第211話 「調査」

 日が落ちて夜の帳が下りる。

 僕は周囲が充分に暗くなった所でゆっくりと身を起こし、木陰から出た。

 油断なく視線を飛ばして警戒。


 巡回の兵士は居るがこちらに気が付いていない。

 よし、行こう。

 ここの地形は大雑把だが頭に入っている。


 壁の向こう――こちら側は平らな土地が広がっており、門から見て正面に川を挟んで領主の屋敷。

 地図の上ではその向こうに荒野が広がっているはずだが、巨大な木が視界を塞ぐように立ち並んでおり、ここからでは見通す事が出来ない。


 少なくとも畑の類は見当たらないので、例の作物はあの木々の向こうだろう。

 現状で分かり易く怪しい所は二ヵ所。 屋敷の中と木々の向こうにあるであろう畑だ。

 まずはどちらから確認すべきか。


 比較的、安全に調べられるのは畑だろう。 屋敷は危険すぎる。

 まずは畑を調べて怪しい物がないかの確認だ。 魔物が巣を張る種類だった場合なにかしらある筈。

 他に怪しい建物でもあれば言う事なしだが、そんな露骨な物があるのだろうか?


 無能領主が魔物を囲い、様々な恩恵を得ている。 そう考えると充分にあり得る。

 外界と完全に隔絶されたここは何をしても人目に触れない。 

 そしてそれを隠す為にファティマは矢面に立って居るに違いない筈だ。


 ……よし、畑を先に確認しよう。


 行先を決めた僕は<陽炎>を維持したままそっと移動を開始する。

 この手の隠密行動はエルマン程じゃないが、得意分野だ。

 魔法と併用すればこれぐらいの芸当は難しくない。

 

 屋敷を迂回し林の中に入る。

 足元は軽く均されており、歩く分には問題なく、空気は緑の気配を多量に含んでいる。


 少し進んだ所で足を止めた。

 ぞくりとした嫌な物を感じ、僕は咄嗟に戦闘態勢を取る。

 

 ……見られている?


 僕は<陽炎>を解除して武器を構える。

 聖堂騎士になってから僕に与えられた僕だけの武器。

 長い柄の上半分は純銀で、そこに高価な魔石が複数埋まっており、木々の隙間から差し込む月光を受けて仄かに輝く。


 まだらの杖槍。

 名の通り杖と槍の特性を併せ持つ多機能の武具で、見た目こそ槍だが魔法の構成補助と威力の強化を同時に担ってくれる優秀な武器だ。


 そして僕が身に着けている黄金色の全身鎧が収穫の軽鎧。

 魔力を貯蓄する事が出来、魔法発動の際に消耗を肩代わりしてくれる便利な防具だ。

 敵の魔法をある程度だが防ぐ特性を備え、加えて軽くて頑丈。 どちらも目の飛び出るような高価な素材を惜しげもなく使った一級品。

 

 僕はこれ等を手に入れてから負け知らずだ。

 どんな敵が現れようとも僕は負けない。

 呼吸は整っており、気負いもなく、気持ちは落ち着いている。


 両手で杖槍を構えて身を沈め、感覚を研ぎ澄まし、魔法で身体能力を上げる。

 

 ……さぁ、何処からでも来い。 


 瞬間、木の上に赤い光が複数灯る。

 同時に強烈な眠気、何だと思ったが疑問は直ぐに氷解した。

 暗くて分かり難かったが、粉のような物が風に乗って流れ込んできている。

 

 気づけば対処は容易い。

 魔法で風の障壁を展開。 範囲は最小限で自分の身に纏うように展開。

 謎の粉は風に飛ばされ効果を失い、同時に眠気も去る。


 僕はお返しとばかりに<風刃Ⅲ>を放つ。

 本来なら火系統であぶり出したい所だが、目立つのは避けたい。

 不可視の刃は狙いを過たずに謎の光を切り裂く。


 手応えはあった。 形容しがたい悲鳴と血が噴き出す音がして、重たい物が地面に落ちる音が響く。

 空気が震える。 周囲の雰囲気が変わった事を肌で感じた。

 恐らくこれは怒り。 敵が本気になったと言う事だろう。

 

 光が一瞬、強くなる。 危険を感じ斜め後ろに跳ぶ。

 体が何かに縛られるような錯覚に襲われたが、鎧が薄く光り違和感が消える。

 鎧が何かしらの魔法攻撃を防いだ証だ。


 ……何かしらの拘束系魔法?

  

 分析は後だ。 僕はお返しとばかりに<風刃>で返礼。

 微かな苦痛の悲鳴と血がしぶく音。 命中したが浅い。 動きを止めるのは悪手だ。

 僕は走って間合いを詰める。


 敵は身を隠そうと逃げる素振を見せたが、負傷の所為か動きが遅い。

 杖槍を一閃。 樹上に逃げようとした敵の背を切り裂く。

 斬られた敵は血を流して崩れ落ちる。

 

 倒した敵を確認する事なく、咄嗟に杖槍を片手で回す。

 一拍遅れて槍から硬質な音が複数響く。 何か飛ばしてきたのは気配で分かったからだ。

 弾いたと思ったが、手応えがおかしい。

 

 内心で僅かに眉を顰めると、槍が何か糸のような物を絡め取っていた。

 隙を作るのは命取りだ。 確認せずに槍を一気に引く。

 何かが樹上から引き摺り落とされる。

 

 位置が分かれば仕留めるのは簡単だ。

 <地隆Ⅲ>地面が針状に隆起し、影を貫く。

 串刺しにされた影は悲鳴を上げる間もなく、全身を穴だらけにされて動かなくなった。


 武器を構えて油断なく周囲を探る。


 ……気配は――なし。


 何とか撃退できたか。

 正直、危なかった。

 鎧と武器に救われた形になってしまったが、勝利は勝利だ。

 

 「何だったんだ?」


 倒した敵にゆっくりと慎重に近づく。

 形は人型、背丈は小さい。

 一瞬、ゴブリンかとも思ったが、背に生えている巨大な羽のような物がそれを否定する。


 ……こいつ等は一体?


 新種の魔物? 聞いていた話と特徴が一致しない。

 なら――。

 

 「っ!?」


 咄嗟に身を逸らすと一瞬前まで僕の頭があった場所を何かが通り過ぎる。

 それは妙に澄んだ音を立てて木に突き刺さった。

 ちらりと目だけを動かして飛んで来た物を一瞥、手斧のような物が木に食い込んでいるのが視界の端に移る。


 飛んで来た方からは体格のいい人影が複数見えた。

 数は五。 月光を背負っているので、格好は見えない。

 警備の兵かと思ったのは一瞬で、僕の頭はその可能性を即座に否定する。


 人間の目はあんなに爛々と輝かない。 加えて、形が人間とは若干異なる。

 そして風に乗って鼻を突く獣の臭い。

 五感の感じる全てが奴等は人間ではないと訴えている。


 それに――。


 刺すような殺気と憤怒が影から湧き上がっている。

 真ん中の一番体格のいい影が獣のような叫び――いや咆哮を上げた。

 それが合図だったようで残りの四つの影が風のような速度で、木々を縫って肉薄。


 僕は瞬時に不利を悟った。 奴らの動きは明らかにこの障害物の多い林での行動に慣れている。

 小さく舌打ちした後、踵を返して走った。

 目標は林の出口。 領の北側だ。


 開けた場所でなら魔法が活かせる。

 そこで仕切り直す。 影の動きは早かったが距離があった分、僕が林を抜ける方が先だ。

 飛び出すように林を抜けると開けた場所に出る。


 同時に鼻腔をくすぐる甘い匂い。

 来る前に食べたプミラの匂いに似ている。

 

 「これは……」


 地図上では荒野だった場所が一面、広大な畑となっていた。

 なるほど、これだけあればいくらでも出荷できるだろう。

 だが、管理は――。 疑問が頭を掠めたが今はそんな事を考えている場合じゃない。


 杖槍を構えて背後の敵に備える。

 少し遅れて影たちが林から飛び出す。

 月光に照らされたそれは異様な姿だった。


 動きを阻害しない軽鎧。

 腰には手斧が数挺ぶら下がっており、各々手には大振りな剣や槍、戦斧等を装備していた。

 どれも一目で分かる程、上等な代物で手入れも行き届いており、綺麗に磨かれた刃が月光を反射して妖しく輝く。

 

 それだけならば傭兵や冒険者の類かと思うが、問題なのはその肉体だ。

 剥き出しの部分は全て黒っぽい毛で覆われており、何より異様なのはその頭で、人間の物ではなく獣の物なのだ。


 最も形状が近い物はルプスという群れで襲って来る四つ足歩行の魔物なのだが、目の前の連中はどう見ても違う。

 完全に人間の様に二足歩行しており、装備で身を包んでいる。

 そして自然な動きで僕を半円状に取り囲んでおり、明らかに連携を前提とした動きだ。

 

 ゴブリン等、亜人種と呼ばれる魔物は武具を装備する例は確認されているが、奴らは見様見真似で扱うので脅威度としてはやや上がる程度なのだが、目の前の連中は違う。

 動きや佇まいから明らかに訓練を積んだとしか思えない隙の無い構え。


 加えてその視線には怒りや殺意が浮かんでいるが、その奥には知性の輝きが確かに存在し、冷静に僕を殺そうと隙を伺っているのが分かった。

 ぞくりと恐怖に似た感情が沸き上がる。

 

 魔物を殺した事はある。

 奴等は人に害を成す害獣で、討伐方法も確立されている。

 それをなぞれば簡単に仕留める事が出来る上に、難しくても対策を練るのは容易であった。


 人を殺した事もある。

 奴等は弱者に害を成す害獣で、同じ人である以上、どうやれば殺せるか等は分かり切っており、動きを見れば力量の把握は難しくないからだ。


 ならばどちらでもない者は?

 分からなかった。 人の形をしている以上は首を落とせば殺せる筈なのは理解できるが、どう動くのか読み辛い。


 人の様に虚実を織り交ぜる? 獣のように力で来る? 

 それとも両方? 分からない。 それが不安だった。

 味方が居ない事がそれに拍車をかける。


 冷静に考えてみると今までは周りには部下や先達が常に傍に居て、本当の意味での一人と言うのは初めてだ。

 再びぞくりとした悪寒が背筋を這い上がり、心細い物が心を満たす。


 知らずに力を込めていたのか杖槍の柄が鎧に当たって鈍い音を立てる。

 その音で僕ははっと驚いて思考が停止し、再起動。

 ゆっくりと細い息を吐いて落ち着く。


 僕は何だ? マルスラン・ルイ・リュドヴィック聖堂騎士。

 グノーシス最強の聖騎士。 その一人だ。

 

 ここへ何をしに来た?

 新種の魔物を捕らえ、無能領主の正体を暴く事だ。

 

 そこまで考えた所で、心に冷静さが戻って来た。

 

 僕が「今」やるべきことは何だ?

 こいつ等を全滅させて外にこの事を伝える。


 オラトリアムは異形の魔物が蔓延る魔境だ。

 この場所は危険すぎる。 冷静な思考はこの場所の危険性を訴えている。

 何としても情報を外へ持ち帰らなければ。


 幸いにも相手の数はそう多くない。

 後続が来る気配もない以上、ここに居る連中さえ倒せれば逃げられる。

 後はエルマンとクリステラに話を持って行けば、部下を率いてここを攻める事が出来る筈だ。


 首魁と思われる一番大柄な魔物が手強そうだが、僕ならやれる。


 まずは――。


 戦端を開こうと動こうとした僕の出鼻を挫くかのようにそれは起こった。

 後ろ――僕と畑を挟むように氷でできた壁が地面からせり上がって来たからだ。

 

 「なっ!?」


 <氷壁>? それもこれだけの規模と大きさの……。

 壁の高さは僕の約三倍。 幅も広い。 厚さは良く分からないが、確認している余裕はないだろう。

 

 「侵入した者がいると聞きましたが、まさか貴方が単独で来るとは予想外でした」


 不意に声が響く。

 僕は目を見開いて声がした方へ視線を向ける。

 声の主は林の奥――魔物の後ろからゆっくりと姿を現した。


 オラトリアム領主代行であるファティマ・ローゼ・ライアードが。

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