで消耗したからだろう。

 

 「死ぬ気か?」


 ――……これでも聖堂騎士だ。 ただでは死なんよ。 他を逃がす時間も稼ぐ必要もあるし、精々派手に散ってやるさ。


 その言葉には迷いがなかった。

 もう、完全に死ぬ事を受け入れて、覚悟を決めている声だ。


 俺は目を閉じる。

 スタニスラスも俺も聖堂騎士の中ではかなりの古参だ。

 その分、付き合いも長い。 気も合う奴だし、腹を割って話せる数少ない友人でもある。


 「別に他を見捨てて逃げてもいいと思うがな」


 ――そうしたいのは山々だが、立場がそれを許してくれんのだ。 ……まったく、何で聖堂騎士になんてなってしまったんだか……。


 「同感だ」

 

 俺とスタニスラスは同時に笑う。

 少しの間、笑い続けてどちらともなくそれを止める。


 「……そうか。 今まで世話になったな友よ」


 少しの沈黙の後に口を開いたのは俺だった。


 ――あぁ、色々あったが、私の方こそお前とやれて楽しかった。


 「じゃあな戦友」


 ――さらばだ戦友。


 最後の会話を終える。

 横で話を聞いていたサリサは何と言っていいか迷う表情だったが、俺は気にしなさんなと肩を竦める。


 「聞いていた通りだ。 様子を見て逃げるぞ」

 「……分かりまし――」


 言いかけて小さく目を伏せる。

 俺は彼女の視線を追うと壁に備え付けられた照明用の魔石の一部が点滅していた。


 「誰かが近づいています。 恐らくは追手でしょう」

 

 くそ、休ませてもくれないってのかよ。

 

 「気付かれているって考えた方がいいな」

 「ええ。 私もそう思います」


 逃げ切るのは厳しいか。

 自分達だけならどうにでもなるが、動けないクリステラを抱えてだと確実に捕捉される。

 いっそ俺が注意を引いて、クリステラをここに残すか。

 

 俺が時間を稼げればそれだけ二人が逃げ切れる可能性が上がるが――。


 ……まぁ、ほぼ確実に俺は死ぬだろうなぁ……。


 選択の余地がない以上、やるしかない。

 俺も覚悟の決め時かね。

 

 「……嬢ちゃ――」

 「私に考えがあります」

 

 俺が口を開きかけた所にサリサが被せるようにそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る