第96話 「後日」
薄暗い部屋がある。
照明は壁に等間隔に設置されている松明のみ。
部屋の中央には空間を区切るような横長のテーブルが二つ並んでいる。
最も目を引くのは部屋の最奥にある二つの玉座とその左右に設置されている立派な装飾を施された複数の椅子だろう。
その部屋に人影が五つ。内三人は右側のテーブルの席についている。
残りの二人は玉座の前に立って片方は腕を組んで直立、もう一人は身を縮ませて視線を彷徨わせていた。
「……で?何で俺等だけ呼ばれたんだ?アルグリーニさんよ?」
アルグリーニと呼ばれた男は近くの装飾付きの椅子に勢いよく腰を下ろす。
「そこ座っていいのかよ」
「構わんだろう。この席の主は来ない」
最初に発言した男は「そーですか」と言って口を閉じた。
アルグリーニの年齢は三十前後。見た目は服の上からでも分かる程、筋肉の盛り上がりが凄まじく、肌に刻まれた傷が潜った修羅場の数を物語っている。
「ガーディオ、ジェルチ、フラグラ。お前達を呼んだのは必要だからだ。……他は呼んだが来なかった」
「は?じゃあ無視しても良かったの?その割には強引だったんですけど――」
不機嫌そうに言ったのはジェルチと呼ばれた少女だ。
年齢は十代後半といった所か。さっきから他を無視して爪に何かを塗っていたが、今は顔を上げている。まだ幼さが残る顔立ちに苛立ちが混ざった視線をアルグリーニに向けた。
「まぁまあ、良いではないですか同志ジェルチ。同志アルグリーニがわざわざ我々に招集をかけたのです。何かあったのでしょう?」
ジェルチを宥めたのはフラグラ。彼の見た目は白髪と顔に髭を蓄えた老人だ。
温和そうな視線をジェルチに向け、孫を相手にするような口調で話している。
それを聞いてジェルチは舌打ちして黙った。
「……まぁ、話は分かった。他の連中も暇じゃねぇだろうしその辺は納得してやるよ。だが、『テュケ』の連中が誰も来てないのはどういう訳だ?」
ガーディオと呼ばれた男はテーブルに脚をかけて椅子にもたれかかると反対側のテーブルを指差す。
彼は年齢は二十代後半、手入れもせずにぼさぼさの髪を適当にまとめた頭に面倒と言った表情で話している。
「同志ガーディオ、
「……フラグラの言う通りだ。少し困った事になった」
ガーディオは「ほぅ」と声を漏らして顔をアルグリーニに向ける。
「で?シグノレの馬鹿は何をやらかしたんだ?」
「『オールディア』は知ってるな。あそこで問題が起こった」
「どこだっけ?フラグラ、知ってる?」
「確かグノーシスの神学園がある我等の拠点ですな。地下に万魔殿と儀式関連の道具を保管する倉庫があったと記憶しております」
「あー。あったあった。召喚特化の大祭壇か。それがどうかしたの?」
アルグリーニは少し間を置くと……。
「使い物にならなくなった」
……結果だけ言った。
「は?」
「今から十日程前の話だ。上級悪魔の召喚を確認した。俺も報告を聞いただけだが、街が黒い雲のような物に覆われているらしい。どう考えても『揺り籠』だ」
「誰よそんな勝手やったの?……あぁ、聞くまでもなかったか」
ジェルチはシグノレに視線を向ける。
それを見てガーディオは手を叩きながら笑う。
「はっはっは。やっちまったなぁ!シグノレぇ!『揺り籠』が出来ちまってるなら確定だ。確かオールディアって儀式用の『
「笑い事ではありませんぞ同志ガーディオ。……とは言え、内容が内容なので説明はしていただけますな?」
「……と言う訳だ。シグノレ。説明を」
アルグリーニに促されて、シグノレと呼ばれた小太りの男は大量に汗を流しながら話し始めた。
「こ、今回の原因は恐らく私の配下のアイガーと言う男の暴走だ」
「アイガー?知らねーな。誰だっけ?」
「はて?聞かない名ですな」
「あたしも知らない。そいつの位階は?」
シグノレは懐から布を取り出して汗を拭きながら続ける。
「位階は第一で部位は『目』だ」
「第一ぃ?何でそんな下っ端にこれだけの事ができたんだ?」
「当時オールディアに居た位階持ちはアイガーだけで、状況から見れば奴が血迷ったとしか――」
「ふーん。それはいいけどさ。そのアイガーって馬鹿はどうなったの?」
「儀式を行った以上、中に居るはずだが……生死は分からん」
「っつーか。第二以上の位階持ちはどうした?お前んとこって三以上も結構いたよな?」
シグノレの体が震えて――。
「おーい。聞いてるんですけどー」
「うるさい!お前らの所為だろうが!忘れたとは言わせんぞ!お前らが王都でやらかした事の後始末で、私の部下は出払っていたんだ!」
……爆発した。
「あー……そうだっけ?悪い悪い。でもあれってテュケからの依頼だったししゃーねーだろ」
「そう言えば後始末やったのシグノレだっけ?ごめんねー」
「お、お前等――」
シグノレは拳を震わせる。
「同志シグノレ。お怒りはごもっともですが話の続きをお願いします」
「そーだな。さっさと続きを話せよ」
「話せ話せー」
額に血管を浮き上がらせてシグノレは続きを話す。
「……流れを順に話すぞ。今の所、中の詳しい状況は不明だが、状況から何が起こったかは察しが付く。そもそもオールディアでの任務は『触媒』に使える候補を選別していつでも儀式を行えるようにしておく事だ。だが、上がいなくなった事でアイガーが暴走。勝手に部下を動かして、候補と触媒槍を勝手に使って中級悪魔を召喚――」
「「勝手に」って強調してるけどお前の監督責任だからなー」
「人の所為とかサイテー」
「うるさい!黙って聞け!……その後、召喚した中級悪魔の核を触媒に上級悪魔を呼び出そうと試みたようだ」
「……お前が配下の手綱を握れてなかったのは分かったが、それはこの際、置いておく。だが、妙なのはそれなりに時間が経っているにも拘らず。揺り籠が残っている事だ」
今まで黙っていたアルグリーニが重い口を開いた。
「あー。確か大体丸一日ぐらいで解けるんだったか?あ?どうしたジェルチ?」
ジェルチが隣のガーディオの服を引く。
「あたし上級の召喚に立ち会った事ないんだけどそんな物なの?」
「あー……そういやお前、上がって来たの最近だったな。っつーか上級以上の召喚は出費が嵩むから滅多にやらんし知らんのも当然か」
「そうですな。折角ですので少しおさらいしておきますかな?同志ガーディオも少し怪しいようですし――」
「そうかもな。言い出したんなら、お前がやれよ」
ガーディオは肩を竦める。
「もちろん。この不肖フラグラが責任をもって努めますぞ」
そう言ってフラグラはアルグリーニに視線を向ける。
アルグリーニは好きにしろと頷く。
「では。まずは上級とそれ以下の違いは何か?力は当然。何より知能が高い。それより下は基本的に自我と言う物が薄く。魔物とそう大差ありませんな。以前実験で「縛り」を付けずに呼んだ悪魔は無軌道に暴れるだけでしたな」
「縛りってあれでしょ?呼んだ悪魔を使役する為の……なんだっけ?」
ジェルチの言葉にフラグラは苦笑。
「召喚した悪魔に施す処置ですな。呼び出す際の詠唱に含まれており、手を抜いてこの手順を飛ばすと繋がりが薄くなり、命令が正しく解釈されずにうっかり主人を巻き込んで攻撃すると言った間の抜けた事になります」
「あー。そういえば昔はそんな事あったけか?自分で呼んだ奴に殺されるとか間抜けすぎんだろ」
「続けますぞ。さて、では上級の話に移ります。自我があるという話はしましたな。上級悪魔の自我は我々人間よりはるかに強いので、下手に使役しようと干渉すると逆に乗っ取られます」
「うえ、最悪。乗っ取られた奴はどーなんの?」
ジェルチは舌を出して嫌そうな顔をする。
「眷属にされてしまいます。具体的に言うと悪魔に自我が乗っ取られて肉体が変質……後は主従が逆転して使役される羽目になりますな。そのアイガーと言う者が使役を試みたのならそうなっている可能性が高い」
「だろうな。……で?その馬鹿は何を血迷ってそんな事したんだ?」
ガーディオはシグノレに視線を向ける。
シグノレは汗を拭きながら目を伏せた。
「元々、上昇志向と力への執着が強かったので試しにと移植を施したのだが、それが悪い方向に作用したようだ。『目』との相性は良かったので、それを活かした任務に従事させていたがどうも不満だったらしい」
「力を求めてって所か。……にしても何でそんな問題のある奴を残したんだよ」
「あそこまでだとは思わなかったし、私としてもそう長い期間空けさせる気はなかった。それに場所柄、余程の事がなければ問題が起こる事はなかった筈だったんだが――」
「まぁ、その当人が進んで問題を起こしたからな」
シグノレは頭を抱える。
「結局、シグノレの所為でオールディアはダメになったって事だねー」
シグノレがジェルチに喰ってかかろうとするのをアルグリーニが遮る。
「説明が済んだ所で話に戻るぞ。それと俺の方で一つ補足するなら、上級悪魔は「こちら」に出てくる際に体を作り直す必要があるので、周囲を特殊な雲のような物で覆う。連中は保有する魔力も体の維持に必要な魔力も桁が違うからな。我々の儀式で得られる魔力程度では完全な状態で出てこれんのだ。ただ、それも自らの心臓である核を作るまでだ。それさえ完成すれば後は自給自足で動き出す」
「連中がこちらで動けるようになる準備をする場所、それが「揺り籠」って訳だ。分かったか?」
ジェルチは理解できたのか軽く頷く。
「さて、長い前置きが終わった所で話を戻すぞ」
アルグリーニは話を続ける。
「今までの例から「揺り籠」は役目を終えれば消えるはずだ。だが、今回に限っては何故か未だに消えていない」
「その「揺り籠」って、どの位の時間で消える物なの?」
「早くて半日。遅くても一両日中には済むはずですが、十日もそのままとは確かに妙ですな」
「それが俺らを集めた理由か?ってかさ。上級絡みなら使徒の連中呼んだ方がいいじゃないのか?」
ガーディオの言葉にジェルチは露骨に嫌な顔をして、アルグリーニは顔を手で覆って溜息を吐いた。
「……声はかけたが誰も来なかった」
「えー。他は我慢するけどあいつ来るならあたし帰るよ」
「使徒オーハラダですな。あの方は同志ジェルチにご執心ですからな」
今度はジェルチが頭を抱える。
「もう勘弁してよ。あいつのあたしを見る目が気持ち悪すぎて嫌」
「あぁ、あいつやべぇよな。強いのは認めるけど、女――しかもガキみたいな年の奴を見る目が尋常じゃねぇよ。しかも定期的に新しい女を部屋に引っ張り込んで遊んでやがる。気持ち悪いのは見た目だけにしろっつーの」
「それで
二人の意見にシグノレも同調する。
「ってかさ。使徒でまともなのってボスとヨノモリぐらいな物だろ?どちらかだけでも呼べなかったのか?」
「ボスは今はこの国に居ない。使徒ヨノモリはそれに付いて行った」
「それでこの人選かよ。……まぁ、俺らも暇じゃないし動ける奴を呼ぶのは妥当な判断か」
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