第197話 「心臓」

 一瞬の浮遊感と共に緩やかに落下。 壁が徐々に迫って来る事に微かな不安を覚えつつ下へ向かう。

 少しすると広い空間に出た。

 位置から察するに腹の辺りか?


 中央に馬鹿でかい柱があり、低い音を響かせて脈打っている。

 後ろ――胴体側の壁は緩やかな曲線を描いて膨らんでおり、そちらも低い音を立てて脈動を繰り返していた。

 先に降りた面々が周囲を警戒するように布陣している近くに着地。


 少し遅れて、俺より後に飛び降りたアスピザルが来た。


 「もうここに来てから驚きっぱなしだよ。 本当に凄い」


 周囲を見て感心するようにそう呟く。


 「凄いのは分かったが、心臓はあれでいいのか?」


 俺は脈打っている柱を指差す。


 「うん。 あれで間違いないと思う」

 「じゃあ後ろでどくどく脈打っているのは何だ?」

 「うーん。多分だけど肝臓か何かだと思う」


 あれが肝臓? 図体を考えれば妥当なサイズなんだろうが、冗談みたいなでかさだ。

 巨大な内臓器官にやや圧倒されたが、気を取り直してさっさと心臓の破壊に取りかかろう。

 

 「中々、珍しい物が見れたが、悠長にしていられる余裕もないし早い所、潰してしまおう」

 「そうだね。 ここは長い事居たい場所でもないし、早速取りかかろうか」


 俺達は動こうとして――。


 ――તે સમર્પિત તમારા જીવન આપો આપો


 不意打ちの様に頭に言葉が滑り込んでくる。

 相変わらず意味は分からんが、何となくニュアンスは伝わるぞ?

 どうせ毎度の喰わせろとかそんな感じの事だろう。


 心臓を握られている状態で何を言っているんだこいつは?

 いい加減、頭の中で喚き散らされるのも不快だしさっさと――。

 

 『おい! 気を付けろ! 来るぞ!』


 日枝の鋭い声が響くと同時に、周囲の壁や上から人型の何かが大量に湧いて来た。

 何だこいつ等?

 肉を人型に捏ねた――いや、形がはっきりしている。 骨格があるのか?


 「これって、さっき死んだ獣人の骨か何かを使っているのかな?」

 「何?」


 アスピザルは思わずと言った感じで呟いたようだが、内容が少し気になった。


 「いや、うん。 出て来る時に完全に肉に包まっていないのが居たんだけど、その時に骨が見えてね。 形がちょっと、ね」

 

 微妙に歯切れが悪いのは自信がないからだろう。

 まぁ、人の骨なんていきなり湧いてくる物でもないだろうし、ここで死んだ連中の骨と考えるのが妥当だろうな。


 人型はグネグネと形状を変化させ始めたが、悠長に待ってやる義理はないので左腕ヒューマン・センチピードで胴体の辺りを薙ぐ。

 腰から両断された人型はその辺に転がるが変化は止まらない。


 無駄か。

 変化を終えた個体は上に居た連中と人が混ざったようなグロい生き物に変化した。

 随分と趣が違うな。 こいつ等は上の連中とは用途が違うのか?

 

 『おいおいおいおい。 冗談だろ……』

 『お、俺達もああなるのかよ』

 

 獣人達の間にも動揺が広がる。

 流石に感覚が鋭い獣人だけあって察しも良かった。

 連中の材料に感づいているようだ。


 『怯むな! ここで怖気づいちまうなんて死んじまった連中に笑われちまうぞ! 心配すんな、あのでかい柱をぶっ潰せば俺達の勝ちだ! 気張れ!』


 その空気を日枝が声を張り上げて吹き飛ばす。

 士気の維持は日枝に任せて俺は手近な奴に左腕ヒューマン・センチピードを叩き込む。

 人に魚のパーツを無理矢理取り付けたような歪な生き物の頭に喰らわせる。


 頭部が吹き飛んだ奴は仰け反って倒れるが、近くの壁や床の肉が集まって再生。

 起き上がる。 これは仕留めるのは無理か。

 周囲を見ると他の獣人連中も、連中の再生力に気が付いたようだ。


 『おい、くっそ! こいつら頭潰しても起き上がるぞ!』

 『どうすりゃ死ぬんだよ!?』

 

 口々に困惑が上がるが、日枝が一喝。


 『手足をやれ! どうせ再生するんなら動きを鈍らせろ!』


 指示を飛ばしながら戦っている日枝を尻目に俺は周りを無視して真っ直ぐにでかい柱、心臓を目指す。

 ちらりと周囲の敵を見る。

 さっき両断した奴は分割した部分が、両方とも再生していたようなので、粉々にでもしないと仕留めるのが難しそうだ。


 ただ、骨格を完全に破壊された個体は自力で起き上がれずに這うように動いている。

 ダメージを与えるのはあながち無駄でもないようだ。

 

 ……まぁ、仕留められない事には変わりないか。


 俺は即座に周りの連中は無視する事に決めた。

 進路上の敵だけ足を薙いで、動きを封じるだけに留める。

 視界の端では夜ノ森が拳を固めて殴り飛ばしていたが、砕け散った端から再生しているので掴んで遠くへ投げ飛ばす戦法に切り替えていた。


 アスピザルも魔法を使っての援護を入れている。

 水で出来た槍を足や地面に打ち込む。

 命中した魔法は弾けた瞬間に周囲を巻き込んで凍結。


 こちらも撃破より拘束を狙って動いているようだ。

 

 「……やっぱり思ったほど、威力出ないなぁ」


 やや苦い声でアスピザルが小さく呟くのが聞こえたが、構っていられない。

 進路上の敵を薙ぎ払い、道が開けた所で左腕ヒューマン・センチピードを一気に伸ばす。

 百足は心臓に喰らいつき、牙を突き立てる。


 しっかりと牙が食い込んだ事を確認し、今度は縮める。

 体が引っ張られて心臓の方へ引き寄せられるように飛ぶ。

 飛び道具を使う奴は居なかったので、そのまま心臓に取り付く事が出来た。


 ……よし、このまま<枯死>を喰らわせて終わりだ。


 魔法は威力が減衰するが、接触状態なら関係ない。

 さっさとこの無駄にでかい心臓を砂に変えて仕留めてしまおう。

 どうせ体を維持するのに魔法の類を使ってるんだろ?


 供給源であろう心臓潰せば自重で潰れて勝手に死ぬだろう。

 それでも頑張るなら外に出て水の柱ぶった切って下に落としてやろう。

 可能であれば死骸から記憶を吸い出したい所ではあるが――。


 ――કેચ捕まえた


 脳裏に滑り込むように聞こえた声の意味が、何故か理解できた。


 魔法を起動しようとした瞬間、粘着質な笑顔のイメージが脳裏に浮かぶ。

 警戒心が持ち上がるが、遅かった。

 脈打つ肉の柱から触手のような物が伸び、俺の全身に絡みつかれたと認識したと同時にそのまま柱に飲み込まれた。






 『おいおい。 ローの奴、喰われちまったぞ!?』


 日枝さんが日本語でそう叫ぶのを聞きながら私――夜ノ森 梓は目の前の光景に驚いて動きが止まってしまった。

 

 「梓! 動きを止めないで!」


 隙を突いて襲って来た敵をアス君が魔法で薙ぎ払う。

 そのまま敵を掻い潜って私の近くまで来る。

 

 「まさか心臓にあんな事ができるとは思わなかったよ。 これでもこの世界に来てから常識は投げ捨てたつもりだったんだけどね」

 『おい! どうする? あの様子じゃ直接ぶん殴るのはやばそうだな』


 同時に日枝さんもこちらに合流。

 

 『そうだね。 直接触れるのは危険だし、遠距離攻撃となると効果的な攻撃が出来そうなのは僕だけになるか……』

 

 アス君は「厳しいな」と呟く。

 どちらにせよ、接触以外の攻撃方法がない私と「切り札」を使って消耗している日枝さんではあの柱に有効打を与えるのは難しい。


 そうなると消去法で完全にアス君だけが頼りだ。


 『悪いけど近くまで行くから援護をお願い。 流石にこの距離だと魔法を使うにしても厳しいよ』

 『分かった。 あんたを援護する。 悪いが締めは任せるぜ』

 『正直、自信ないけどやるだけやってみるよ』

 

 私も頑張ろう。

 アス君を意地でも守って見せる!

 拳を握って先を見据え――。


 『ちょっと待って。 あれ、どう思う?』


 アス君が声を上げて心臓を指差す。

 私も見ていたので変化には当然気が付いた。

 さっきから規則正しく等間隔で鼓動を刻んでいたリズムが乱れ始めたのだ。


 『おいおい、これヤバいんじゃないか? ローを喰って元気になった感じかぁ?』


 高速で鼓動を刻む心臓は表面を激しく波打たせ始めた。

 これは元気と言うよりは寧ろ――。 


 『いや、違うみたいだ。 これはもしかして、苦しんでる?』

 

 私も同感だ。

 ローを吸収した事による変化――もしかしてまだ吸収されていない?

 

 『……食あたりを起こしたって事か?』

 『多分だけど、中でローが暴れてるんじゃないかな?』

 『マジか。 あいつただもんじゃないなとは思ってたが、あの状態で暴れてんのかよ……』


 日枝さんは「半端ないな」と呟いていたのを尻目に私はアス君の方を見る。

 どうする? と疑問を乗せて。

 察したアス君は小さく頷く。


 『時間を稼ごう。 もしかしたらローが何とかしてくれるかもしれない』

 『いや、お前、あいつを当てにするのか?』


 日枝さんの声には戸惑いが滲んでいる。

 その意見には私も同感だ。

 取り込まれた状態で暴れているであろうローは大した物だと思うけど、当てにするのは危険ではないの?


 『下手に外から干渉してローの足を引っ張るのも嫌だし、あの様子なら案外やってくれると思うよ』

 『……お前等、付き合い短いって話なのに随分と信用してるんだな』

 

 日枝さんの呆れが混ざった声にアス君は笑みで答える。

 それを見て、私が抱いたのは不快感。


 ……どうしてあんな男の事をそこまで信用できるの?


 胸中ではそんな思いが膨らみ始めていた。

 あの男からは嫌な感じがしたのは確かだ。 ……確かだと思いたい。

 そうでなければ、私は嫉妬であんな態度を取っていたと言う事になる。


 自分がそこまで狭量だとは思いたくない。

 でも、あんなに早くアス君の心を掴んだ事に思う所はある。

 考えても答えは出ずにぐちゃぐちゃとした物だけが渦を巻く。


 『ロー君が出て来るまで、ここで踏みとどまるって事でいいのね?』

 『うん。 頼むよ梓』


 私の確認に返ってくるのはいつもの笑み。

 邪気のない。 見ていて安心するアス君の笑顔。

 それが自分だけに向いていない事にちくりと痛みのような物が胸に刺さるが、強引に振り払う。


 ごきりと肩を回して関節を鳴らす。

 一暴れしてこのもやもやした物を吹き飛ばそう。

 幸いにもサンドバックには事欠かない。


 ……悪いけど私の八つ当たりに付き合ってね。


 私は手近な敵に拳を固めて襲い掛かった。

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