第206話 「交渉」

 「これは凄いな」

 「話には聞いていましたがこれ程とは……」


 俺とマルスランは驚きを口にする。

 隣を歩くクリステラも俺達ほどじゃないが、驚きに小さく目を見開いていた。

 視線の向かう先には巨大な壁が聳え立ち、果てが――おいおい冗談だろ?


 壁の果てがここからじゃ分からんぞ。

 どんだけ広大な範囲に作ったんだ。

 領地の一角を丸ごと切り取っているのか?


 ティアドラス山脈への備え?

 オラトリアムの先にはゴブリンやオーク、トロールが蔓延る山脈が連なっている。

 確かにこれだけの壁があれば連中はまず入って来れないだろう。

 

 だが、位置関係を考えると山脈からの襲撃があった場合、領主の館が真っ先に襲われる事になる。

 それだけ防備に自信があるのか?

 事前の調べでは目立った戦力を引き入れたと言う話は聞かなかったが、警備関係はどうやって賄っているのやら……。


 ……あー、嫌な予感が肩にのしかかってくる。


 帰りてえ――と俺は心底そう思った。


 

 馬鹿でかい門を通って壁の向こうへ入るとまるで別世界だった。

 荷車等が通る事を前提に綺麗に均された道にやや大きめの川が最初に目に飛び込んでくる。

 その先には巨大な屋敷が見えた。


 門を抜ける際にちらりと視線を横に向ける。

 開門を行った者達だ。

 自分より二回りは大きい巨躯に全身鎧。 面頬バイザーを下ろしているので表情は見えない。


 俺が小さく手を振ると門番達は一礼。

 行儀が良いな。 騎士上がりの傭兵か何かか?

 すれ違い様にさっと装備に目を走らせる。


 見事な全身鎧が光沢を放って光を反射している。

 綺麗だが新品ではない。 しっかり手入れされているのが良く分かった。

 どう見てもそこらの安物じゃない。


 武器は長柄戦斧ハルバード、大剣、戦槌等とまちまちだが、こちらも良く手入れされていた。

 顔が見えないから良く分からないが、向きで分かる。

 俺達の動きから目を放していない。 恐らくは妙な真似をしたら一斉に襲ってくるだろう。


 練度も高いと。

 内心で敵に回せば厄介だなと思う。 妙な事にならないだろうな。

 勘が踵を返せとうるさく喚き散らす。


 内心でそれを宥めながら先に進む。

 屋敷へ向かう途中も全身鎧の兵士があちこち歩き回っているのが見えた。


 ……ここは王都の城内かよ。


 あそこも結構な警備態勢だったが、ここも大概だ。

 適当に歩き回っているように見えるが、異変があれば即座に反応できるようにお互いを視界に入れられるような位置取りになっている。

 領主の館にしては厳重過ぎるな。


 ……にしてもこいつ等何から守っているんだ?


 でかい壁がある以上、この辺りの警備は減らしても問題ない筈だ。

 警戒すべきは山脈のある北側だろうに。

 それとも北側はもっと厳重なのか?


 ……屋敷に着いたら何が出て来るのやら。


 少しずつ近づいて行く屋敷を見ながら俺は気を引き締めた。

 




 「遠路はるばる良くお越しくださいました」


 そう言って迎えてくれた使用人達に中に通された。

 部下達は屋敷の外で待たせ、俺とクリステラ、マルスランと部下数名を伴って屋敷へ足を踏み入れたが、こちらも凄まじい。


 見た事も無い、色とりどりの鮮やかな花々が咲き誇る庭園で、その手の物に疎い俺ですら眺めていたいと思えるような美しさだった。

 用意された席に促されて俺達三人が座って少ししてから現れたのは、これまた美しいお嬢さんだ。


 ファティマ・ローゼ・ライアード。

 隣領であるライアードの領主にして、オラトリアムの領主であるロートフェルトの婚約者。

 そしてこの領の領主代行。 肩書だけでもとんでもないな。


 現れた彼女の姿を見てなるほどと思えるような美しさだ。


 細身ではあるが均整の取れた体付きに、やや鋭利な印象を受ける顔つき。

 陳腐な感想しか出てこないが、賢そうな美人と言った感じだ。

 一目で高貴な印象を抱かせるのはある意味才能かもしれんなとも思う。


 瞳には知性の輝きが宿ってる事が分かり、見た目だけで中身がないと言う事もなさそうだ。

 それを見て、一筋縄ではいかなさそうだなとややげんなりとした物が肩にのしかかる。

 遠くで見る分には眼福かもしれんがお近づきにはなりたくないな。

 

 ……ま、話すのは俺じゃないし気負っても仕方がないか。


 お互いが簡単な自己紹介を行った後、早速話に移る事になった。

 当然、話を持って来たのはこっちなので口火を切るのはクリステラだ。


 「まずは突然の訪問をお詫びいたします」

 「構いませんよ? 予定にちょうど穴が開いていたので私としても無為に時間を過ごさずに済みました」


 ……本当かよ。


 俺は表情に出さずにそう思った。

 対応が滑らか過ぎるんだよ。 明らかに待ち構えていただろうが。


 「それで? グノーシスの聖堂騎士様がこんな辺境に何か御用ですか?」

 

 何が辺境だ。 ここまで整備が進んだ辺境があってたまるか。

 クリステラは飾らずにそのまま斬り込む。


 「オールディアと言う街はご存知ですか?」

 「ええ。 ノルディアにある――確か遺跡か何かで有名な街だったような……そこがどうかされたのですか?」


 ファティマは頬に手を当てて考える仕草。

 所作だけを見るなら上品だが、一連の対応を考えるともう胡散臭すぎて眩暈がしそうだ。

 

 「少し前の話です。 ダーザインと言う賊に襲われてしまい壊滅しました。 現在は復興作業中ですが、今も住民達は住居や家族を失った苦境に喘いでいます」


 ファティマは特に反応を示さずに無言で先を促す。

 表情こそ微笑みを浮かべているだけだが、何を考えているかさっぱり分からない。

 隣のマルスランはファティマの顔に釘付けだ。


 本人は隠しているつもりだろうが、表情はだらしなく緩んでいる。

 それを見て内心で溜息を吐く。


 馬鹿かお前は。 気持ちは分からんでもないがちょっとは取り繕え。

 女慣れしてないの丸分かりじゃねーか。

 そんなガキみたいな反応してんじゃねぇよ。


 小突いてやりたいがクリステラを挟んで反対側だ。

 どうにもならん。


 「まぁ、それは大変ですね?」


 ファティマはどうでも良さそうな相槌を打つ。

 こちらはわざとだな。 隠す気がない。

 クリステラは構わずに続ける。


 「今回、伺ったのは是非とも復興作業の支援をお願いしたいからです」

 「復興支援ですか? それは具体的にどういった事を私達に期待しているのでしょうか?」


 ファティマは頬に手を当て何でしょう?と言っているが、これは分かっているな。

 正直、この時点で俺には結果が見えた。 後は茶番だ。


 「言葉を飾らずに言いますと、向こうは全てが不足しています。 食料は勿論、建物の建材を始め、日用品等のあらゆる物資が足りません。 そしてそれを支える資金も――」


 クリステラの弁舌が勢いを増していく。

 おいおい嬢ちゃん。 いくら何でもがっつき過ぎだ。

 もうちょっと順序立てて……。 


 ファティマは手元のカップに口を付けて戻す。   

 戻したカップがソーサーに当たって小さく音を立てる。

 その音に我に返ったのかクリステラがはっとした表情で口を閉じた。


 「あ、失礼。 つい……」

 「いえ。 お仕事熱心で何よりです」


 皮肉とも関心ともつかない事を言うとファティマはふうと一息。


 「お話は分かりました。 要するに金を出せと言う事ですね」


 それを聞いてマルスランはぎょっと目を見開き、クリステラは小さく仰け反って二の句が継げない。

 俺は内心で苦笑。

 はっきりと言いやがるぜ。


 「言葉を飾らないと言う事なので、こちらもそうしようかと思いまして」


 そう言って悪びれずに笑う。

 

 「……話を続けますと、貴方達は我が領の資産を見て援助を求めている。 そこは分かりました。 ですが、こちらとしては何の得もないのに見ず知らずの他人に財を分け与えるなんて真似はできません。 貴方達の要請を受けたとして私達のオラトリアムにどのような得があるのでしょうか? それを知りたい所ですね?」


 要するに実利を示せと。

 ま、当然ではあるな。 俺でも全く同じ事を言うだろうよ。

 見ず知らずの他人に金を恵めと言われて、はい分かりましたと金をばら撒く奴はそういない。


 「私達グノーシス貴女達オラトリアムの間に強い縁が結ばれます。 その縁は貴女達を襲うかもしれない苦難を打ち破る一助になる筈です」


 クリステラが言っている事は単純だ。 

 ウチが後ろ盾になりますよって話なんだが――どうだろうな。

 さっき見た全身鎧の連中を思い出す。


 どう見てもそんな物後ろ盾が必要なように見えないんだよなぁ。

 グノーシスと契約するって事は定期的にお布施金銭を要求される。

 武力が足りている以上、それこそ無駄な出費だ。


 ……これは無理だろうな。


 相手の欲しがりそうな物が用意できそうにない。

 戦力はどう見ても充分に間に合っている。

 聖騎士の派遣を餌にしても、向こうからすれば要らんだろう。


 俺なら失敗と諦める所だが、お嬢さんはどう動く?

 

 「私は少し前まで、オールディアで復興の指揮を執っていました」


 少しの間を開けてクリステラはゆっくりと話し始めた。


 「私達が駆け付けた当初は酷い有様で、建物は軒並み破壊されており、生き残った住民達は飢えに苦しんでいました……」


 おいおい。

 何を話す気だ?

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