第194話 「空海」

 港は結構な騒ぎになっていた。

 やはりあの巨体を遠くから見るのと近づいて来るのを見るのでは迫力が違う。

 周囲の連中の反応も相応の物だった。


 呆然と見ている者、震えている者、睨み付けている者と反応は様々だが、少なくとも全員が動揺しているのは確かだ。


 そんな中、日枝は次々と指示を飛ばして混乱を抑え込もうとしていた。

 呆然としている者に仕事を与え、震えている者には笑い飛ばし、睨みつけている者にはやってやろうぜと発破をかける。


 この混乱の中でこれだけ動けるのは大した物だ。

 周りの連中の日枝を見る視線からも、こいつが王としての役割を十全にこなしているのは明らかだった。

 

 「こう言うのをカリスマって言うのかな?」

 「そうね。 少なくとも人を引っ張っていく力はあると思うわ」

 「僕にはちょっと真似できそうにないな」


 後ろでアスピザルが敵わないなと言った口調で笑い、夜ノ森が釣られるように苦笑。

 俺は特に構わずに港に併設されている建物――恐らくは船を収容する格納庫だろう――に目を向ける。 そこから船が続々と出てきているのが見えた。


 どうやらあれが道として使用する船のようだ。 

 果たして上手く行くのかね?

 日枝の話では船を一定の間隔で配置した後に錨を降ろして固定、近づいて来た所で一気に進軍させるつもりらしいのだが――。


 あれ、無理じゃないか?

 ディープ・ワンが移動する度に周囲の海面が派手に波打つ。

 あんな状態で近づけるのか? 距離があるにも関わらず海面が荒れており、船が煽られて危なげに揺れる。


 他に手を思いつけなかった事もあって、強行するつもりらしいが不安しかないな。

 もしかして波に対する備えがあるのか?

 分からんが、船を出す以上無策と言う訳ではないだろう。


 ……それとは別に奴がこのタイミングで動いた事も気になる。

 

 何かの準備で動かなかったと考えられるのなら、動いている今は向こうの準備は完了した可能性が高い。

 正直、何をしてくるか分からないから不安が拭えないが、船を移動させたり大人数を移動させる手間が省けたのは僥倖と取るべきなのか?


 不意にディープ・ワンが移動を止める。

 

 ……何だ?


 他にも気が付いた奴が居たらしく、何だと目を凝らしている。

 距離はまだまだ遠い。 あの距離で止まった理由は何だ?

 もしかして何か飛ばしてくる感じか?


 嫌な予感しかしないな。

 その理由は直ぐに判明し、嫌な予感も当たった。

 奴が海に潜ったと同時に海面が屹立し、巨大な水の柱が現れる。


 洒落にならないでかさで、目算になるが横幅百数十メートル、高さは伸び続けているのではっきりした数字は分からんが、この調子なら数百メートルは行きそうだ。


 柱は一気に空へと伸び、途中で停止。

 直角に折れた後、一気にこちらまで伸びて来た。

 柱は街の上に来た所で形状を変え、放射状に広がる。


 その場にいた連中は俺も含めてそれを呆然と眺める事しかできなかった。

 広がり終えた後は空に海が現れたかのような異様な光景が広がっている。

 次いで変化があったのは海だ。


 ディープ・ワンは馬鹿でかい海水の柱の中を泳いで空へ上がり、尋常じゃない速度でこちらへ向かってくる。

 

 『冗談だろ……』

 

 誰かが呆然と呟くのが聞こえた。

 当然の反応だな。 俺も同じ気持ちだ。

 流石にこの展開は読めなかったぞ。

 

 『くそっ、来るぞ! 全員腹を括れ! 作戦はなしだ。迎え撃つぞ!』 


 日枝が叫び、少し遅れてディープ・ワンがウズベアニモスの上空に到達。

 完全に先手を取られた形で戦端が開いた。

 当然ながらいきなり数百メートルの巨体が頭の上に現れたんだ、周囲の動揺は大きく初動が致命的に遅れ、その隙を敵は逃さない。


 体表からイカを飛ばしてくる。

 イカ共は空中の海面を突き破ってこちらに降り注ぐ。

 俺は借りっぱなしの手斧で飛んで来たイカ共を打ち払いながら走る。


 止まっていたら的になるからだ。

 周囲は正に阿鼻叫喚だった。

 イカの突撃をもろに喰らって腹に風穴が開いている者、顔面を打ち抜かれて即死した者、何とか反応できた者等、被害に差はあるがほぼ全員が何かしら叫んでいた。


 それは仲間の名だったのかもしれないし、現状への嘆きや怒りだったのかもしれない。

 重なり続けたそれはもはや声ではなく耳障りな音だった。

 

 「これは参ったね。 どうしようか?」

 「作戦は完全に破綻したわ。 もう組織的に動くのは厳しいんじゃないのかしら?」


 いつの間にか並走していたアスピザルと夜ノ森が上を見ながら苦い声を出す。

  

 「アスピザル」

 「何かな?」

 「絨毯で突っ込めそうか?」

 「できなくはないって所かな。 正直厳しいよ。 水中じゃどうしても速度が落ちるから無理に突っ込んでもあのイカの餌食になるのが目に見えている」


 俺は海から伸びている海水の柱を見る。


 「あれを途中で切ったら落とせるんじゃないか?」

 「止めておいた方がいいかもね。 落とせるかもしれないけどそうなった場合、あの量の海水も一緒に落ちて来るよ」


 あぁ、それは不味いな。

 ちらりと空を一瞥する。 あのサイズの化け物が泳げるほどの水量だ、落ちてきたらウズベアニモスが洗い流されて更地になってしまう。

 

 それにしても雑魚は繰り出してくるのに本体は動かないな。

 それとも――動けない?

 考えていると上から水が弾ける音が大量に響く。

 

 上を一瞥して舌打ち。

 例のグロい生き物――眷属がぼろぼろと落ちて来る。

 数も尋常じゃない。


 眷属は触手で次々と手近な獣人を捕まえては喰らっていた。

 当然ながら獣人も黙ってやられている訳もなく、火炎瓶をどかどか投げ込んで眷属を火達磨にする。

 眷属は炎にのた打ち回りながら近くの建物に突っ込んで息絶え、同時にその建物に燃え移って火災が発生。


 滅茶苦茶だ。 本当に滅茶苦茶な事になっている。

 

 「これは失敗だったかな。 上手く行かない物だね」

 「全くだ」

 

 アスピザルは周囲の光景を見て嘆息。

 同感だ。 安易に他を頼るのはいい手ではなかったな。

 結局、無駄に被害が広がっただけの結果になってしまった。


 「どうするの? 逃げる? それとも……」

 

 逃げて済むのならとっくにそうしてる。

 あんな方法で移動している以上、何処に逃げても追ってくるぞ。

 どうにかして始末するしかない。

 

 ――હું ભૂખ્યો છું.પરિપૂર્ણ કરવા માટે પોતાને સમર્પિત કરો.

 

 何を言っているかはさっぱり分からんが、相変わらずあの化け物は俺達に熱烈なラブコールを送ってくる。

 まぁ、アスピザルの言葉を信じるなら腹減ったから喰わせろと言った内容なんだろうな。


 嫌になるな全く。

 絨毯は水中じゃ動きが鈍るって話だが、なら押しのけて行くしかないか。

 

 「絨毯で行こう。 水は俺が魔法で障壁を張って押しのける。 力技だが手っ取り早いだろう」

 「分かった。 けど、結構負担かかると思うけど大丈夫?」

 「まぁ、なんとかなるだろ」


 夜ノ森が荷物から絨毯を引っ張り出して広げる。

 アスピザルが絨毯を浮かせて俺と夜ノ森が飛び乗り、そのまま上昇。

 

 『待ちな』


 途中、襲いかかって来るイカや落ちて来る眷属を適当にあしらっていると不意に下から声がかかった。

 視線を落とすと、日枝が背の羽を震わせて飛んできているのが見える。

 アスピザル達に気を使ってか日本語だ。

 

 『どこへ行こうっていうんだ?』

 『ちょっとあの化け物の腹の中までかな』

 『そりゃ面白そうだ。 ここに使える男がいるんだが連れて行ってみないか?』


 日枝は小さく笑って自分を親指で指す。

 アスピザルも同様に笑みを浮かべて頷く。

 

 『いいよ、そのまま付いて来て。 海面に近づいたらローが水を何とかしてくれるから、こっちに乗って』

 『分かった。 取りあえず、露払いは任せて貰おうか』


 そう言うと日枝が速度を上げる。

 いや、上がりすぎじゃないか?

 残像すら残しそうな速度で飛び回り、頭に生えたでかい角でイカ共を薙ぎ払い、回転を加えた突進攻撃で眷属の腹をぶち抜いたりしていた。


 どうやら日枝は角の硬さが自慢らしく、豪快に振り回したりぶつけたりとかなり多用している。

 その硬さは凄まじく、ぶつかったイカ共は砕け散り、逆に角は無傷と来た。

 ぶつけた俺のハルバードをぶっ壊してくれた以上、あのイカ共は並の硬さじゃないはずなんだがな……。


 『一応だが、何とか動ける奴等をかき集めた。 できれば連れて行きたいんだが行けそうか?』


 動ける奴?

 俺の疑問に気が付いたのか日枝は「見な」と後ろを振り返る。

 鳥系統の獣人達が羽ばたいて空に上がっているのが見えた。 


 あぁ、やっぱり鳥系の奴は飛べるのか。

 聞けば深度四以上じゃないと飛行が出来ないらしいが、魔法でもないのに飛べるのはどういう――いや、飛んでいる理屈はコンガマトーに近いのか?


 恐らくは魔力との併用? 体にそう言う機能があるのだろうか?

 喰った獣人に鳥型がいないから分からんな。

 機会があれば調べて見たい物だ。


 鳥獣人達の数は百数十と言った所か、全体からすると微々たる数だが居ないよりはましか。

 

 ……ってかこの人数をカバーする障壁を張らないといけないのか?


 出来なくはないがしんどいな。

 まぁ、少し頑張ってみるとするか。

 下手に手を抜くと自分に跳ね返ってくるのが目に見えているからな。


 さて、やるか。

 

 『日枝! 全員を俺達の後ろへ付けてくれ! 道を作る!』


 日枝が周りに指示を出すと飛んでいる連中が一斉に集まってくる。

 <風盾Ⅲ>を多少アレンジして多重展開、複数の盾を組み合わせて円錐形の空間を作成。

 全員を効果範囲に収める。 


 『行くぞ。 遅れずに付いて来てくれ!』


 海面に接触した風の盾は見事に海水を押しのける。

 かなりの抵抗を感じるが追加で魔力を突っ込んで出力を上げて進路を確保。

 

 「ロー、こんな大技使えたの?」

 「凄い。 これだけの範囲をカバーできるなんて――」


 二人が何やら驚いていたが、構っていられる程余裕がない。

 正直、リソースの大半を魔法に割いているので他に集中できないのだ。

 

 「良いから急げ。 あまり長くは保たん」


 結構これしんどいんだよ。


 「分かった」


 アスピザルが絨毯を加速させる。

 一気に上昇した絨毯がディープ・ワンに近づき、鼻先で停止。

 正面から見ると結構な面構えだ。


 口の方を確認すると、噛み合わせが良くないのか半開きだ。

 アスピザルも都合がいいと考えたのかそのまま突っ込み、他もそれに続く。

 特に妨害も受けずに歯の間をすり抜け、体内への突入に成功。

 すんなり入れた事に一抹の不安を感じたが、考えても仕方がないか。


 中はどうなっているのやら。

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