第109話 「姉妹」
姉たちの足音が遠ざかって行くのを聞きながら、ロレナは背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。
目の前の影は正真正銘の化け物だ。
ついさっき見た光景が甦る。
異常を察してすぐに階下に降りたロレナは悪夢のような光景を見た。
二つの影が次々と仲間や店の客を惨殺しているのを。
片方の影が手を翳せば、仲間の全身が捻じ切れる。
もう片方の影が武器を振るうと仲間が吹き飛んで壁の染みになる。
命乞いをする客もお構いなしに文字通りの鏖殺だ。
助けに入ろうなんて考えは起こらなかった。行った所で殺されるのは目に見えていたからだ。
お陰で連中の戦い方は分かった。前衛と後衛で綺麗に分かれている。
目の前に居るのは前衛の方だ。後衛の影に比べれば比較的ではあるがやりやすい。
自分に移植された能力との相性も決して悪くないはずだ。
地を踏みしめる自分の足を見て思い出す。
ヘルガやエリサ――大切な家族。彼女たちの事を。
ロレナ。姓ともう一つ名前があったはずだが思い出せない。
平凡な農家の娘として生まれたが、四歳の時に賊に襲われ、村は壊滅。
両親や村人はほぼ皆殺しにされ、生き残りは彼女を含めて攫われてしまう。
賊の根城へ連れていかれる途中、隙を突いて逃げ出したが子供の足で逃げられるはずもなく、あっさりと捕まり……逃げた罰として足を切り落とされてしまった。
人生が最低の形で変化した瞬間だ。
その後、捕まった村人達が辿った末路は悲惨な物だった。
売られるだけならまだマシだったろう。
慰み者になったり、魔物の餌にされたりとまともな扱いをされなかった仲間達と比べればだが。
その時に知り合ったのがヘルガ。
後の自分達の姉だ。彼女は強く、そして優しかった。
彼女は男たちの相手をしながら信用を勝ち取り、隙を伺い、そしてあの日に自由を勝ち取る事になる。
男達の食事に毒を盛ったのだ。
毒は当時、知り合ったばかりのエリサが野草に詳しかったので彼女が用意した。
二人は最も人数が減る頃合いを見計らい、毒で賊達を動けなくした後に殺害。
囚われていた娘達と共に逃亡。
そこまでは良かったのだが、帰る場所のない娘達――まして長い間、劣悪とも言える環境に晒された体は想像以上の消耗をその身に強いていた。
一人また一人と飢えや疲労に倒れていく。
脅威はそれだけではなかった。
魔物だ。
戦闘能力は皆無に近い当時の皆には対抗手段はなくゴブリン相手ですら逃げざるを得なかった。
捕まれば囚われていた頃より、さらに過酷な運命が待っている。
数を減らしながらの放浪の末、王都に辿り着けたのは自分達3人を含めても僅かだった。
王都に辿り着いた後も、過酷な運命は続く。
この世界は持たざる者には辛く当たる。
ボロボロの女子供に手を差し伸べてくれる親切な人などおらず、ヘルガを始め何人かが体を売って糊口を凌ぐ生活が始まった。
王都に入り、何とか貧民街に家と呼ぶには粗末な代物を作り、生活を始めるがそれも長くは続かなかった。
病気だ。
多少改善したとはいえ健康状態の良くない彼女達はあっさりと病気を
治療院へ行けば問題なく完治する病ではあったがそんな金はなく、彼女達は客も取れずに死を待つだけだったが、そこに二度目の変化の瞬間が訪れる。
現れたのは自分とそう歳の変わらない少女。
彼女はジェルチと名乗った。
ジェルチは自分の配下を探している。自分の下に付くなら助けると持ち掛けて来た。
彼女はダーザインと言う組織に入り、地位を確立する為に自分の自由になる戦力が必要らしい。
選択の余地はなく、自分を含めた子供達は泣きながら懇願した。
姉を助けてと。
ジェルチは笑顔で頷く。
その後は早かった。
彼女はどこからか人を手配し、姉達を救い食事を与えてくれた。
治療を受けた姉達は直ぐに回復し、ジェルチの配下としての生活が始まる。
ダーザインへ入る為の儀式に必要な印を刻まれ、過酷な訓練の日々。
自分は足がなかったので当時は参加していなかったが、胸には歯痒さだけがあった。
だから、ジェルチに頼んだ。
自分に足をくれと。
彼女は渋った。
移植の成功率はそう高くないので死ぬかもしれないと。
構わないと即答した。このまま何もせずに生きて行くなんて耐えられない。
その提案にジェルチは渋々ながらも応じてくれた。
元々、無い部分を付け足すので移植自体は難しくなく、新しい脚は何とか自分に定着した。
その後、新たな足に馴染むのまで凄まじい訓練と時間を要した。
特に移植の直後は異物感と激痛で食事すら食べられず、無理に食べても吐いてしまうほどだったが、それも時間と努力が解決してくれた。
こうして『
この頃だろうか?ジェルチの事をヘルガと共に姉として仰ぐようになったのは。
足の能力を使いこなすまで更に時間を要したが、歩けるようになるまでの事を考えるとそこまで苦ではなかった。
『足』の能力はそれぞれ力の強化と空間を踏める事。
この二つの能力が劣った身体能力と技量を押し上げ、格上との戦闘でも勝ちを拾えた。
だが、果たして目の前の影にそれは通用するのだろうか。
影の視線は自分に向いておらず、逃げた姉達に注がれていた。
自分は眼中にないと言う事か――。
舐めるな!そう思いながら地を蹴る。
一呼吸で間合いを潰して、足に斬りつけると見せかけて空を蹴って飛び上がった。
少なくとも虚は衝けたはずだ。
足を狙うと見せかけて首を刎ねる。
決まれば終わるが、失敗すれば同じ相手に2度と効かない即死の剣だ。
……が手の甲で受けられた。
押し込んでも斬れない。手応えからして手甲か何かを着けているのか。
しくじった。
内心で舌打ちして下がる。なら速度で撹乱して――。
「なるほど。足が自慢か」
影はそう呟くと何も持っていない腕を向ける。
魔法か?そう思って身構え――。
ひゅっと風を切る音がしたと思ったら片足が消えた。
「え――」
それを認識したと同時に突き上げるような激痛。
何をされたのか分からなかった。
でもまだ片足が――のこ……。
「が、ぎ……」
見えない何かに体が押し潰された。立てない。
重い――これは一体……。
力を振り絞って顔を上げると影はいつの間にか切り落とした自分の足を持っていた。
返せそれは姉達を守る為の物だ。
お前みたいな訳の分からない奴が軽々しく触っていい物じゃ――。
衝撃。残りの足が切り落とされた。
「あ、が――」
足、足が――。返せ、返して。
それがないと帰れないの。ヘルガやエリサ達の所に帰るのに要るの。
返して返して――。
「か……ぇ……」
胸が押し潰されているお陰で声が出ない。
それでも振り絞って声を出す。
「かぇ……せ……」
影は目の前まで来るとこちらを一瞥。
無言で足を振り上げる。それを見て思う。
ヘルガお姉ちゃ――。
視界いっぱいに広がった黒い影が迫り――衝撃。
もう自分には祈る事しかできないが、どうか姉達に幸運を――。
最後に考えたのはそんな事だった。
グシャリと足元に這い蹲っていた女の頭が砕け散る。次いで爆散。
俺は使っていた新魔法
これはリックから奪った能力をアレンジした魔法だが、思ったより使い辛いな。
発動が遅いので止まっている相手にしか当たらない。
使うならある程度、狭い所であるのが望ましいな。
逃げ場がないので当てやすい。
まぁ、<爆発>に比べると微妙だな。どうしても使う場合は器官ごと再現しないと採用は難しいか。
さて、さっき仕留めた女の足は例の部位か、能力は見た所、速度強化と風系統の魔法と似た効果か?
空中を蹴って態勢変えてたから恐らく外れてはいないはずだ。
……それにしても――。
死ぬ前に何か言っていたが、何だったんだろうか?
ふむと考えたが、どうせ命乞いか何かだろうと納得した。
さて、逃げた連中を追うとするか。
俺は奪い取った足を吸収すると逃げた連中の追撃にかかった。
「ジェルチ姉さん!」
あたし――エリサは扉を蹴破る勢いでジェルチ姉さんの部屋へ飛び込んだ。
ジェルチ姉さんはローブの下に軽鎧を着こみ装備を整えていた。
他にも何名か指示を仰ぎに来た娘達も一緒だ。
「ヘルガ、状況は?」
「えぇ。敵は二人。認識を阻害する道具を使っているようで正体は分からない。恐らくはヴェルテクスとその仲間だと思うわ」
「勝てそう?」
姉さんは悲し気に首を振る。
「一階に迎撃に出た子達はもう……。それに片方はもう下まで来ているわ。今、ロレナちゃんが食い止めてるけど長くは保たない」
ジェルチ姉さんは舌打ちして短剣を部屋の隅に投げつける。
短剣は壁に刺さらず何かに当たった。
するといきなり何もない所から魔物の死骸が床に落ちる。
「姉さん、これは?」
あたしの疑問をジェルチ姉さんは無視して魔物の死骸に近づく。
確か洞窟とかに住んでいる魔物で……何とかテラ?だっけ?
「本人は来てないか」
そう呟いたのが聞こえたがあたしには意味が理解できなかった。
ジェルチ姉さんは執務机の下に隠してある仕掛けを作動。
壁が微かに揺れる。
「ヘルガ。分かってるわね?全員連れて行きなさい」
「……勝てるの?」
ヘルガ姉さんの声は固い。
ジェルチ姉さんは苦笑。
「まぁ、ヴェルテクスが相手じゃないなら何とかなるでしょ。多分だけどあいつが上がって来ないのは下で出入り口を固めてるからだと思う。逆に攻める事も考えたけど、かなりの博打になるからそれはやらない。ここは退いて体勢を整えましょう。最悪、ガーディオが戻るまでここを離れるのも視野に入れる」
ジェルチ姉さんは扉の外を厳しい目で見る。
少し離れた所から足音が響く。音が重い。
あいつが上がって来たか。……と言う事は彼女はもう――。
……ロレナ……。
姉さんも察したのか表情は重い。
「あたしは今から来る奴――多分、ローとか言う奴だろうけど、そいつを殺ったら追いかけるわ」
「分かったわ。ジェルチちゃん。どうか無事で」
「いいから行きなさい」
姉さんは頷くと、皆を促して壁を
これは一部の人間しか知らない脱出用の非常通路だ。
壁に仕込んだ魔石のお陰で幻術が作動し、壁が開いた後も壁があるように見せる。
……あたしは……。
「エリサ。そんな心配そうな顔してないで行きなさいな」
ジェルチ姉さんは表情は苦笑のままあたしの肩を軽く叩く。
「姉さん……」
「あたしが負ける訳ないでしょ?いいから行った行った」
一緒に逃げようとは言わせてくれなかった。
姉さんは強い。少なくとも負けた所は見た事なかったが、それでも不安にさせる何かがあの影にはあった。
あたしは結局、ジェルチ姉さんに押し切られる形で隠し通路に入り、先に行った皆の後を追った。
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